2013年3月30日土曜日

ぼくんちひっこし















「ぼくんちひっこし」(山本省三/文 鈴木まもる/絵 金の星社 1988)

ぼくんち、引っ越すんだ。新しい家は2階建てで、子ども部屋もあるんだ。引っ越しはまず日を決めて、引っ越し屋さんに頼むことから。それから、銀行、郵便局、ガス、電話の会社に引っ越しますって知らせなくちゃ。学校も変わるんだ。

荷物はダンボールへ。遊んでいて、お母さんを怒らせたり、古い写真がでてきたり。ダンボールの山ができて、あしたはいよいよ引っ越し当日──。

引っ越しを題材にした絵本です。絵は、コマ割りされた、マンガ風のもの。引っ越しにまつわるあれこれが、細かくえがかれています。文章は〈ぼく〉の1人称。〈ぼく〉の一家は、お父さん、お母さん、〈ぼく〉と妹の4人家族。絵をみると、団地から一戸建てに引っ越したようです。さて、当日、引っ越し屋さんがトラックでやってきて、荷物をいっぱいに積んで出発します。新しい家に着いたあとも、荷物を片づけたり、ご近所にあいさつしたり、翌朝早起きして、自転車で新しい町をひとめぐりしたり──。まだまだ、やることがたくさんあります。小学校低学年向き。

2013年3月29日金曜日

もりのてぶくろ















「もりのてぶくろ」(八百板洋子/文 ナターリヤ・チャルーシナ/絵 福音館書店 2010)

静かな秋の森に、黄色の葉っぱが一枚落ちていました。「わあ、きれい」と、ネズミがそっと手を当ててみました。「ぼくの手よりずっと大きいや」。次にウサギがやってきました。「まあ、なんてきれいな葉っぱ。わたしの手より大きいわ」──。

森に落ちた葉っぱに、動物たちが手を当てていく──という絵本です。「てぶくろ」といえば、ラチョフが絵を描いた絵本を思い浮かべますが、本書はそれとはちがいます。絵を描いたナターリヤ・チャルーシナは、ロシアのひと。精緻でありながら、描きこみすぎることがない、美しい水彩画をえがいています。このあと、キツネやクマがやってきて、最後に人間の男の子が葉っぱに手を当てます。幼児向き。

2013年3月27日水曜日

おやすみなさいのおともだち















「おやすみなさいのおともだち」(ケイト・バンクス/文 ゲオルグ・ハレンスレーベン/絵 肥田美代子/訳 ポプラ社 2012)

寝る前、いつものように男の子がお気に入りの絵本をかかえてきました。お母さんはその絵本を受けとり、そっと読みはじめました。──ねむいねむいクマのお話。風が冷たくなってきました。もうすぐ冬がやってくるのです──。

絵本を読んでもらいながら、男の子は声をかけます。「ねえ、ママ。クマさんは冬のあいだ中、ずっと眠ってるんでしょ」「そうよ冬ごもりっていうの」

本書は、お母さんが読む絵本の文章と、絵本を読みながら交わす男の子とお母さんの会話という、2つの文章から成っています。会話はゴシック、絵本の文章は明朝と、字体も分けてつかわれています。絵を描いたゲオルグ・ハンスレーベンは、「リサとガスパール」シリーズの画家。本書でも、厚塗りの、叙情のある絵をえがいています。さて、絵本のなかでは、じき冬がきて、クマは冬眠をはじめます。クマさん、ぐっすり眠ってるみたいね。お母さんがそういうと、男の子がしーっと、こたえます。母と子の、おやすみ前の絵本を通したひとときをえがいた一冊です。大人向き。

2013年3月26日火曜日

はるですよ ふくろうおばさん















「はるですよ ふくろうおばさん」(長新太/作 講談社 2006)

ふくろうおばさんは、とても寒がりです。からだがすっぽり入るセーターを着ています。それでも寒いので、大きな袋を編んで、木にかぶせました。それでもまだ寒いので、もっと大きな袋を編んで、となりの木にかぶせました。

となりのとなりの木にも袋をかぶせた、ふくろうおばさんは、まだまだ寒くて、太い糸で大きな袋を編んで──。

初版はは1977年。本書はそれを復刊したものです。巻末に、落合恵子さんによる、「ナンセンスのリアリティ」という解説がついています。さて、このあと、寒がりのふくろうおばさんは、森ぜんたいに大きな袋をかぶせてしまいます。それでもまだ寒くて、せっせと編みものをするのですが、じき春がやってきて──と、お話は続きます。長新太さんらしい、大らかでナンセンスな味わいの一冊です。小学校低学年向き。

