2012年3月30日金曜日

ありがとう、フォルカーせんせい












「ありがとう、フォルカーせんせい」(パトリシア・ポラッコ/作・絵 香咲弥須子/訳 岩崎書店 2001)

トリシャが5才になったとき、家族はいつもの儀式をしました。おじいちゃんは、トリシャにもたせた本の上にハチミツをたらしました。「ハチミツは甘い、本も甘い、読めば読むほど甘くなる!」と、家族はうたいました。

でも、トリシャはぜんぜん文章が読めるようになりません。好きなのは絵を描くことと、ぼんやりすること。それから、おばあちゃんと裏の森を散歩すること。わたし、みんなとちがうのかな、頭が悪いのかなと、トリシャは悩みます。月日は流れ、おじいちゃんとおばあちゃんは亡くなり、家族はママの仕事の都合でカリフォルニアに引っ越しをすることになります。新しい学校では、先生も友だちも、わたしの頭が悪いってことに気がつかないかもしれないと、トリシャは思うのですが──。

LD(学習障害)についての絵本です。似たテーマを扱った絵本に「よめたよリトル先生」があります(こちらはADHD)。本書は「よめたよリトル先生」と同様、自伝的な絵本ですが、LDを克服する過程よりも、それ以前の辛く苦しい気持ちにより焦点が当てられています。絵は、鉛筆による線画に、おそらくマーカーで色を塗ったもの。人物のしぐさや表情がよくとらえられ、生き生きとえがかれています。このあと、学校をずる休みしがちになった5年生のトリシャの前に、フォルカー先生があらわれます。フォルカー先生は、いじめっ子からトリシャを助け、トリシャの置かれた状況を見抜き、「きみは必ず読めるようになる」とはげまして、一緒に特訓をします。巻末には、「おうちの方、先生方へ」と題された、日本LD学会会長の上野一彦さんによる文章が記されています。ところで、トリシャがハチミツをかけている本は、どうもディケンズの「大いなる遺産」のようにみえますがどうでしょう? 小学校中学年向き。

2012年3月29日木曜日

さとうねずみのケーキ












「さとうねずみのケーキ」(ジーン・ジオン/文 マーガレット・ブロイ・グレアム/絵 わたなべしげお/訳 アリス館 2006)

昔、トムという名前のケーキ職人が、王様のお城の台所ではたらいていました。トムはすぐれたケーキ職人でしたが、それを知っているひとはだれもいませんでした。というのも、まだ見習いのトムは、けっしてケーキを焼かせてもらえなかったからです。

夜、みんなが台所から引き上げると、トムは小麦の貯蔵庫にすむ白いネズミのティナのために、小さいケーキをいくつか焼いてやります。ティナはとても賢いネズミで、トムが「そらいけ」というと、とんぼ返りをし、「とまれ」というと、ぴたっと止まり、オルゴールを鳴らすと踊りだします。そして、ある日、「料理長が来週をもって引退することになったため、料理人のケーキコンテストをすることになった」と、台所に王様のおふれが貼りだされ──。

「どろんこハリー」で高名な、ジーン・ジオンとマーガレット・ブロイ・グレアムの夫妻よる絵本です。このあと、ケーキコンテストのために、トムは白砂糖のネズミをたくさん飾った、立派なケーキをつくります。ですが、同僚たちの悪ふざけのために、ケーキのてっぺんにいたネズミの女王がこわれてしまいます。そこで、トムはティナを女王の代わりにして…とお話は続きます。少し長めのお話ですが、ケーキの上のティナがこれからどうなってしまうのかと、最後まで手に汗握って読むことができる、読物絵本です。小学校低学年向き。

2012年3月28日水曜日

よじはんよじはん











「よじはんよじはん」(ユンソクチュン/文 イヨンギョン/絵 かみやにじ/訳 福音館書店 2007)

