2011年12月28日水曜日

おはなしばんざい












「おはなしばんざい」(アーノルド・ローベル/作 三木卓/訳 文化出版局 1977)

木の下で本を読んでいたネズミは、イタチに捕まってしまいました。イタチがネズミをお鍋に入れると、ネズミが「待って!」といいました。「このスープはおいしくならないよ。だって、お話ってものを入れてないもの」。そして、お話なんかもっていないというイタチの代わりに、ネズミはお話をはじめました。

イタチに捕まってしまったネズミが、機転をきかせ、お話をつかってそこから逃れるという絵本です。ネズミがするお話はぜんぶで4つ。
「みつばちとどろんこ」
「ふたつのおおきないし」
「こおろぎ」
「とげのあるき」

最初のお話、「みつばちとどろんこ」を紹介しましょう。ネズミの男の子が森を歩いていると、木の上からミツバチの巣が落ちてきて、頭の上に乗っかってしまいました。「きみら、どこかへいっってくれよ。ぼくは頭のてっぺんにハチの巣なんか乗っけておきたくないんだから」。でも、ミツバチたちは、「ずっとここにいるよ」というばかり。男の子はミツバチの巣を頭に乗せたまま、泥の沼にくるといいました。「ぼくも巣をもってるんだ。つまりぼくんちさ。きみたち、ずっとそこにいるなら、一緒にぼくんちにきてもらわなきゃ」。そして、ネズミは泥のなかへ入っていき──。

そして、4つのお話が終わったあと、ネズミがうまくイタチから逃れるさまがえがかれます。小学校低学年向き。

2011年12月27日火曜日

チワンのにしき












「チワンのにしき」(君島久子/文 赤羽末吉/絵 ポプラ社 1994)

昔、チワンの村に、それは美しい錦を織るおばばがいました。ある日、町へいった帰り道、ひょいと道ばたの店をみると、目のさめるような絵がかけてありました。「ほんにまあ、みごとな山里の景色よのお」と、おばばはうっとりとその絵にみとれていましたが、もうとてもたまらず、ありったけのお金をだして、その絵をゆずってもらいました。

それからというもの、おばばはその絵をながめては、ため息ばかりついていましたが、3番目の息子のロロに、「この景色を錦に織ったらどうだ」といわれ、毎日毎日、昼も夜も織り続け、3年後、とうとう素晴らしい錦を織り上げました。

中国西南部にすむチワン族の民話をもとにした絵本です。巻末の君島久子さんによ文章によれば、チワン族の女性たちは錦織りがたいそう上手なことで昔から有名だったそうです。このあと、おばばが織った錦は、ふいの突風にさらわれて、どこかに飛んでいってしまいます。錦をさがしてくれるように、1番目の息子のロモと2番目の息子のロテオに頼みますが、薄情なかれらはそのままおばばのもとを去ってしまいます。そこで、3番目の息子のロロがさがしにでかけ、途中出会った白髪のおばばの助けをかりて、仙女たちのもとにあったおばばの錦を手に入れて──と、物語は続きます。ラスト、おばばの錦が広がる場面は圧巻です。小学校中学年向き。

2011年12月26日月曜日

海のおばけオーリー












「海のおばけオーリー」(マリー・ホール・エッツ/作 石井桃子/訳 岩波書店 1979)

ある港のそばの海辺で、アザラシの赤ちゃんが生まれました。お母さんは、赤ちゃんが生まれてから、いく日もごはんを食べていませんでした。そこで、ごはんを食べに海に入っていきました。ところが、海岸にもどってみると、赤ちゃんはいなくなっていました。お母さんが沖で魚をとっているまに、ひとりの水兵が赤ちゃんをみつけ、連れていってしまったのでした。

水兵は、少しはなれた海辺の村で、動物屋の主人に赤ちゃんを売ろうとします。主人は、「なぜ、こんな赤ん坊を親からはなしたんだね。こんなに小さくては死んでしまうよ」と、赤ちゃんを買いとって、オーリーという名前をつけて、ミルクをやって育てます──。

