2012年11月30日金曜日

ふしぎなたね












「ふしぎなたね」(安野光雅/作 童話屋 1992)

昔、あるところに怠け者の男が住んでいました。ある日、仙人があらわれて、男にこういいました。「おまえに不思議なタネをあげよう。そのタネを1個焼いて食べれば、1年間はもうなにも食べなくてもお腹がすくことはない。また、このタネを1個地面に埋めると、来年の秋には必ず実って2個になる」

男は、タネをひとつ食べ、ひとつ埋めます。秋になり、実った2個のタネを、またひとつ食べ、もうひとつをまた埋めます。しばらくそうして暮らしていたのですが、「このままだと、いつまでたってもおんなじだ」と、男はタネを2つ埋め、その年はなにかほかのものを食べることにします──。

「美しい数学シリーズ」の一冊です。「旅の絵本」など、さまざまな絵本を手がけた安野光雅さんによるもの。この絵本でも、さっぱりとした水彩画をえがいています。さて、男が埋めた2個のタネは、次の年4個のタネを実らせます。そこで、男はタネを1個食べ、残りの3個を地面に埋めます。すると、次の年は6個のタネが、その次の年は10個のタネが、その次の年には18個のタネが実ります。いつしか男ははたらき者になり、結婚し、子どもをもうけますが、思いがけない災難に出会います──。最後の最後で、ただの算数の本ではなくなる、美しい絵本です。小学校中学年向き。

2012年11月28日水曜日

父さんと釣りにいった日












「父さんと釣りにいった日」(シャロン・クリーチ/文 クリス・ラシュカ/絵 長田弘/訳 文化出版局 2002)

ぼくが子どもだったときのある土曜日、父さんとぼくは朝早くから家をとびだし、裏庭でミミズをさがしました。車のトランクに、2本の釣り竿と、ミミズの缶と、サンドイッチを入れたバックと、水を入れた魔法瓶をしまうと、父さんはいいました。「だれも知らないところへいこう。新鮮な空気を釣りにいこう! そよ風を釣りにいこう!」

道みち、父さんが、「あの街灯をみてごらん。一列に並んで輝いている、たくさんのちっちゃな月みたいだ」というと、街灯はたくさんのちっちゃな月に様変わりします──。

川へ釣りにでかけた父子の絵本です。絵は、カラフルな水彩。川に着いた2人は釣りをしながら話をします。子どものころ、父さんはどこに住んでいたの? 子どものころ父さんが住んでいた家のまわりは、どんなところだったの? こうして〈ぼく〉は、新鮮な空気や、そよ風や、父さんが住んでいたちっちゃな家や、澄んだつめたい川や、そのほかもろもろを釣り上げます。にぎやかな絵と、父子の情愛が響きあった、美しい一冊です。小学校中学年向き。

ダッシュだフラッシュ











「ダッシュだフラッシュ」(ドン・フリーマン/作 なかがわちひろ/訳 BL出版 2009)

小さな街に、フラッシュとシャッセという、2匹のダックスフンドが住んでいました。はたらき者のシャッセは、街中を走りまわって、新聞や花束の配達をして、お礼にサンドイッチや骨をもらって帰りました。ところが、怠け者のフラッシュは、毎日昼寝ばかりしていました。ある日、シャッセはフラッシュにいいました。「きょうは、あなたが仕事にいって、2人分の食べものをもらってきてちょうだい」

街にでかけてみたものの、みんなは仕事をくれません。ですが、電報局の窓に貼ってある配達係募集の貼紙をみつけ、フラッシュは配達係として雇われることになります──。

「くまのコールテンくん」などで名高い、ドン・フリーマンによる絵本です。絵は、黄色と黒の、ほとんどモノクロ調のもの。さっと引かれた線による、フラッシュとシャッセの表情が大変魅力的です。このあと、フラッシュは、シャッセがあきれるほどはたらくようになるのですが、ある日、もとの怠け者にもどってしまい──と、お話は続きます。はたらき者になったり、怠け者になったりするフラッシュが、なんとも味わい深い一冊です。小学校低学年向き。

2012年11月26日月曜日

おなかのすくさんぽ












「おなかのすくさんぽ」(かたやまけん/作 福音館書店 1992)