小さな女の子が、となりの店にいっていいました。「おじさん、おじさん、いま何時。母さんが聞いてきてって」「4時半だ」と、おじさんはこたえました。

女の子は「よじはん、よじはん」といいながら、うちにもどります。ですが、ニワトリが水を飲んでいるところにでくわし、ちょっと見ていくことにします。それから、アリがものをはこんでいくところを見物したり、トンボについていったりして──。

「ふしぎなかけじく」「あかてぬぐいのおくさんと7にんのなかま」などをえがいたイ・ヨンギョンによる絵本です。巻末には、訳者の神谷丹路さんによる解説がついています。それによれば、文を書いたユン・ソクチュンは、植民地時代、韓国朝鮮の民族の心を守ろうと努力した韓国を代表する童詩作家だそう。絵は、おそらく夏の終わりごろと思われる風景を、情感をもってえがいたもの。家にもどったとき、もう日が暮れかけているのですが、女の子が引け目を感じていないところが愉快です。幼児向き。

2012年3月27日火曜日

くまおとこ












「くまおとこ」(グリム/原作 フェリクス・ホフマン/絵 酒寄進一/訳 福武書店 1984)

昔、ひとりの若者がいました。戦争のあいだ、兵隊として勇敢にたたかっていました。でも、戦争が終わると兵隊をやめることになりました。「どこへでもいってしまえ」と隊長はいいました。

若者は旅を続け、荒れ地にある木立ちにたどり着きます。そこで、ひと休みしていると、緑の服を着て、片足が馬の足をした男があらわれます。男は、若者の勇気をためすため、若者にクマをしかけます。若者がなんなくクマを退治すると、こんな話をもちかけます。「からだを洗わず、ひげをそらず、髪をとかさず、爪を切らずに7年のあいだすごすのだ。お祈りもしてはいけない」。若者が思いきってやってみるというと、男はポケットからほしいだけのお金がでてくる緑の服を脱ぎ、若者に渡します。さらに、クマの皮をはいで、これがマントだといいます。「寝るときも脱いではならん。おまえはクマ男になるのだ」

グリム童話をもとにした絵本です。片足が馬の足をした男は、もちろん悪魔。このあと、何年かたち、クマ男はひどい風体になりますが、どこへいっても「わたしのために祈っておくれ」と頼みながら、貧しいひとにほどこしをしてまわります。あるとき、宿に払うお金がなくて困っているおじいさんを助けると、おじいさんの3人の娘をを紹介され、クマ男をいやがらない末の娘と結婚することになります。クマ男は指輪を2つに折り、娘に渡してこういいます。「わたしはまだ3年のあいだ旅を続けなくてはなりません。3年してもどってこなければ、わたしのことを忘れてください」──。ホフマンは本書でも素晴らしい仕事をしています。小学校低学年向き。

川をはさんでおおさわぎ











「川をはさんでおおさわぎ」(ジョーン・オッペンハイム/作 アリキ・ブランデンバーグ/絵 ひがしはじめ/訳 アリス館 1981)

昔、「川のほとりのウィンロック」と呼ばれる小さな村がありました。川には古ぼけた木の橋がかかり、村人は川の東と西に分かれてくらしていました。村には、鍛冶屋がひとり、仕立屋がひとり、医者がひとり、煙突掃除屋がひとり、靴屋がひとり、お百姓がひとり、パン屋がひとり、はた織り屋がひとり、それにきこりがひとり住んでいました。

川の東側に暮らす村人と、西側に暮らす村人は、あまり仲が良くありません。いつも、けんかばかりしています。ある晩、嵐が吹き荒れて橋がこわれてしまうのですが、東の村人も西の村人も橋を直そうとしません。おかげで、東の村人も、西の村人もおだやかに暮らすのですが──。

川の両岸に住む村人たちが、仲たがいをやめて仲良く暮らすという絵本です。このあと、パン屋は煙突掃除をしなければならないと思うのですが、煙突掃除屋は川の向こう岸にいます。そのころ、煙突掃除屋は靴をだめにしてしまうのですが、靴屋は川の向こう側にいます。この調子で、仕事を頼みたい相手はみんな向こう岸にいて…とお話は続きます。絵は、輪郭線のはっきりした、絵本らしいもの。必要な相手がみんな川の向こう側にいるという、くり返しが楽しい一冊です。小学校低学年向き。