かぜのかみとこども















「かぜのかみとこども」(山中恒/文 瀬川康男/絵 フレーベル館 2012)

昔むかし、ある村で、大人たちはみんな稲刈りにでかけ、残った子どもたちが、お堂のところで遊んでいました。すると、みたことのない男がふらりとやってきて、「おい、みんな。ナシやカキがうーんとなってるところへいってみたくないかな?」といいました。子どもたちが、そこへ連れていってほしいと頼むと、男はまるでけものの尻尾のようなものをぐうっと引っ張りだしていいました。「さあ、みんな、これにまたがってくれ。落ちないようにしっかりとつかまれよ」

子どもたちを尻尾のようなものに乗せた男は、ごうっと風を起こし、空高く舞い上がり、雲を抜け、どこかの山のなかに到着します。そこには、たくさんのカキやクリやナシがなっていて、子どもたちは大喜びするのですが──。

フレーベル館復刊絵本セレクションの1冊です。初版は1978年。文章はタテ書き。瀬川康男さんの絵は、装飾的でありながら、親しみやすい、絶妙なバランスを保っています。さて、このあと、男は子どもたちを山のなかに置いて、どこかへ飛んでいってしまいます。残された子どもたちは、夜の暗がりのなかを明かりをめざして歩いていき──と、お話は続きます。小学校低学年向き。

2013年3月22日金曜日

ずいとんさん














「ずいとんさん」(日野十成/再話 斎藤隆夫/絵 福音館書店 2005)

昔、ある山寺に、和尚さんと、ずいとんという名前の小僧さんがいました。あるとき、和尚さんが村にでかけ、ずいとんがひとりで留守番をすることになりました。和尚さんにいわれたとおり、ずいとんは本堂でご本尊さまにお経をあげていましたが、だんだん眠くなってきて、こくりこくりと居眠りをはじめました。すると、庫裏(くり)から、「ずーいとん、ずーいとん」と呼ぶ声が聞こえてきました。

ずいとんは庫裏にいってみますが、だれもいません。でも、本堂にもどると、また「ずーいとん」と声がして──。

日本の昔話をもとにした絵本です。斎藤隆夫さんは、「かえるをのんだととさん」などをえがいたひと。横長の画面いっぱいに、密度のある絵が展開していきます。絵のなかに紅白の梅がえがかれているところから、季節は初春のころでしょうか。このあと、「ずーいとん」と呼んでいたのは、キツネのいたずらだったことがわかります。ずいとんに見破られたキツネは、本堂に逃げこみ、ご本尊さまに姿を変えます。どちらが本物か見分けがつかなくなってしまうのですが、ずいとんはとんちをきかせて、みごとキツネをこらしめます。小学校低学年向き。

162ひきのカマキリたち















「162ひきのカマキリたち」(得田 之久/作 福音館書店 2003)

春の夜明け、あちこちの草むらで、冬を越したカマキリの卵嚢(らんのう)から、162匹のカマキリの子どもたちが生まれました。生まれたばかりの子どもたちは、からだが固くなるまで、草むらで静かにしています。でも、そのあいだにアリやカエルに食べられてしまうこともあります。次の日、カマキリの子どもたちの数は、半分以下になっていました。

2、3日すると、子どもたちは、草むらを歩きまわり、葉っぱについた水を飲んだり、小さなアブラムシを食べたりするようになります。でも、クモの巣にかかったり、仲間のカマキリに食べられたりして──。

カマキリの一生を追った絵本です。絵は、写実的で臨場感のある、じつに見事なもの。当初162コマにえがかれていたカマキリが、あっという間に数コマになってしまう表現は、生きのびることの厳しさをよくあらわしています。このあとも、カマキリの子どもたちは、どんどん数が少なくなり、7回目の脱皮を終えて大人になれたのは、たった1匹、メスのカマキリだけになります。でも、このカマキリが卵嚢を生み、卵嚢は冬を越し、春になって──と、カマキリの物語は続いていきます。小学校低学年向き。

2013年3月19日火曜日

かえでがおか農場のなかまたち















「かえでがおか農場のなかまたち」(アリス・プロベンセン/作・絵 マーティン・プロベンセン/作・絵 乾侑美子/訳 童話館出版 1998)