ぼくが真っ白いシャツを着て歩いていたら、動物たちが水たまりで遊んでいました。ぼくも仲間に入って、バチャッバチャバチャン。泥んこでおまんじゅうをつくり、クマが掘ってくれた穴に入って、まあるくなりました。

〈ぼく〉は、動物たちと一緒に洞窟を探検し、坂道をごろごろと転げ落ち、川に入って水浴びをします──。

「むぎばたけ」などをえがいた片山健さんによる一冊です。絵はおそらく色鉛筆でえがかれたもの。勢いと生気があり、〈ぼく〉と動物たちがどんどん進んでいくさまが、力強くえがかれています。〈ぼく〉は、眉毛が太く、たいそう凛々しい顔立ちです。さて、水浴びをしていると、クマが「きみは美味しそうだね。ちょっとだけ舐めていい?」といいだします。そこで、〈ぼく〉はちょっとだけ舐めさせたり、噛ませたりさせてやります。そのうちお腹がすいてきて、みんな家に帰ります。小学校低学年向き。

2012年11月23日金曜日

みみずくと3びきのこねこ












「みみずくと3びきのこねこ」(アリス・プロベンセン/作 マーティン・プロベンセン/作 きしだえりこ/訳 ほるぷ出版 1985)

春の終わり、夏が近づくと、雷や稲妻をつれた黒雲がお日様をかくしてしまうことがあります。ちょうどそんな日、かえでがおか農場の全部の木の、ひいじいさんのひいじいさん、一番古い木が風に吹き倒されました。嵐が去って、風がおさまると、倒れた木のうろから小さな小さなミミズクの子がでてきました。

農場の子どもたちは、ミミズクの子を世話することにします。食べものはステーキの細切れ、飲みものは点眼器でしずくを飲ませます。ミミズクのミミちゃんは、からだ中に羽根が伸びてきて、まだ飛べませんが、後ろに手を組んだ小さな社長のように、ぐるぐる歩きまわります──。

かえでがおか農場シリーズの一冊です。作者は「栄光への大飛行」をえがいたひとたちです。絵は、シンプルでおだやかなもの。絵と文章のバランスが、じつにうまくとれています。このあと、ミミちゃんは着実に大きくなり、森に返すときがやってきます。自分でエサがとれるように練習してから、森に放し、毎朝呼ぶともどってきますが、じきに呼んでもこなくなります。ここまでが本書の前半。後半は、3匹の子ネコの話となります。小学校中学年向き。

2012年11月22日木曜日

郵便局員ねこ











「郵便局員ねこ」(ゲイル・E・ヘイリー/作 あしのあき/訳 ほるぷ出版 1992)

その酪農場にいた大勢のネコのなかでも、クレアはもっとも冒険心のある子ネコでした。もうそろそろ大人になったのだから、自分自身の住処をみつけなくてはと考えていました。そこで、ある日、ミルク運搬車に乗りこんで、ロンドンに向かいました。

ロンドンに着いたクレアは、夏中を公園ですごします。ですが、冬になると、公園にはだれもこなくなってしまいます。漁船の着くビリングスゲートにいったり、とある家に入りこんだものの料理女に追い出されたり、貧民街で貧しいひとたちとほんの少しの食べものを分けあったりしたあと、クレアは王立郵便局に入りこみます──。

作者のゲイル・E・ヘイリーは、アフリカの民話に材をとった「おはなしおはなし」を描いたひと。巻末の「このおはなしの由来」によれば、1800年代、ネズミに郵便物や為替がかじられる被害をこうむっていた郵便局は、ネコを局員として採用することになったとのこと。のちには、ネコに対する支給を計上することが公認されたということです。絵は、太い描線に淡く色づけされた、版画風(版画?)のもの。このあと、郵便局員ネコとなったクレアは、首からH.M.P.O.C(女王陛下直属郵便局員ねこ)のメダルをぶら下げ、郵便局で幸せに暮らすようになります。小学校中学年向き。

2012年11月20日火曜日

こぐまのくまくん












「こぐまのくまくん」(E.H.ミナリック/文 モーリス・センダック/絵 まつおかきょうこ/訳 福音館書店 1980)