「もりのなか」で高名な、マリー・ホール・エッツによる絵本です。絵は白黒。フキダシこそないものの、漫画のようにコマ割りされています。このあと、大きくなったオーリーは、動物園に売られていきます。ところが、お母さんや海のことを考えて元気がなくなってしまい、そのため館長さんは飼育係に、「今夜だれもいなくなったら、オーリーを水からだし、頭をひと打ちして殺しておくれ」と指示します。ですが、飼育係はオーリーを湖に放し、それから湖にお化けがでるという噂が立ちはじめ…と、物語は続きます。物語の最後、見開きでオーリーがたどった旅がえがかれ、まるでオーリーと一緒に長い旅をしたような気持ちになります。小学校中学年向き。

2011年12月22日木曜日

トラのじゅうたんになりたかったトラ












「トラのじゅうたんになりたかったトラ」(ジェラルド・ローズ/作 ふしみみさを/訳 岩波書店 2011)

昔、インドのジャングルに一頭のトラがすんでいました。すっかり年をとり、獲物をめったにとれなくなってしまったので、骨と皮ばかりになっていました。夜、トラはよく窓から王様の宮殿をのぞきました。王様と家族がおいしそうにごはんを食べているのをみて、いいなあ、オレも仲間に入りたいなあと思いました。

ある日、トラは、召使いが宮殿の庭にじゅうたんを干し、ほこりを払っているのをみかけます。じゅうたんのうちの一枚はトラの毛皮で、思いついたトラは茂みに毛皮をかくし、自分が洗濯ひもにぶら下がります──。

作者のジェラルド・ローズは、「大きなかしの木」を書いたひとです。このあと、ぶじ宮殿に入りこんだトラは、夕食のあとだれもいなくなると、じゅうたんのふりをやめて残りものをたいらげます。トラにとって素晴らしい日々が続くのですが、だんだんふっくらとして、毛並みがよくなってきてしまって…と、物語は続きます。絵は、線画に水彩で着色した、お話によくあったユーモラスなもの。トラのじゅうたんになりたいトラという、意表をついた着想が楽しい一冊です。小学校低学年向き。

ぼくびょうきじゃないよ












「ぼくびょうきじゃないよ」(角野栄子/作 垂石真子/絵 福音館書店 1994)

夕ごはんのあと、ケンはごほんとセキをしてしまいました。あしたは、親戚のお兄ちゃんと釣りにいく約束です。病気なんかになってはいられません。でも、お母さんはケンのおでこに手を当てて、「おやっ、熱があるわ」。それから、ケンの胸に耳を当て、「まあ大変。ひゅーひゅー音がしてる」。

水枕をしてすぐベッドに入ったケンは、ぼく病気じゃないのに怒ります。すると、だれかがドアをノックして、開けてみると、そこには白衣を着てメガネをかけた大きなクマがいて──。

カゼ気味だった男の子が、クマ先生の診察によって元気になるという絵本です。絵は、おそらく水彩を色鉛筆でえがかれたもの。大きくて頼りがいがあるクマ先生の感じが、じつによくでています。このあと、クマ先生はケンに、クマ式うがいと、クマ式熱さまし、それからクマ式ねんねをほどこします。ケンが読んでいる本のなかに「ネコのオーランドー」があるのはご愛嬌でしょう。小学校低学年向き。

2011年12月20日火曜日

ヨリンデとヨリンゲル












「ヨリンデとヨリンゲル」(グリム/原作 ベルナデッテ・ワッツ/絵 おさなぎひとみ/訳 ほるぷ出版 1982)

昔、大きな森の真ん中に古いお城がありました。お城には、年をとった魔女がひとりですんでいました。もし、だれかがお城まであと百歩というところまで近づいたら、魔女はそのひとに魔法をかけて、身うごきがとれないようにしました。また、お城に近づいたのが若い娘なら、魔女はこの娘を小鳥の姿に変え、かごに閉じこめてお城につれていきました。お城には、そんな小鳥の入った鳥かごがもう7千個もありました。

