2013年7月10日水曜日

なんにもないない

















「なんにもないない」(ワンダ・ガアグ/作 むらなかりえ/訳 ブック・グローブ社 1994)

ずっと昔、古ぼけた農場の片隅に、3匹の捨てイヌの兄弟がいました。とんがり屋根の犬小屋には、耳のとがった、とんがり兄さんが、くるりん屋根の犬小屋には、巻き毛がくるりの、くるりん兄さんが住んでいました。そして、まあるい屋根の犬小屋には、“なんにもないない”が住んでいました。なぜ、こんな名前かというと、ないないは姿がなかったのです――。

ないないは、跳ぶことも、走ることも、食べることもできました。みることも、聞くことも、臭いを嗅ぐこともできました。兄さんたちと吠えたり、じゃれあったりして、ないないは楽しく暮らしていました。

ところが、ある日、男の子と女の子がやってきて、犬小屋をみつけます。2人は兄さんたちを抱きかかえ、連れていってしまいます。そこで、ないないは2人を追いかけるのですが――。

「100まんびきのねこ」で名高い、ワンダ・ガアグによる絵本です。温かみのある絵柄と、くり返しの多いリズミカルな文章で、お話は愉快に進んでいきます。さて、このあと、みんなとはぐれてしまったないないは、1本の木の前にやってきます。そこで、森のもの知りカラスに出会い、「まほうの本」に書かれた《ありやなしやのじゅつ》を教わります。ないないは、何日もかけて懸命に魔法をとなえて――と、お話は続きます。なんにもないないだったのに、最後は、“なんでもあるある”で終わる、なんとも楽しいお話です。小学校低学年向き。

2013年7月9日火曜日

どろぼうとおんどりこぞう

「どろぼうとおんどりこぞう」(ナニー・ホグロギアン/作 はらしょう/訳 アリス館 1976)

昔、トルコのアダナの町に、お母さんと、メルコンという男の子が住んでいました。家は貧乏でしたが、メルコンの誕生日には、お母さんがごちそうをしてくれることになっていました。誕生日の日、オンドリを焼いてもらうため、メルコンはお母さんにいわれてベーカーリーにいきました。

オンドリが焼けるのを待っているあいだ、メルコンは近くの原っぱで、お母さんにあげる花を摘みます。そして、ベーカーリーにもどり、オンドリを受けとるのですが、そこに3人の泥棒があらわれて、オンドリをひつたくって逃げていってしまいます――。

絵は、おそらく水彩と色鉛筆でえがかれたもの。このあと、大切なオンドリをひったくられたメルコンは、きっと仕返ししてやるぞと心に決めます。次の日、洋服屋で泥棒のひとりをみつけ、「これは死んだおじさんが残してくれた上着なんだ。あしたの4時までに直してくれ」と、泥棒がいっているのを耳にします。そこで、次の日の3時に洋服屋にいき、泥棒の使いだといって、まんまと上着を手に入れます。上着がなくなった泥棒は大いに腹を立てるのですが、ドアのところにこんな貼り紙をみつけます。「おんどりこぞうのしかえしさ。またやるぜ」――。メルコンの仕返しはまだまだ続きます。小学校中学年向き。

2013年7月8日月曜日

トリとボク





「トリとボク」(長新太/作 あかね書房 1985)

〈ぼく〉の家から電車に乗って、3つ目の駅で降りて少し歩くと、鳥がたくさんやってくる川があります。夕方になって、鳥が影だけになると、みんな肩を寄せあうようにあつまって、水の上でいろんな形をつくります。鳥たちは数え切れないくらいいっぱいあつまって、ほんとうのゾウより大きなゾウになったり、ぱあーっと散っていって、すーっと固まると、ものすごく大きなクジラになったりします。

鳥たちは動物だけではなく、木になったり、山になったりすることがあります。なってほしいものを大きな声でお願いしても、聞いてはくれません。

鳥たちがいろんな形をつくるのをながめる〈ぼく〉のお話です。絵は、青味がかった色合いの、抒情あふれるもの。鳥たちがいろんなかたちをつくるのは〈ぼく〉だけが知っている秘密です。鳥たちは自分たちの好きなものしかやらないみたいだけれど、〈ぼく〉はそれでいい。鳥たちはオカアサンとオトウサンになったりして、それが〈ぼく〉のお気に入り――。ちょっと、長新太さんの名作「ちへいせんのみえるところ」を思い出させる一冊です。小学校低学年向き。