雪の降ったある日、くまくんは母さんぐまに、「寒いよう。ぼく、なにか着るものがほしい」といいました。そこで、母さんぐまはくまくんに、帽子をこしらえてあげました。

ところが、外にでたくまくんは、すぐもどってきてしまいます。「寒いよう。ぼく、なにか着るものがほしい」というので、母さんぐまはくまくんにオーバーをこしらえてやねのですが──。

「こぐまのくまくん」シリーズの一冊です。本書にはお話が4つ入っていて、シリーズはぜんぶで5巻あります。「かいじゅうたちのいるところ」の作者として高名なセンダックは、本書でも、じつに存在感のあるくまくんと母さんぐまを描いています。さて、外にでたくまくんは、すぐにまたもどってきて「寒いよう」と母さんぐまに訴えます。母さんぐまは、こんどはズボンをこしらえてあげるのですが、それでもくまくんは着るものがほしいというのをやめません。「この上なにがほしいの?」「毛皮のマントがほしい」。そこで、母さんぐまは──と、お話は続きます。愛情深い母さんぐまと、ナンセンス味のあるストーリーが楽しい作品です。小学校低学年向き。

まっててね












「まっててね」(シャーロット・ゾロトウ/文 エリック・ブレグヴァド/絵 みらいなな/訳 童話屋 1991)

結婚したばかりの姉さんが、泊まりにきて、楽しく遊んで、また帰っていきました。元の自分の部屋で眠り、まるでお客様のように母さんとコーヒーを飲みました。

姉さんを送っていった帰り、〈わたし〉は母さんにこういいます。わたしも遊びにきてもいい? 姉さんみたいになって、パウダーをこぼさないひとになるし、お風呂場を水浸しになんかにしなくなるのよ──。

「いまがたのしいもん」などの作者、ゾロトウとブレグヴァドによる絵本です。絵は、線画に少し緑と茶色を色づけした、親しみやすいもの。このあとも、「次から次にスカーフをだしたり、ネックレスをつけてみたりしない、いろんなことができるひとになって母さんに会いにくるわ」と、〈わたし〉は続けます。結婚した姉さんにあこがれる〈わたし〉の、可愛らしい一冊です。小学校低学年向き。

2012年11月17日土曜日

クリスマスのまえのばん












「クリスマスのまえのばん」(クレメント・C・ムーア/文 わたなべしげお/訳 ウィリアム・W・デンスロウ/絵 福音館書店 1996)

《クリスマスの まえのばんのことでした。
 いえのなかは ひっそりと しずまりかえり
 なに ひとつ
 ねずみ いっぴき うごきません。

 セントニコラスが はやく くるように と
 ねがいを こめて
 だんろの そばに くつしたが
 だいじそうに かけられています。

 こどもたちは ベッドの なかで
 すやすやと ねむり
 ゆめの なかで いろいろな
 さとうがしが おどっています。》

冒頭の「はじめに」によれば、クレメント・C・ムーアが1822年のクリスマスの前夜、自分の子どもたちを喜ばせようと「セントニコラスの訪れ」という物語詩を書き、これが「クリスマスのまえのばん」としてよく知られるアメリカの古典となったということです。そして、80年後の1902年、「オズの魔法使い」の挿絵で知られる、ウィリアム・W・デンスロウが姪のために絵本に仕立てたのが本書。全体の調子は実に陽気です。煙突を通ったセントニコラスは、文字通り暖炉から飛び出します。

さて、古典である「クリスマスのまえのばん」には、いろいろな訳があります。ここでは、ツヴェルガーが絵を描いた「クリスマスのまえのばん」(江國香織/訳 BL出版 2006)をみてみましょう。












《クリスマスのまえのばんのことでした。
 いえじゅうがしんとして、だれも、それこそねずみいっぴき、
 めざめているものはありませんでした。
 セント・ニコラスがやってきたばあいにそなえて、
 だんろのそばにはくつしたが、ちゃんとつるしてありました。

 こどもたちはきもちよさそうによりそって、ベッドにおさまっていました。
 それぞれのこころのなかで、あまいさとうがしたちが
 おどってもいるのでしょう。》

江國香織さんの訳は、ツヴェルガーのひんやりとした絵によくあった、涼しげなもの。また、江國訳では、詩は〈わたし〉の1人称で語られています。こちらの本では、セントニコラスは陽気に暖炉から飛び出したりはしません。少しはにかんだような顔をして、うつむきかげんに歩いてきます。小学校低学年向き。