2012年3月23日金曜日

マッチうりの女の子












「マッチうりの女の子」(ハンス・クリスチャン・アンデルセン/作 スベン・オットー/絵 乾侑美子/訳 童話館 1994)

大みそかの夕方、ひとりの貧しい女の子が、雪の降る町を歩いていました。女の子は帽子をかぶらず、足ははだしでした。その足は、寒さのせいで赤や青のまだらになっていました。すりきれたエプロンのなかにはマッチをたくさん入れ、手にもひとたば握っていました。その日一日中、だれも女の子のマッチを買ってくれませんでしたし、だれも銅貨一枚さえくれませんでした。

家に帰る気にはなりません。1本のマッチも売っていないのですから、きっとお父さんにぶたれるでしょう。女の子は、一軒の家のかげに身をよせます。マッチを1本すると、あたたかな明るい炎が燃え上がり、女の子はまるで鉄のストーブの前にすわっているような気分になります──。

アンデルセン童話「マッチ売りの少女」をもとにした絵本です。絵を描いたスベン・オットーも、アンデルセンと同国のデンマークのひと。水彩でえがかれたその絵は、品があり、情感に満ちています。絵本化されたアンデルセン童話のなかでも、出色の一冊です。小学校低学年向き。

2012年3月22日木曜日

クリスマス人形のねがい












「クリスマス人形のねがい」(ルーマー・ゴッデン/文 バーバラ・クーニー/絵 掛川恭子/訳 岩波書店 2001)

クリスマスイブの朝、小さな田舎町にある、ブロッサムさんのおもちゃの店では、おもちゃたちが「どんなことがあっても今日中に買ってもわらなくちゃ」と、ささやきあっていました。みんなはだれかに買ってもらえるよう願いごとをし、お人形のホリーも同じように願いごとをしました。

さて、とある大きな町の町はずれに、セント・アグネスという名前の大きな家がありました。そこに、アイビーという、6歳になる女の子が住んでいました。ほかの男の子や女の子たちは、みんなクリスマスのあいだ預かってくれる親切なおばさまやおじさまの家にいったのですが、アイビーのことはだれも招いてくれませんでした。「いいもん、あたしアップルトンのおばあちゃんのところにいくんだもん」と、アイビーはいいました。でも、ほんとうはアイビーにおばあちゃんなんていませんでした。

アイビーは「幼子の家」というところにいかされることになります。ところが途中、アップルトンの駅で、アイビーはスーツケースもなにも忘れたまま降りてしまいます──。

「人形の家」(岩波書店)などで高名なルーマー・ゴッデンと、「ルピナスさん」をえがいたバーバラ・クーニーによる読物絵本です。このあと、警官のジョーンズさんやその奥さんが登場し、物語は思いもかけないほうに進んでいきます。そして、「これは、ねがいごとのお話です」という冒頭の一文からはじまったように、願いごとはなにもかもかなって大団円をむかえます。その物語はこびの見事さにはほれぼれします。小学校高学年向き。

2012年3月21日水曜日

セミ神さまのお告げ












「セミ神さまのお告げ」(宇梶静江/古布絵制作・再話 福音館書店 2008)

昔、北の海辺に2つの村がありました。海辺のそばの下の台地にあるのが、ランペシカ・コタン、上の台地にあるのがリペシカ・コタンでした。下の台地のランペシカ・コタンには、六代の人の世を生きてきたおばあさんがいました。ウバユリの花が咲くころ、おばあさんはこんな歌をうたいはじめました。「下の台地のランペシカ・コタンの人々よ。上の台地のリペシカ・コタンの人々よ。坂をのぼり、高い台地にうつりなさい。海から津波が押しよせ、山から津波が押しよせ、海津波と山津波がひとつになり、大津波となってやってくる──」