かえでがおか農場には、イヌが2匹、ウマが5頭、ブタが1匹、それにガチョウと、ニワトリと、牝ウシと、ヤギと、ヒツジと、4匹のネコがいます。4匹のネコは、いつもくっつきあって寝ていて、どこからどこまでがどのネコなのかわかりません。でも、起きてくれば、ちゃんと1匹ずつになります。

シャムネコのタマゴザケは、大変なおばあさんで、どんな暑い日でも寒がっています。ヤナギは、タマゴザケの弟の、いつのまにかどこかへいってしまったポテトの子。ヤナギは遊ぶのがきらいで、けんかもきらい。ただじっとしています。みていても面白くありません。グズベリーは、ある日、農場に迷いこんできたネコで、いつのまにか灰色のお母さんネコになって、いまでは自分の子ネコたちと遊んでいます。とても大きなマックスは、グズベリーの息子。マックスグズベリーは親子なのに、けんかばかりしています。マックスは人間の子どもと遊ぶのが好きですが、遊ぶときはひっかかれないように気をつけなければなりません。まだ子ネコなので、ツメを引っこめるのが下手なのです――。

かえでがおか農場シリーズの一冊です。作者のプロイセン夫妻は、「栄光への大飛行」などの作者。さて、本書はこの調子で、農場にいる動物たちの(そして、勝手に農場にやってくる生きものまで)紹介がずっと続きます。ニワトリのワタボウシとサクラが生んだタマゴを温めるのは、チイサナカワイイ赤毛チャン。年寄りで、もうタマゴを生めませんが、ほかのニワトリの生んだタマゴを温めるのが好きなのです。ヒツジのメエは、毛を刈とられるとき、怖くて気絶してしまい、年寄りイヌのダイナは石が好きで、せっせと石をはこびます。どの動物たちも個性があり、大変楽しい読物絵本となっています。小学校中学年向き。

2013年3月18日月曜日

3びきのこいぬ















「3びきのこいぬ」(マーガレット・G.オットー/文 バーバラ・クーニー/絵 あんどうのりこ/訳 長崎出版 2008)

ダックスフントの子イヌがいます。1ぴき、2ひき、3びき。小さいベッドで一緒に眠り、ご主人のマーヴェラスさんと一緒に、お買いものにでかけます。知りあった、2人の子どもたちが、贈りものをもってきてくれます。

ある日、子イヌたちは森にでかけていきました。ワンワンワンと、ハイイロリスに挨拶をし、赤い羽根の鳥に呼びかけました。でも、そのうち帰り道がわからなくなってしまい──。

絵は版画風のもの。毎回、地の色が変わりますが、それがお話の進行によくあっています。絵を描いたバーバラ・クーニーは、じつによく生き生きとした子イヌたちの姿をとらえています。文章は、語り口調のもの。「おやっ、ダックスフントのこいぬたち、 きょうは もりへ はいっていくよ!」といった具合です。さて、迷子になった子イヌたちが泣いていると、2人の友だちの声が聞こえてきます。3匹の子イヌたちは声をたよりに走っていき──と、お話は続きます。幼児向き。

2013年3月16日土曜日

みんなのこもりうた















「みんなのこもりうた」(トルード・アルベルチ/文 なかたにちよこ/絵 いしいももこ/訳 福音館書店 1966)

《あざらしの こが ねています。
 あざらしは はまべで ねむります。
 なみは まわりで おどります。
 けれども だれも あざらしのこに
 こもりうた うたっては やりません。

 かもめの こどもが ねています。
 かもめは すなやまで ねむります。
 ちいさい さかなは かもめの ごちそう。
 けれども だれも かもめの こどもに
 こもりうた うたっては やりません。》

いろんな場所で眠る、いろんな動物の子どもたちが、子守歌を聞かずに眠っているけれど──という絵本です。いしいももこさんの訳による詩文に、「かばくん」で高名な、なかたにちよこさんが絵を描いています。このあと、クマの子は森のなかで、ウサギの子は草の上で、リスの子どもは木のうろで、ビーバーの子は穴のなかで──と、まだまだたくさんの動物が登場します。そして最後、人間の赤ちゃんに、お母さんとお父さんが子守歌をうたってやります。幼児向き。

2013年3月14日木曜日

ちいさなき















「ちいさなき」(神沢利子/文 高森登志夫/絵 福音館書店 2009)

スミレの花の脇に、小さな赤ちゃんの木が生えていました。お母さんはどこにいるの? ここですよ、わたしがお母さんですよ。お母さんは大きなカエデの木。あなたがお母さんだったのね。