2012年11月16日金曜日

子うさぎましろのお話












「子うさぎましろのお話」(ささきたづ/文 みよしせきや/絵 ポプラ社 1978)

クリスマスがやってきて、北の国の動物の子どもたちも、サンタクロースのおじさんから、それぞれ贈りものをもらいました。なかでも、白うさぎの子ましろは、一番先にもらいました。贈りものは、銀色の玉やバラのかたちをしたクリームで飾ってある大きなお菓子と、部屋にかけるきれいな飾りでした。

さて、お菓子をぺろりと食べてしまったましろは、もっとなにかほしくなります。そこで、囲炉裏の燃えがらすりつけて、からだを黒くすると、帰ってくるサンタクロースのおじさんを待ちかまえるために、そっとうちを抜けだします。

クリスマス絵本の一冊です。巻末の「おわりに」によれば、この絵本は、作者である佐々木たづさんの2冊目の童話集「もえる島」のなかの一編をとってつくられたということです。絵は、クレパス(色鉛筆?)でえがかれた、北国の感じがよくでた簡潔なもの。文章はタテ書きです。このあと、黒く化けたましろのことを、サンタクロースのおじいさんはひと目で見抜きます。ですが、空っぽの袋のなかからひとつぶの種をみつけだし、自分のサンドウィッチと一緒に、それをましろに渡します。サンタクロースと別れたましろは、からだにつけた炭をとろうとするのですが、なぜか炭は落ちず、ましろは涙をこぼして──と、お話は続きます。初版は1970年。ましろの心の起伏がよくえがかれた傑作です。小学校中学年向き。

2012年11月15日木曜日

ケムエルとノアのはこぶね











「ケムエルとノアのはこぶね」(ディック・ブルーナ/作 まつおかきょうこ/訳 福音館書店 1999)

昔、地球はそれはそれは美しいところでした。太陽は輝き、鳥は飛び、いろんな色のチョウが舞い、地面は花でいっぱいでした。毛虫のケムエルも、木の下でチョウになる日を夢みていました。

ところが、地上では人間たちが争いばかりしています。そこで、神さまは平和に暮らしているノアの家族に、箱舟をつくるように命じました──。

「うさこちゃん」シリーズで名高い、ブルーナによる、ノアの箱舟伝説をもとにした絵本です。ノアの箱舟をテーマにしても、ブルーナの簡潔で清潔なスタイルは変わりません。このあと、ノアは3人の息子と力をあわせ、大きな船をつくり、神さまに命じられたように、ひとつがいずつ動物たちを船に乗せます。ノアの家族も、毛虫のケムエルとそのガールフレンドも乗りこむと、大雨が降ってきます──。毛虫を登場させたことが、この作品の面白さのひとつです。また、ブルーナはじつにブルーナらしく、大雨を表現しています。小学校低学年向き。

2012年11月14日水曜日

まっててねハリー












「まっててねハリー」(メアリー・チャルマーズ/作 おびかゆうこ/訳 福音館書店 2012)

ある日、ハリーのお母さんは、友だちのお見舞いにいくことになりました。そこで、ハリーは通りの先にあるブルスターさんのお家で待っていることになりました。ハリーは、車と、積み木と、ダンプカーと、風車と、クマさんと、恐竜と、塗り絵と、絵本と、飛行機を荷車に積んで、お母さんと一緒にブルスターさんのお家にいきました。

ハリーは、生まれてはじめてお母さんなしで、よその家ですごします。お母さんがでかけることはわかっていましたが、でも本当に置いていかれるとは思っていなかったので、ハリーはとても悲しくなってしまいます。

子ネコのハリーを主人公にしたシリーズの1冊です。「ピーターラビット」と同じ大きさの、小振りなサイズの本。作者のメアリー・チャールズは、「とうさんねこのすてきなひみつ」をえがいたひとです。絵は、おそらく鉛筆に、ところどころ1色だけ色がおかれた、親しみに満ちたもの。本書でつかわれている色は紫ですが、シリーズ1冊ごとに、つかわれている色が変わります。さて、このあとブルスターさんは、ハリーにクッキーをあげたりして元気づけ、ハリーもしだいに伸びのびと遊ぶようになります。お母さんがハリーを置いていってしまう場面は、深く印象に残ります。小学校低学年向き。