2013年7月5日金曜日

くれよんのはなし















「くれよんのはなし」(ドン・フリーマン/作 さいおんじさちこ/訳 ほるぷ出版 1976)

クレヨンの箱には、外にでたがっている8色のクレヨンたちがいました。画鋲で壁にとめられた画用紙は、絵を描くひとを待っていました。ある日、クレヨンの箱のふたが、ぱっと開きました。8色のクレヨンたちは、「わぁーい、絵を描こう!」と、叫び声をあげました。

まず、青いクレヨンが飛びだして、空と海を描きます。それから、黄色のクレヨンが太陽と島を描き、茶色のクレヨンが島に木と男の子を描いて――。

ドン・フリーマンは、「くまのコールテンくん」などの作者として高名です。本書は、タテ14センチ、ヨコ18センチの小振りな絵本。クレヨンと水彩をうまくつかって、みごとに作品世界をつくっています。このあと、緑のクレヨンが葉っぱとカメを描き、紫のクレヨンが男の子に棒をもたせ、カメの背中に模様を描きます。でも、男の子は悲しそうな顔をしています。そこで、男の子はうちに帰りたいんだよと、黒いクレヨンが船を描いてあげて――と、お話は続きます。男の子を喜ばせるために、クレヨンたちが力をあわせ、最後に不思議なことが起こります。小学校低学年向き。

2013年7月4日木曜日

変わり者ピッポ















「変わり者ピッポ」(トレイシー・E.ファーン/文 ポー・エストラーダ/絵 片岡しのぶ/訳 光村教育図書 2010)

フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のてっぺんに、いよいよドームがつくられることになりました。でも、大聖堂の大きさは途方もありません。どうやったら、ドームをつくることができるのか、そのやりかたをコンテストで決めることになりました。それを聞いたピッポは、待ちに待ったチャンスがついにきたと思いました。

ピッポの本名は、フィリッポ・ブルネレスキ。すぐれた職人でしたが、くる日もくる日も奇妙な機械を考えたり、設計図を書いたりしていたので、街のひどひとからは「変わり者ピッポ」と呼ばれていました。「コンテストで勝てば、嫌なあだ名もきっと消えるぞ」と、ピッポは思いました。

どうしたら、大聖堂の美しさをそこなうことなくドームを支えることができるのか。大量の大理石を、石切り場からどうやって運び、どうもち上げるのか。ライバルである、高名な彫刻家のロレンツォに馬鹿にされながら、ピッポは考えに考えます。

1377年に生まれた実在の人物、フィリッポ・ブルネレスキについての伝記絵本です。絵は輪郭線のはっきりした、わかりやすい厚塗りのもの。このあと、ピッポはコンテストの委員たちに自分のアイデアを披露しますが、あんまり斬新すぎて、一度は委員たちに蹴られてしまいます。そこで、ひとが入れるほどの模型をつくり、それを委員たちにみてもらって、ついにピッポの案が採用されることになります。ですが、じっさいの建設はロレンツォと協力してやることになって――と、お話は続きます。小学校高学年向き。

2013年7月3日水曜日

あずきがゆばあさんとトラ














「あずきがゆばあさんとトラ」(チョホサン/文 ユンミスク/絵 おおたけきよみ/訳 アートン 2004)

昔、ある山里に、ひとりのおばあさんが住んでいました。ある日、おばあさんがあずき畑ではたらいていると、裏山からトラが降りてきて、おばあさんを食べようとしました。おばあさんが、「トラさん、トラさん、このあずきが実ってから、あずきがゆを一杯食べるまで待っておくれ」というと、あずきがゆまで食べたくなったトラは、「あずきができるころにまたくるからな」といって、去っていきました。