さて、ある日のこと、もうすぐ結婚することになっていた娘のヨリンデとその恋人のヨリンゲルは、二人きりになりたくて、森に入っていきました。ところが、二人は知らないうちにお城に近づきすぎてしまいました。それまで歌をうたっていたヨリンデは、ヨナキウグイスの姿になって、「ツィキュート! ツィキュート! ツィキュート!」と叫びました。そして、フクロウに化けた魔女があらわれ、ヨナキウグイスを捕まえていきました。

グリム童話をもとにした絵本です。このあと、身うごきがとれなくなっていたヨリンゲルは、魔女に魔法を解かれます。しかし、ヨリンデは返してもらえそうになく、打ちひしがれたヨリンゲルは、知らない村で羊の番をして暮らしはじめます。ある晩、ヨリンゲルは夢をみます。それは、赤い花の力により魔法が解けるという夢で、目を覚ましたヨリンゲルは花をさがしにでかけて…と物語は続きます。ワッツの初期の作風である、暗く神秘的な絵が魅力的な一冊です。小学校低学年向き。

2011年12月19日月曜日

あかいぼうしのゆうびんやさん












「あかいぼうしのゆうびんやさん」(ルース・エインズワース/作 こうもとさちこ/訳と絵 福音館書店 2011)

手紙をだしたいと思ったとき、動物や鳥たちは、大きな石の下に手紙を置きました。でも、手紙を届けてくれる郵便屋さんがいなかったので、みんなは自分に手紙がきているかどうか、石の下をのぞいてみなければなりませんでした。石の下をのぞきにいかないと、手紙が何週間も置きっぱなしになり、カブトムシが封筒のすみをかじったり、カタツムリが銀色のすじをつけたりすることになりました。そこで、動物たちは、郵便屋さんをきめることにしました。

郵便屋さんには3匹の動物が名乗りをあげます。「ぼくは木に登るのが上手だから、木にすんでいる動物たちにも手紙を配達できる」と子ネコ。「ぼくなら木の枝から枝へ飛びうつっていけるから、地面がどろんこでも手紙を汚さないよ」とリス。「ぼくは口にものを食わえてはこぶのになれているから、手紙を落としたり絶対しないよ」とイヌ。じつは、コマドリも郵便屋さんになりたいなあと思っていたのですが、ほかの動物たちがみんな立派にみえたので、首をかしげてみんなのいうことを静かに聞いていました──。

作者のエインスワースは「こすずめのぼうけん」などで高名です。絵は、線画に水彩で着色した、余白を充分にとったさっぱりしたもの。このあと、子ネコとリスとイヌとで、ためしに一日ずつ、代わりばんこに郵便屋さんをやってみて、だれが一番郵便屋さんにふさわしいかをみてみることになります。ですが、3匹はそれぞれヘマをしてしまい、そこで…と物語は続きます。最初の見返しでは手紙を食わえていないコマドリが、後ろの見返しでは食わえているところなど、細かいところまで楽しい一冊です。小学校低学年向き。

2011年12月16日金曜日

うまかたやまんば











「うまかたやまんば」(おざわとしお/再話 赤羽末吉/画 福音館書店 1988)

昔、あるところにひとりの馬かたがいました。ある日のこと、馬かたは、浜でどっさり魚を仕入れ、それを馬の背に振り分けにつけて、山道を登っていきました。日が暮れて、峠にさしかかると、やまんばがゆうっとでてきて、「これ、待ってろ。その魚おいてけ」と、しわがれ声でいいました。

馬かたは怖くなり、片方の荷物を後ろへ投げて逃げていきます。すると、やまんばは荷物の魚をばりばり食べて、また馬かたを追いかけてきます。馬かたは、もういっぽうの荷物も、それから馬の足も、もう一本の馬の足も、ついには馬を捨てて、命からがら木の上に身をひそめます──。