2012年11月13日火曜日

くまのテディちゃん












「くまのテディちゃん」(グレタ・ヤヌス/作 ロジャー・デュボアザン/絵 湯沢朱実/訳 こぐま社 1998)

テディちゃんは、茶色のクマさんです。テディちゃんは、黄色いつりズボンと、赤いゾウがプリントされた小さいエプロンをもっています。すわるのに小さな青い椅子と、小さな青いテーブルと、小さな緑色のコップももっていて、小さな青い椅子にすわって、小さな青いテーブルについて、緑のコップで飲みものを飲みます──。

絵を描いたデュボアザンは、「ごきげんなライオン」「せかいのはてってどこですか」などの画家として高名です。本書でも、明快な、洒落た絵をつけています。テディちゃんはほかにもまだ、小さな緑のお皿と、小さな緑のスプーンと、小さな青いベッドをもっています。

《自分のものを持つのがうれしい…、そして、それを自分で使うのはもっとうれしい…、そんな時期の子どもにぴったりの絵本です》

と、カバー袖に記されています。幼児向き。

2012年11月11日日曜日

もじゃもじゃペーター












「もじゃもじゃペーター」(ハインリッヒ・ホフマン/作 ささきたづこ/訳 ほるぷ出版 1985)

ハインリッヒ・ホフマンによる歴史的な絵本です。巻末に、その由来が載せられていますので、引用してみます。

《もともと開業医として、診察時にむずかる子をなぐさめるために、お話をしたり絵を描いて見せたりするのが得意だったホフマンは、1844年のクリスマスの一週間ほど前、3歳になる息子に贈る適当な絵本を本屋で見つけることができなかったので、かわりに1冊のノートを買ってきて、自分で絵を描き、詩をそえて絵本をつくった。それが出版者カール・F・レーニングの眼にとまり、「もじゃもじゃペーター」を含む6編の話からなる初版が1845年に出版されるやいなや、1ヶ月のうちに1500部を売りつくす大評判をおさめた》

ところで、本書は、「ぼうぼうあたま」(教育出版センター)というタイトルでも出版されました。初版は1936年、第3版は1992年。巻末に記された文章によれば、新版編集者の財団法人五倫文庫というのは、千葉県御宿町の町立博物館のなかにある文庫なのだそう。で、なぜ、この文庫が編集者として名をつらねているのか。この文庫の設立は1892年。当時の御宿村立尋常高等小学校の校長、伊藤鬼一郎が、毎年使用される教科書を保存したことによりはじまったのだといいます。収集は次第に、台湾、朝鮮、中国へと広がり、息子の伊藤庸二がドイツに留学すると、ドイツの教科書も加わります。そして、この伊藤庸二が、甥のために「ぼうぼうあたま」を翻訳して送ったのが、そもそものはじまり。のちに、長男の誕生記念として出版したのが、本書の初版だということです。

物語風の詩と素朴な絵とから成った本書は、ナンセンスで、いささか残酷で、教訓的で、リズミカル。表題となっている「もじゃもじゃペーター」と「ぼうぼうあたま」を引用してみましょう。

「もじゃもじゃペーター」
《ごらんよ ここにいる このこを
 うへえ! もじゃもじゃペーターだ
 りょうての つめは 1ねんも
 きらせないから のびほうだい
 かみにも くしを いれさせない
 うへえ! と だれもが さけんでる
 きたない もじゃもじゃペーターだ!》

「ぼうぼうあたま」
《ちょっと ごらん
 この こども
 ちぇっ!
 ストルーベルペーターめ
 りょうほ の おてて に
 ながい つめ
 いちねん にねん も
      きらせない
 かみ も ぼうぼう
      きらせない
 ちぇっ!
  きたない ペーターめ》

この2冊は、つかわれている絵も、レイアウトもちがうのですが、印刷のぎつい「ぼうぼうあたま」よりも、稚拙な味わいのある「もじゃもじゃペーター」のほう絵が、よりオリジナル版であるようです。また、「もじゃもじゃペーター」は右ページにだけ印刷がされています。「もじゃもじゃペーター」の、カバー袖の文章によれば、ホフマンは、自分の描いた絵が、きれいに修整されたりしないように、職人たちをきびしく監督したということです。小学校中学年向き