おばあさんは昼も夜もうたい続け、上の台地のリペシカ・コタンの村人たちは、おばあさんのお告げにしたがって、さらに上の高い台地に家をうつします。すると、ある日、おばあさんの予告どおり、海津波と山津波が押しよせ、おばあさんとわずかに生き残ったランペシカ・コタンの村人は、海に流されてしまいます──。

アイヌの昔話をもとにした絵本です。前作の「シマフクロウとサケ」と同様、絵にあたる部分は、アイヌ刺繍によってえがかれています。おばあさんの歌の表現など、思わず目を見張ります。このあと、海に流されてしまったおばあさんが、海の主であるアトゥイコルカムイ・エカシにむかって歌をうたうと、アトゥイコルカムイ・エカシは腹を立て、おばあさんを手のひらで握りつぶし、六つ地獄へ突き落としてしまい…と、まだまだお話は続きます。巻末に、作者による「この絵本を読んでくださった方へ」という文章があり、作品の理解を助けてくれます。小学校中学年向き。

2012年3月19日月曜日

リディアのガーデニング












「リディアのガーデニング」(サラ・スチュワート/文 デイビッド・スモール/絵 福本友美子/訳 アスラン書房)

1935年夏、リディアは町でパン屋をしているジムおじさんの家で暮らすことになりました。大恐慌のため、パパには仕事がなく、ママに仕立物を頼むひともいなくなったからです。おじさんの家にいくのに、ガーデニングの大好きなリディアは、花の種をたくさんもっていきました。

ジムおじさんはにこりともしないひとでしたが、快活なリディアは、おじさんに詩を書いてあげたり、おじさんの店でエドとエマからパンのつくりかたを習ったりします。もちろん、ガーデニングもはじめ、お店のまわりを花でいっぱいにして、お客さんから「ガーデニングのリディア」と呼ばれるようになります。

大恐慌のため、ちっとも笑わないおじさんと暮らすことになったリディアのお話です。絵は、水彩とたぶん色鉛筆でえがかれたもの。リディアはやせっぽっちで赤毛の、ショートカットの女の子。物語は、リディアの手紙として語られます。このあと、リディアは、ジムおじさんを笑わせようと、ある計画を思いつき、「美しいものについて今まで教わったことをぜんぶ思い出して」、実行にうつします──。最初の見返しから、最後の見返しまで、見所の多い一冊です。1998年コールデコット賞オナー賞。小学校中学年向き。

2012年3月16日金曜日

かばくん









「かばくん」(岸田衿子/文 中谷千代子/絵 福音館書店 1966)

朝、男の子はカメを連れて動物園にやってきました。カメはカバと一緒に動物園で一日をすごします。子どもたちが大勢見物にきて、カバはキャベツを丸飲みにします──。

カメがカバと一日をすごすという絵本です。文章は、詩でで表現されています。冒頭を少し引用してみましょう。

〈どうぶつえんに あさが きた
 いちばん はやおきは だーれ
 いちばん ねぼすけは だーれ

 おきてくれ かばくん
 どうぶつえんは もう11じ
 ねむいなら ねむいと いってくれ
 つまらないから おきてくれ〉

詩にはほとんど主語や目的語がありません。でも、絵をみると、だれがだれにいっているのか、なんとなくわかります。これは見事な構成のためでしょう。絵は、おそらく油絵。カバの量感や、色であわらされた一日の移り変わりなどが、たくみに表現されています。リズミカルな詩とともに、何度も読み返したくなる一冊です。幼児向き。

2012年3月15日木曜日

女トロルと8人の子どもたち











「女トロルと8人の子どもたち」(グズルン・ヘルガドッティル/文 ブリアン・ピルキングトン/絵 やまのうちきよこ/訳 偕成社 1993)

女トロルのフルンブラは、ある日、大きくてみにくい男トロルに出会って夢中になりました。男トロルは遠いところに住んでいて無精者だったので、フルンブラの家にきてくれません。でも、フルンブラが会いにいくと、男トロルはとても喜んで、2人は抱きあってキスをして、転げまわりました。すると、山はふるえ、地面はぐらぐら揺れて、人間たちは「あっ、地震だ!」と叫ぶのでした。