秋になり、おばあさんはあずきをとって、お釜いっぱいにあずきがゆをつくります。でも、トラに食べられてしまうかと思うと、あずきがゆものどを通りません。すると、タマゴがころころ転がってきて、「ばあさん、ばあさん、なぜ泣くの?」とたずねます。おばあさんが訳を話すと、「あずきがゆを一杯くれたら、助けてあげる」と、タマゴはいいだして――。

韓国の昔話をもとにした絵本です。絵はコラージュ。登場人物たちが、みな生き生きとした描線でえがかれているのが目を引きます。このあと、おばあさんのもとに、スッポンと、うんちと、錐(きり)と、石うすと、むしろと、背負子(しょいこ)がやってきて、あずきがゆを食べ、おばあさんに加勢します。そして夜になり、いよいよトラがやってきます――。クライマックスは、日本のさるかに合戦を思い起こさせます。小学校中学年向き。

2013年7月2日火曜日

さるとびっき













「さるとびっき」(武田正/再話 梶山俊夫/絵 福音館書店 1993)

昔、こんぴら山のふもとにサルとびっき(カエル)がいました。ある日、サルがびっきに、「おらと2人で田んぼをつくらねえか」といいました。「それはいいことだ」と、びっきはこたえました。

サルとびっきは山にでかけ、田んぼつくりをはじめます。でも、サルはすぐ、「おらは肩がこってきた」といいだします。あくる日、びっきが、「きょうは田をだかやしにいくべえ」と、サルのうちを訪ねると、「きょうは頭が痛くてとてもいかれねえ」と、サルはこたえます。そこで、びっきはひとりで田んぼにいき、ぺったらぺったら田をたがやして――。

山形の昔話をもとにした絵本です。原話の語り手は川崎みさをさん。絵は、柔らかい描線でえがかれたユーモラスなもの。ほとんど2色なのですが、部分部分につかわれた色が大変効果的です。文章は民話調。冒頭を引用してみましょう。

《むかし、あったけど。
 こんぴらやまの ふもとに、さると びっき いたっけど。
 あるひ、さるが やぶから がっさがっさと やってきて、
 「びっきや びっき。おらと ふたりで たんぼ つくらねえか」
 こういったど。》

このあと、仕事をさぼってばかりのサルの代わりに、びっきはひとりで田植えをし、草刈りをし、稲刈りをします。さて、モチつきとなったとき、サルがやってきて、たちまちモチをつき上げます。そして、サルは、「山の上からモチの入ったうすを転がして、先にモチを拾った者が食うことにしよう」と、欲の深いことをいいだして――。お話は最後に、サルの頬やお尻がなぜ赤いかという由来譚となって終わります。小学校低学年向き。

2013年7月1日月曜日

まどのそとのそのまたむこう

「まどのそとのそのまたむこう」(モーリス・センダック/作 わきあきこ/訳 福音館書店 1983)

船乗りのパパは海におでかけしました。ママは、あずま屋に腰を下ろしました。アイダは、赤ちゃんに魔法のホルンを吹いてあげました。でも、赤ちゃんのほうをみないで吹いていたので、ゴブリンたちがやってきて、氷の人形をおいて赤ちゃんをさらっていってしまいました。

アイダは氷の人形を抱きしめます。氷がぽたぽたと溶けだしたので、赤ちゃんがさらわれたことに気がつきます。「ゴブリンたちが盗んだんだわ! お嫁さんにしようと思ってるのね!」と、アイダはかんかんに怒って、ママの黄色いレインコートにくるまり、ポケットにホルンを突っこんで、ゴブリンたちを追いかけようとします。でも、後ろ向きに窓枠を越えたアイダは、窓の外のそのまたむこうにいってしまい――。

「かいじゅうたちのいるところ」の作者として高名な、センダックの作品です。絵は大変な濃厚さ。このあと、アイダはふわふわと飛んでいき、ゴブリンたちの洞窟を通りすぎてしまうのですが、遠い海からパパの歌が聞こえてきてくるりと振り向き、ゴブリンたちの結婚式入りこみます――。絵もお話も、さまざまな暗示に満ちていて、とても読み終えることのできない、不思議な一冊となっています。小学校中学年向き。