2012年11月9日金曜日

ノアの箱舟










「ノアの箱舟」(アーサー・ガイサート/作 小塩節/訳 小塩トシ子/訳 こぐま社 1989)

ノアとその息子たちは、神さまに箱船をつくれと命じられました。箱船には、ノアと、ノアの妻と、ノアの3人の息子とその妻たちが乗り、そして地上のあらゆる生きものが、ひとつがいずつ乗るのです。ある晩、動物たちは、箱船に向かって旅をはじめました。そして、動物たちが箱船のもとに到着したとき、空には一片の雲があらわれました。

動物たちは次つぎに到着し、雲も次つぎにあらわれます。箱船は徐々に建造され、いよいよ雨が降りはじめます──。

ノアの箱船伝説をもとにした絵本です。絵は、すみずみまでみたくなる緻密な銅版画。訳文も、重厚な銅版画にふさわしい、簡潔で力強いものです。さて、大洪水が起こり船が陸地をはなれると、箱船を清潔にたもつために、ノアの一家は懸命にはたらきます。そして、ついに雨が上がった場面では、洗濯物とともに、箱船の屋根でくつろぐノアの一家がえがかれます。読んでいて、乾いた風を感じるような思いがします。小学校中学年向き。

2012年11月8日木曜日

川のぼうけん












「川のぼうけん」(エリザベス・ローズ/文 ジェラルド・ローズ/絵 ふしみみさを/訳 岩波書店 2012)

高い山のてっぺんに、雨つぶが降りました。雨つぶたちは土の割れ目を下り、草木の根本をまわって、やがて石の上をちょろちょろ走る小さな流れになりました。いつのまにか雨が上がり、弧をえがいて飛ぶタカに、流れは声をかけました。「タカさん、一緒に海にいこうよ。ぼく、大きな川にんりたいんだ」

流れはやがて小川になり、滝になり、干上がりそうになったと思ったら嵐のおかげで勢いを増し、一路海へと向かいます。

エリザベスとジェラルドの、ローズ夫妻は、「ウィンクルさんとかもめ」「おおきなかしの木」の作者です。絵は、少ない色数をたくみにつかった、大変生き生きしたもの。本書は、川のはじまりから海にいたるまでを物語風に追ったものですが、同じ題材をあつかった絵本として、「川はながれる」などが思い出されます。どちらの絵本も、読み終えると、川の冒険にすっかりつきあった気持ちになります。小学校中学年向き。

2012年11月7日水曜日

えんぴつくん












「えんぴつくん」(アラン・アルバーグ/文 ブルース・イングマン/絵 福本友美子/訳 小学館 2008)

昔、あるところに、1本のエンピツがありました。どこにでもある、なんてことのないエンピツでしたが、ある日、むくっと起き上がると、ぶるっとからだを震わせ、男の子をひとり描きました。「名前をつけて」と、男の子がいったので、バンジョーと名づけました。すると、「じゃあ、ぼくにイヌを描いて」とバンジョーはいいました。

エンピツ君は、イヌを描き、ネコを描き、2匹が走り回る家を描きます。みんながお腹がすいたというので、リンゴと骨とネコ缶を描くのですが、みんな、これじゃ食べられい、だって白黒だものといいだして──。

エンピツ君が書いた絵が、どんどん本当になっていくという絵本です。絵は、もちろんエンピツと水彩でえがかれたもの。みんなに、「白黒だもの!」といわれたエンピツ君は、ちょっと考えて、絵の具の筆を描きます。キティ(絵の具の筆の名前)のおかげで、世界はすっかりカラフルになるのですが、こんどはみんな、自分の容姿や格好に文句をいいはじめます。そこで、エンピツ君は消しゴムを描くと消しゴムは調子にのって、世界をどんどん消しはじめ──と、お話は続きます。みんなからの要望を、とんちを効かせて乗り切る、エンピツ君の活躍が楽しい一冊です。小学校低学年向き。

2012年11月6日火曜日

せかいをみにいったアヒル












「せかいをみにいったアヒル」(マーガレット・ワイズ・ブラウン/文 イーラ/写真 ふしみみさを/訳 徳間書店 2009)