ある晩、フルンブラは8人の男の子を生みます。8人とも父親に似て、見た目はよくないのですが、フルンブラはなんてきれいな子たちだろうと思います。そして、人間たちが「なんの音だろう?」と首をかしげるようなうなり声をあげながら考えて、子どもたちに、おおかわいい子、まあかわいい子、なんてかわいい子、とってもかわいい子、すごくかわいい子、ほんとにかわいい子、めちゃかわいい子、なんともかわいい子と、名前をつけます──。

副題は「アイスランドの巨石ばなし」。アイスランドを舞台にした絵本です。お父さんが巨石のもとで、ヨーンという男の子に、トロルのお話をするという形式で物語は語られます。まず、お父さんは山に住むトロルについてこんな風に説明します。

トロルは大きなからだで、手のひらにヒツジをのせられるほどの力もち。100年に一度だけする掃除のときは、家のなかのものを全部山の割れ目から外に放りだします。すると、山から石が吹き飛んで、大きな岩がくずれ落ち、山のかたちが変わってしまいます。ごちそうをつくるのは、100年か、1000年に一度だけ。トロルが大きなかまどに火を焚くと、山からもくもく煙がわいて、ふもとの山まで灰が降ってきます。

そして、このあとお父さんは、上記した女トロルのフルンブラの話をはじめます。さて、その話の続きですが、フルンブラはお乳が止まったとたん、父親の男トロルのことを思いだし、子どもをみせにいこうと思い立ちます。トロルは日に当たると石になってしまうので、日が暮れてから、フルンブラは子どもたちを連れ、急いで出発するのですが…。絵は、質感がよく表現されたもの。愛情深い女トロルのフルンブラが印象的な、気持ちが大らかになる一冊です。小学校中学年向き。

2012年3月14日水曜日

おかあさんとわるいキツネ












「おかあさんとわるいキツネ」(イチンノロブ・ガンバートル/文 バーサンスレン・ボロルマー/絵 つだのりこ/訳 福音館書店 2011)

モンゴルの北の果て、タイガと呼ばれる深い森のなかに、トナカイを飼って暮らしているひとたちがいました。そこには、人間の赤ちゃんを狙う悪いキツネたちも住んでいました。あるとき、1匹のキツネがオルツ(トナカイを飼って暮らしているひとびとの家)をのぞきこみました。でも、赤ちゃんのそばにはお母さんがいたので、キツネは森のなかへ帰っていきました。

さて、お母さんがトナカイの乳しぼりにでかけたのをみて、キツネはこっそりオルツに忍びこみます。ですが、お母さんが帰ってきたのに気がつき、すぐ退散します。いっぽう、お母さんはキツネの毛が落ちているのをみつけ、悪いキツネが赤ちゃんを狙っていることに気がつきます──。

モンゴルを舞台にしたお話です。絵はイラスト風で、しかしよく感情のこもったもの。このあと、お母さんは赤ちゃんがウサギにみえるように化粧をしたり、トナカイにみえるように着ぐるみを着せたりするのですが、キツネはそれを見破り赤ちゃんをさらっていきます。そこで、お母さんはトナカイにまたがりキツネを追いかけて…と、お話は続きます。お母さんの必死の追跡が印象的です。また、活劇のあと、洒落た結末がついています。小学校低学年向き。

2012年3月13日火曜日

こだぬき6ぴき












「こだぬき6ぴき」(なかがわりえこ/文 なかがわそうや/絵 岩波書店 1976)

つみき山のてっぺんに、8本ドレミファ杉にかこまれた、タヌキのたぬ吉さんの家がありました。たぬ吉さんは音楽家でした。子どもが6匹いて、それぞれ、まめいち、まめじ、まめぞう、まめよ、まめこ、まめろく、といいました。まめよとまめこは女の子で、あとは男の子でした。