赤ちゃんの木はほかにもいます。カバの木、モミの木。みんな、大きなお母さんがいます──。

カエデとカバとモミの木の、赤ちゃんのころの姿をえがいた絵本です。絵は写実的な、品のある水彩。赤ちゃんの木は、小さいながら、秋になると装いを改めます。カエデの木はお母さんと一緒に赤くなり、カバの木は黄色くなります。もちろん、モミの木はお母さんと同じく緑のまま。そして、本書は次の言葉で締めくくられます。「みんな おおきくなあれ」。幼児向き。

2013年3月13日水曜日

きこりとあひる


















「きこりとあひる」(クリスティナ・トゥルスカ/作 遠藤育枝/訳 佑学社 1979)

昔むかし、ポーランドの山のなかに、バーテクという若者が暮らしていました。バーテクは大変貧しい若者で、家族といえば、一羽のアヒルだけでした。バーテクはこのアヒルをとても可愛がり、アヒルの好きなえさのために、森のなかを何時間もさがしまわったり、あっちの池こっちの池を歩きまわったりしました。そして、水草やコケを大きなザルに入れてもち帰りました。

ある日、バーテクがいつものように、アヒルのえさをさがしに池にでかけると、途中、だれかに呼びとめられます。みると、野バラの枝のすきまに一匹のカエルがはまりこみ、うごけなくなっています。「ザルに入れて、池まで連れていってくださらんか。わしはカエルの王じゃ。助けてくれれば、たっぷりと礼はいたしますぞ」と、カエルがいうので、「別にお礼なんぞはけっこうですよ」と、バーテクはカエルを池に連れていきます──。

ポーランドの民話をもとにした絵本でしょうか。絵は、ヨーロッパの昔話によくあったもの。このあと、助けてもらったカエルはバーテクに、魔法のメロディをさずけます。「このメロディを口笛で吹きさえすれば、みるみる大風が吹き、どしゃぶりの雨は大水となって、どんな高い建物もひと流しじゃ」。さて、カエルと別れたバーテクは、軍隊の行列と出くわします。このあたりで一番の屋敷に案内せい、と隊長にいわれるのですが、そんな屋敷はありません。そこで、自分の小屋に案内すると、隊長はバーテクのアヒルを夕飯にするといいだして──。絵もお話も、なんとも味わい深い一冊です。小学校中学年向き。

あたし、ねむれないの















「あたし、ねむれないの」(カイ=ベックマン/作 ペール=ベックマン/絵 やまのうちきよこ/訳 偕成社 1992)

夜になりましたが、リーゼンは眠れませんでした。リーゼンは大きな声でお母さんを呼びました。「お母さん、お人形をもってきて! お人形がないと眠れないわ」。すると、お母さんがとなりの部屋でいいました。「自分でとってらっしゃい」

リーゼンは自分でお人形をとってきて、ベッドに入れます。すると、お人形が「リーゼン、クマを連れてきてよ。クマがいないと、あたし、眠れないの」といいだします。そこで、リーゼンがぬいぐるみのクマを連れてくると、こんどはクマがいいだします。「リーゼン、イヌを呼んできてよ。イヌがいないと、お人形もぼくも眠れないよ」──。

夜、眠れないリーゼンのお話です。作者のベックマン夫妻はスウェーデンのひと。このあとはくり返し。リーゼンは、眠れないゆいぐるみたちのために、ネコ、ウサギ、あやつり人形、ヒツジ、ライオン、アヒル、それからボールをはこんできます。すると、ベッドにはリーゼンの入る場所がなくなって──と、お話は続きます。リーゼンの子どもらしいしぐさが、愛らしくえがかれています。小学校低学年向き。

2013年3月11日月曜日

ねむれないふくろうオルガ















「ねむれないふくろうオルガ」(ルイス・スロボドキン/作 三原泉/訳 偕成社 2011)

フクロウのオルガは、眠れなくて困っていました。片方の目をつぶっても、反対のほうの目をつぶっても、両方つぶっても眠れません。そこで、オルガはどうしたらいいか教えてもらおうと、森の長者のところにいきました。

長者ふくろうはオルガに、片方の目をつぶったか、もう片方の目をつぶったか、両目をつぶったかと、オルガがいままでやったことを、またやらせてみせます。でも、オルガは眠れません。長老もお手上げとなり、オルガは寝ぐらの木にもどるのですが──。