ある日、アヒルは世界をみにいこうと思いました。そうだよ、クワッ、グワッ。まだ、だれもアヒルをみたことがないかもしれないだろう? アヒルは水浴びをして、翼をばさばさやり、身支度をととのえると、海を泳いで砂浜にたどり着きました。

アヒルは、砂漠で一匹のイヌと出会います。生まれてはじめてアヒルをみたイヌは大喜び。動物園にはいろんな動物がいるとイヌから聞いたアヒルは、カメの背中に乗り、さっそく町に向かいます。

「おやすみなさいおつきさま」で高名な、マーガレット・ワイズ・ブラウンと、「二ひきのこぐま」などの写真絵本を手がけたイーラによる一冊です。本書も写真絵本。たくみな編集により、次つぎに動物たちと出会うアヒルの旅が、ユーモラスにえがかれています。さて、このあと動物園にでかけたアヒルは、ライオンやトラと会ったり、ニワトリと合唱したりします。大胆不敵なアヒルと、動物たちとのやりとりが楽しい絵本です。小学校低学年向き。

2012年11月3日土曜日

リリィのさんぽ












「リリィのさんぽ」(きたむらさとし/作 平凡社 2005)

リリィは、子イヌのニッキーと散歩をするのが大好きでした。少しくらい暗くなっても、ニッキーと一緒なら、ちっとも怖くありません。きょうもリリィはニッキーと一緒に散歩にでかけ、途中買いものをして、おばさんのお家の前を手を振りながら通り、橋を渡って家に帰りました。

リリィは散歩の途中、星を見上げたり、川のカモに挨拶をしたりします。でもそのとき、ニッキーは、風景のなかに恐ろしい顔をみつけたり、化けものに出会ったりしていたのです──。

きたむらさとしは、「ぼくはおこった」の作者。ユーモラスでマンガ風な絵柄が特徴です。散歩中、風景の一部が顔になっていたり、化けものがあらわれたりいて、ニッキーが怖い思いをしているのに、リリィはのんきに歩いているのが可笑しいところです。表紙にも、よくみると不思議な顔が隠されています。小学校低学年向き。

2012年11月2日金曜日

おいっちにおいっちに












「おいっちにおいっちに」(トミー・デ・パオラ/作 みらいなな/訳 童話屋 2012)

おじいちゃんは、ぼくの一番の親友でした。おじいちゃんの名前はボブ。ぼくの名前、ボビーの「ボ」は、おじいちゃんからもらいました。ぼくがよちよち歩きのとき、おじいちゃんは歩き方を教えてくれました。「あんよは上手。おいっちに、おいっちに」。ある日、ぼくとおじいちゃんは、階段の下にある納戸から、古い積み木をみつけました。積み木は全部で30個。うまく積み上がるときもあれば、くずれるときもありました。30個目の、ゾウの積み木をのせたとき、おじいちゃんがくしゃみをしたので、積み木はくずれてしまいました。ぼくはそれをみて大笑いしました──。

ぼくは、おじいちゃんのひざにのってお話を聞いたり、一緒に花火をみにいったりします。ところが、ある日、おじいちゃんは脳の病気になって入院していまいます。

「神の道化師」などで高名な、トミー・デ・パオラによる絵本です。このあと、退院してきたおじいちゃんは、じっとしているきりで、ボビーはなんだか怖くなってしまいます。「おじいちゃんはなにもかも、全部わからなくなってしまったのよ」と、お母さんはいうのですが、ボビーはそんなことあるもんかと思います。そして、階段の下の納戸から積み木を引っ張りだして、おじいちゃんの前で積み木を積んでいきます。おじいちゃんとぼくの友情をえがいた、美しい絵本です。小学校低学年向き。

2012年11月1日木曜日

あそぼうよ












「あそぼうよ」(五味太郎/作 偕成社 2001)

小鳥がキリンに「あそぼうよ」というと、キリンは「あそばない」とこたえます。顔をそらしたり、木に頭を突っこんだり、ゾウのかげにかくれたりするキリンに、小鳥は何度も「あそぼうよ」といい続けるののですが──。

「みんなうんち」など、多くの著書をもつ五味太郎さんによる絵本です。言葉はほとんど、「あそぼうよ」「あそばない」だけ。にもかかわらず、小鳥とキリンのあいだに親しいものを感じさせます。キリンのデザインなど、絵柄も秀逸。ラストも気が利いています。小学校低学年向き。