たぬ吉さんがベランダの揺り椅子でパイプをくわえていると、6匹の子ダヌキたちがやってきて、たぬ吉さんがオニをやるはめになって、かくれんぼがはじまります──。

絵は、色鉛筆でえがかれたカラフルなもの。勢いのある描線が魅力的です。たぬ吉さんの顔が、ちょっとしょぼくれているところに愛嬌があります。6匹の子ダヌキたちは、お昼を食べるのにも、お昼寝をするのにも大騒ぎ。ついに、お母さんに、「音楽会には連れていきませんよ」と怒られてしまいます。きょうは7時から、お父さんも参加する音楽会があるのです…。後半、6匹の子ダヌキたちが歌をうたう箇所があります。やんちゃ盛りの子ダヌキたちの振る舞いが楽しい一冊です。小学校低学年向き。

なみにきをつけてシャーリー










「なみにきをつけてシャーリー」(ジョン・バーニンガム/作 へんみまさなお/訳 ほるぷ出版 2004)

シャーリーは、お父さんとお母さんと一緒に海辺にやってきました。「水が冷たくて、とても泳げないわよ」と、お母さんはいいました。「どうして、あの子たちの仲間に入らないの?」「気をつけて、新しい靴を汚いタールで汚しちゃだめよ」。お母さんがそういっているあいだに、シャーリーはボートをこいで、沖にいる海賊船に乗りこんで──。

とても実験的な作風の絵本です。左ページには、海辺で編み物をしたり、新聞を読んだりする、お母さんとお父さんがいます。そのページにはお母さんのセリフと思われる文章が記されています。そして、右ページには、シャーリーが飼い犬と一緒に、海賊たちと大立ち回りを演じたり、財宝を掘りだしたりする様子がえがかれます。おそらく、右ページにえがかれているのは、シャーリーが海辺でやっているひとり遊びなのでしょう。この絵本を子どもたちに読んでみると、子どもたちもすぐ「こっちは女の子の遊びなんだよ」などといいだします。子どもの想像力にたいする信頼に満ちた一冊といえるでしょうか。姉妹編に「もうおふろからあがったら、シャーリー」(童話館 1994)があります。小学校低学年向き。

2012年3月9日金曜日

ピーターのとおいみち










「ピーターのとおいみち」(バーバラ・クーニー/絵 リー・キングマン/文 三木卓/訳 講談社 1997)

ピーターは森のなかに住んでいました。ピーターには、ネコやイヌやヒツジやアヒルがいましたが、一緒に遊べる男の子や女の子はいませんでした。「5つになったら、村の学校へいくことになるの。そうしたら、毎日一緒に遊べる友だちができるわよ」と、お母さんはいいました。

ある春の日、とうとう5つになったピーターは、願いごとをしながらケーキの上のロウソクを吹き消します。でも、ぜんぶ消すことはできません。「ぼくのお願いだめなんだよ!」と、ピーターが泣き声になると、お母さんはこういいます。「それはね、放っておいたらうまくいかないっていうだけのことですよ。願いごとは自分でかなえるのよ」

「ルピナスさん」などで名高いバーバラ・クーニーによる絵本です。絵は、おそらく色鉛筆でえがかれたもの。少ない色数で、美しく端正な世界が表現されています。このあと、心をきめたピーターは、村の学校をめざしてひとりで歩きはじめます。最後に、読者はピーターと秘密をともにすることになる、楽しい一冊です。小学校低学年向き。

2012年3月8日木曜日

とら猫とおしょうさん












「とら猫とおしょうさん」(おざわとしお/再話 かないだえつこ/絵 くもん出版 2010)

昔、ある村の貧乏寺に、ひとりの和尚さんがいました。和尚さんは、トラ毛のネコをとても可愛がっていて、夜になると、布団に入れて一緒に寝ていました。ところが、夜中になると、トラはいつもいなくなっていました。