ルイス・スロボドキンは「たくさんのお月さま」「スーザンのかくれんぼ」などの作者。絵は、線画に色鉛筆で色づけした、可愛らしいもの。さて、このあとオルガは、シマリスや、オッポサムや、アオカケスや、コマドリの真似をして眠ろうとしますが、やっぱりうまくいきません。するとツグミが、「ぼくの眠りかたを教えてあげる」といいだして──。巻末に、マイケル・スロボトキンによる、「つぐみのうた」の楽譜が載っています。小学校低学年向き。

2013年3月10日日曜日

てんぐのはうちわ















「てんぐのはうちわ」(香山美子/文 長新太/絵 教育画劇 2000)

もんたという若者がいました。がらくた市でザルを買い、くたびれたので大きな木の下で、頭にザルをかぶって休んでいました。すると、ゆさゆさと木の上でうごくものがありました。「なんだ天狗かあ?」と、もんたがいうと、「あれや、おまえ、おれの姿がみえるのか」と、木の上にいた天狗がいいました。

もんたは天狗をからかって、このザルをかぶれば千里眼になれるのだといいます。すると、天狗はザルをほしがり、この羽うちわと交換しないかと、もんたにもちかけていきます──。

「日本民話えほん」シリーズの一冊です。文章はタテ書き。天狗の羽うちわは、「はな、はな、高こうなれ」といってあおぐと、鼻が高くなり、「はな、はな、低くなれ」といってあおぐと、鼻が低くなるという不思議なうちわです。もんたは、まんまと羽うちわを手に入れ、あちこちでいたずらをしたあげく、たくさんのお金をもうけます。ですが、このあとお話は思いがけない展開をむかえます。昔話にもかかわらず、やけにピンク色をした、長新太さんの絵が印象的です。小学校低学年向き。

2013年3月8日金曜日

ジャガーにはなぜもようがあるの?















「ジャガーにはなぜもようがあるの?」(アンナ・マリア・マチャード/再話 ジアン・カルビ/絵 ふくいしげき/訳 ほるぷ出版 1983)

ジャガーは広い畑をもっていました。畑には背の低い木が生い茂っていたので、だれかたがやしてくれるひとをさがしていました。そこで、ジャガーは動物たちをあつめていいました。「畑をたがやしてくれた者には、お礼に牡ウシを1頭やろう」

まず、サルが名乗りでます。でも、ひどい怠け者だったので、ジャガーはすぐやめさせます。次に、ヤギにやらせてみますが、よくはたらくものの、知恵がたりないのでやめさせます。その次は、アルマジロにやらせますが、アルマジロは大食らいで、食べてばかりいます。アルマジロをやめさせると、こんどはウサギがやってきて──。

なぜジャガーのからだに模様ができたのかという、ブラジルの民話をもとにした絵本です。巻末の文章によれば、ブラジルの民話には、ヨーロッパから伝わってきた民話、アフリカから伝わってきた民話、土着の南米インディアンの民話の、3つの流れがあり、本書は、インディアンのあいだで語りつがれてきた民話だということです。さて、このあと、ウサギはよくはたらいて、ジャガーから牡ウシをもらいます。「この牡ウシは、ハエもカもいないところで殺すんだぞ」と、ジャガーにいわれたウサギは、丘の上で牡ウシを殺すことにするのですが、そこにジャガーがあらわれて、牡ウシをほとんど食べてしまいます。そこで、ウサギは腹を立て──と、お話は続きます。小学校中学年向き。

2013年3月6日水曜日

アローハンと羊















「アローハンと羊」(興安/作 蓮見治雄/文・解 こぐま社 2007)

モンゴルのひとびとは、草のよいところ、水の豊かなところ、雪や風のあたらないところをもとめて、四季それぞれの牧地に移動しながら暮らしています。春の牧地で暮らしていたアローハンは、ある日の夕方、いつものようにヒツジの群れを追って家に帰りました。その途中、さっきまでお腹が大きく、ゆっくり歩いていたヒツジが、いまはお腹がへこんでいるのに気がつきました。「きっとどこかで子どもを産んで、おいてきてしまったんだわ」。このままでは、子ヒツジは死んでしまいます。アローハンは、すぐ子ヒツジをさがしにいきました。

アローハンは、みつけた子ヒツジをふところに入れ、ゲルに連れて帰ります。ミルクを飲ませ、「愛しいもの」という意味の、「ホンゴル」と名づけます。アローハンとホンゴルは、まるで姉妹のように育ち、ホンゴルはいつでもどこでも、アローハンのあとをついていくようになります。