ある晩、和尚さんはトラがどこへいくのか確かめてみようと思います。眠ったふりをしていると、トラは布団からでて、和尚さんの衣を着て外にいき──。

青森県八戸市で語り継がれた「猫檀家」という昔話をもとにした絵本です。絵は、水彩と色鉛筆でえがかれた親しみやすいもの。空間がよく表現され、絵というよりも画面といいたくなります。このあと、トラのあとをついていった和尚さんは、古寺で大勢のネコたちが宴会を開いているところにでくわします。うっかりくしゃみをすると、ネコたちはあっというまにいなくなり、そして翌朝、トラは和尚さんにいとまを告げにあらわれます。そのとき、お世話になったお礼にと、トラはこんなことを話します。「2、3年すると、となり村でお葬式があります。その途中、わたしが棺桶を空に巻き上げます。そこへきて、「なむからたんの、とらやんのや」とお経をあげてください。そしたら、棺桶を下ろしましょう」──。因果関係があるのかないのかよくわからないところに魅力があります。小学校中学年向き。

2012年3月7日水曜日

もりのキャンプ












「もりのキャンプ」(ロザモンド・ドーアー/作 バイロン・バートン/絵 掛川恭子/訳 講談社 1994)

ある朝、ウシガエルのブルフロッグはガートルードに、「キャンプにいこう」といいました。2人はすぐ荷物をつめて、森へキャンプにでかけました。森の開けた場所につくと、ガートルードは木の枝を拾いにでかけました。

ガートルードが、抱えきれないほど木の枝をあつめていると、ふいにシュルシュルと音がします。あらわれたのは小さなヘビ。「噛まないから、危なくないよ」という、さびしがりやのヘビを、ガートルードはブルブロッグのところへ連れていきます。

「ヘスターとまじょ」などの作者、バイロン・バートンによる絵本です。小振りなサイズで、絵はマンガ風。このあと、2人はヘビと仲良くすごすのですが、翌朝は別れて帰らなくてはいけません。そこで2人は…と、お話は続きます。小学校低学年向き。

白鳥の湖












「白鳥の湖」(ピョートル・チャイコフスキー/原作 リスベート・ツヴェルガー/文・絵 池田香代子/訳 ブロンズ新社 2009)

昔、ひとりの王子がいました。くる日もくる日も遊んでばかり、夜は宴にうつつを抜かしていました。王子のお母さまは、18歳になった息子にいいました。「いつまでそんなことをしているおつもり? あした舞踏会を開きます。姫君たちをおまねきしますから、そのうちのどなたかと結婚しなさい」。けれども、王子には結婚する気などさらさらありませんでした。すると、そのとき、空いっぱいに白鳥の群が飛んでいきました。王子は、宴の客たちと一緒に白鳥を狩りにいきました。

お酒を飲んだあと急に走ったりしたので、王子はひとり湖のほとりで休みます。すると、世にも美しい娘があらわれます。娘は、悪い魔法使いに白鳥の姿に変えられてしまったのだと、身の上を打ち明けます。「わたしを救えるのはただひとつ、本当の愛だけなのです」。そこで、王子は永遠の愛を誓うのですが──。

チャイコフスキーのバレエ、「白鳥の湖」をもとにした絵本です。黒い白鳥が現れる場面では、ページが黒くなるという工夫がなされています。バレエの「白鳥の湖」は悲劇ですが、この絵本はハッピーエンドで終わります。というのも、もともとチャイコフスキーは、このバレエをハッピーエンドとして考えていたそうで、あとがきで作者のツヴェルガーはこう書いています。「それを知って、わたしがどれほどうれしかったか、おわかりいただけるでしょう」。品があり、繊細な美しさがあるツヴェルガーの絵の魅力が、充分に楽しめる一冊です。小学校中学年向き。

2012年3月5日月曜日

こねこのぴっち









「こねこのぴっち」(ハンス・フィッシャー/文 絵 石井桃子/訳 岩波書店 1987)

リゼットおばあさんの家に住む、子ネコのピッチは、ほかの子ネコのように、とっくみあったり、毛糸玉にじゃれたりしませんでした。そんなことより、もっと別のことがしたかったのです。「オンドリになりたいなあ!」と思ったピッチは、オンドリ父さんのあとをついていき、2本足でけっこう上手に歩けるようになりました。それから、エサをつつくことをおぼえ、オンドリ父さんに負けないくらい大きな声で、「こけこっこう!」と鳴けるようになりました。

でも、オンドリ父さんがとなりのオンドリとけんかをはじめると、ピッチはそこから逃げだします。次に、ヤギを出会ったピッチは、「ヤギになってみたいなあ!」と思い──。

いろんなものになりたいと思う、子ネコのピッチのお話です。絵は、生き生きとした描線に、少しだけ色づけしたもの。このあと、ピッチはアヒルやウサギになりたいと思うのですが、うまくいきません。そして、夜をウサギ小屋ですごすことになり、大変怖い思いをして、具合を悪くしてしまうのですが…と、お話はまだまだ続きます。フィッシャーの代表作。古典的名作の一冊です。小学校低学年向き。

2012年3月2日金曜日

いろいろへんないろのはじまり












「いろいろへんないろのはじまり」(アーノルド・ローベル/作 まきたまつこ/訳 富山房 1977)

ずっと昔、色というものはありませんでした。ほとんどが灰色で、さもなければ黒か白でした。「灰色の時」と呼ばれていたそのころ、ひとりの魔法つかいが毎朝窓を開けては、「世の中なにかまちがっとる」といっていました。「これでは、雨がやんでも、日が照っても、さっぱりわからんじゃないか」

魔法使いは、これをちょっぴり、あれをぴょっぴりかき混ぜて、青色をつくりだします。おかげで、世界中が青色の、「青色の時」がはじまります。ですが、どこもかしこも青いため、やがてみんなは悲しい気持ちになってしまい、そこで魔法使いはふたたび、これをちょっぴり、あれをひょっぴり、かき混ぜて──。

「星どろぼう」「がまくんとかえるくん」シリーズで高名な、アーノルド・ローベルによる絵本です。最初、「灰色の時」では白黒なのですが、「青色の時」になると、青色がつかわれます。その後、話の進展にあわせて、色が増えていくという趣向がとられています。このあと、「黄色の時」があり、「赤の時」があるのですが、どちらもうまくいきません。そのとき、たまたま青と赤と黄色が混ざりあって…とお話は続きます。いかにも画家らしい発想でえがかれた一冊です。小学校低学年向き。

2012年3月1日木曜日

かさの女王さま












「かさの女王さま」(シリン・イム・ブリッジズ/文 ユテウン/絵 松井るり子/訳 2008)

タイの山あいに、何百年ものあいだカサをつくり続けてきた村がありました。その村のカサは、どのカサも、村の女のひとの描いた花とチョウでかざられていました。毎年、お正月には、村いちばんの絵つけをした「カサの女王」が選ばれ、そのひとを先頭に、雄大なカサ行列がおこなわれました。

さて、小さなヌットはお母さんにお願いして、カサに絵つけをしてみます。出来映えは上々で、「すこし練習すれば、ヌットはいい絵つけ師になれるぞ」と、お父さんがぎゅっと抱きしめてくれます。次の日、ヌットは5本のカサに、自分の好きなゾウの絵を描くのですが、「花とチョウの絵を描くんだよ」と、お父さんに注意されます。村では花とチョウの絵しか売りません。絵つけは遊びではなく仕事なのです──。

タイの、カサをつくり続けている村に住む、ヌットという女の子のお話です。絵は、おだやかな色づかいが美しい、版画調のもの。このあとヌットは、昼間はせっせと花とチョウの絵を描くのですが、夕方には余った竹と紙で小さなカサをつくり、そこにゾウの絵を描いて窓辺にかざるようになります。お正月が近づくと、冬の宮殿にやってきた王さまが、カサの女王を選ぶため、村におこしになることになります。そしてお正月、村人たちが最高のカサを広げた通りを、王さまはゆっくりとごらんになっていき…。おそらく、表紙にはこのあとのことが描かれていると思われます。小学校低学年向き。