モンゴルを舞台にした絵本です。カラーと白黒の絵が交互にあらわれる構成。絵は、水墨画の手法でえがかれています。さて、大きくなったアローハンは、結婚し、夫の家へと旅立ちます。花嫁の行列には、ホンゴルも加わります。アローハンがさびしがらないように、父さんがホンゴルと子ヒツジたちをアローハンに贈ってくれたのです。アローハンは夫とともによくはたらき、子どもも生まれ、家畜も増えていきますが、あるとき大吹雪がきて──。
巻末の解説によれば、深いきずなで結ばれ、殺すことなど絶対できない家畜に対し、モンゴルのひとたちは、「神様や仏様にお供えする」という名目で、「セテル」という印をつけ、殺さないことにしたということです。アローハンがホンゴルの首につけた赤いひもがその「セテル」です。大きな空と草原がえがかれた、美しい一冊です。小学校高学年向き。

2013年3月5日火曜日

みっつのなぞ

「みっつのなぞ」(武田正/再話 平山英三/絵 福音館書店 1976)

昔、ある村にひとりの長者さまがいました。ひとり娘が年ごろになったので、ムコをさがしてやらなくてはと思いました。そこで長者さまは、屋敷の前とお宮の入口に、こんな立札を立てました。「おれがだす3つの謎をといたら、娘のむこにしよう」

さて、村祭りの日、山からひとりの若者がやってきます。踊りに加わった若者と、娘は若者とひと晩中踊り続けます。夜が明けたとき、娘は若者をムコにしようと心にきめます──。

山形の民話をもとにした絵本です。絵は、お話によくあった、味わいのある水彩。このあと、娘は若者をうちに連れていき、若者は謎ときをすることになります。最初の謎は、倉のなかにあるクワの数はいくつか。次が、カラスの足跡をつけないで、1日で田んぼの黒ぬりがをしろ。3つ目が、山のてっぺんから転がす丸太を受けとめろ。娘は、それぞれの謎かけのたびに、謎にかかわる歌をうたって、若者を助けます。小学校中学年向き。

2013年3月4日月曜日

きんようびはいつも















「きんようびはいつも」(ダン・ヤッカリーノ/作 青山南/訳 ほるぷ出版 2007)

金曜日はいつも、パパと一緒にうちを早くでます。寒い日も、雪の日も、晴れの日も、雨の日も。朝は、お店がどんどん開いていきます。毎週、ビルがだんだんできていくのをながめます。みんな急いでいるけれど、ぼくたちは急ぎません。イヌと何匹出会うか数えたり、パパにもち上げてもらって、ポストに手紙をだしたりします──。

ぺったりと色を塗られた、鮮やかな色づかいの絵本です。鮮やかな色づかいにもかかわらず、画面がうるさくなっていないのは、省略の手際のよさのためでしょうか。。冒頭の、「作者から」という文章によれば、作者はいつも金曜日には、息子と一緒に近くのダイナーで朝ごはんを食べたのだそう。本書は、その体験をもとにした一冊です。もちろん、このあと2人はダイナーにいき、おしゃべりをしながら朝ごはんを食べることになります。小学校低学年向き。

2013年3月2日土曜日

ちゃっくりがきいふ















「ちゃっくりがきいふ」(桂文我/話 梶山俊夫/絵 福音館書店 2002)

昔、あるところに佐吉という男がいました。佐吉はどこではたらいても、いつも失敗し、勤め先から追い出されるはめになりました。あるとき、花瓶を割って古道具屋を追い出された佐吉は、隣町に住む親戚のおじさんのところに、相談をしにいきました。

「おまえはどこでも失敗ばっかりしてきたからなあ。もうはたらくところはないかもわからんで」というおじさんに、佐吉は必死で頼みます。すると、おじさんは、「そうや! うちにあるものを外で売ってきなはれ」といいだして――。

落語をもとにした絵本です。文章はタテ書き。梶山俊夫さんがえがく絵も、柔らか味のあるユーモラスなものです。さて、おじさんは台所にあった、お茶と、栗と、柿と、ふをザルに入れてもってきて、これを売ってこいと佐吉に渡します。さっそく、佐吉は外にでますが、だれも買ってくれません。金魚売りの真似をして、売り声を上げてみますが、「お茶はいりまへんかー。栗を買いませんかー。柿はどうですかー。ふも美味しいでっせー」というのは長すぎます。そこで、いっぺんに縮めていうことにして、「ちゃっくりがきいふ」といって歩いていると、子どもたちが寄ってきて――。なんとも、にぎやかで愉快な一冊です。小学校中学年向き。