日本の昔話をもとにした、少し怖い絵本です。巻末の文章によれば、宮城県登米郡につたわっている話(佐々木徳夫編「みちのくの海山の昔」所収)をもとに、再話したということです。このあと、やまんばをうまくやりすごした馬かたは、ある一軒家にたどり着きます。じつは、そこはやまんばの家で、梁の上にかくれた馬かたは、帰ってきたやまんばをことあるごとにだし抜き、みごと馬の仇をとります。馬かたが梁の上にかくれた場面では、絵本をタテにして読むつくりになっています。小学校低学年向き。

2011年12月15日木曜日

ゆきのひ











「ゆきのひ」(エズラ=ジャック=キーツ/作 きじまはじめ/訳 偕成社 1990)

冬のある朝、ピーターは目をさまして窓の外をみると、どこを見ても雪が積もっていました。朝ごはんを食べてから、マントを着て外に飛びだしたピーターは、雪の上を、つま先を外にむけて歩いたり、なかにむけて歩いたりしました。

ピーターは、足を引きずって線をつくったり、棒で木に積もっている雪を落としたり、雪だるまをつくったり、天使のかたちをつくったりします──。

雪の日の、ピーターの1日をえがいた絵本です。絵はコラージュで表現されています。このあと、家に帰ったピーターは、お風呂のなかで、きょうなにをしたか、何回も思い出します。だれしもが思い当たる雪の日を、鮮やかにとらえられた一冊です。1963年度コールデコット賞受賞。小学校低学年向き。

2011年12月14日水曜日

しかのハインリッヒ

「しかのハインリッヒ」(フレッド・ロドリアン/作 ヴェルナー・クレムケ/絵 上田真而子/訳 福音館書店 1988)

シカのハインリッヒは、何週間も汽車に乗り、長い船旅をして、中国の深い森から大きな動物園へ連れてこられました。動物園で暮らすようになって一番うれしかったのは、子どもたちがやってきてくれたときでした。子どもたちは、飼育係のエーリッヒさんからお許しがでたときだけ、ニンジンを投げてくれました。ところが、クリスマスイブの日、子どもたちはプレゼントで頭がいっぱいで、だれもハインリッヒのところにきてくれません。夜になり、ハインリッヒはえいと柵を飛びこえると、動物園の仲間にさよならをいいました。そして、ふるさとの中国の森へむかって駆けていきました。

ふるさとの森に帰ろうと思ったハインリッヒでしたが、だんだんお腹がぺこぺこになってきます。そこで、ある村に近づくと、子どもたちがやってきます。歌いながらやってきたその子たちは、動物園にハインリッヒに会いにきた、あの子どもたちで、カブラやキャベツを結びつけた、森の動物たちへのクリスマスツリーを地面に突き立てると、歌いながら去っていきます──。

クリスマス絵本の一冊です。このあと、クリスマスツリーのごちそうを食べたハインリッヒは、お腹いっぱいになったものの、なんとなくものたりなくなり、動物園にもどります。動物園には、子どもたちが大勢待っていて、ハインリッヒはまた柵のなかにもどります。絵は、太い描線でえがかれたユーモラスなもの。語り口もユーモラスで、最後にすべてがうまくいく楽しい読物絵本です。小学校中学年向き。

2011年12月13日火曜日

やっぱりおおかみ












「やっぱりおおかみ」(ささきまき/作 福音館書店 1977)

オオカミはもういないと、みんな思っていますが、本当は一匹だけ残っていました。ひとりぽっちのオオカミは、仲間をさがして町を毎日うろついていました。

オオカミがくると、ウサギもブタも逃げだしてしまいます。みんな仲間がいて、とても楽しそうですが、オオカミに似た子はどこにもいません──。

ひとりぽっちのオオカミのお話です。絵は、佐々木マキ特有の、ユーモラスな絵。多少、マンガ風にコマ割りされています。線で、ほとんど黒く塗りつぶされているオオカミのセリフは、「け」のひとことだけ。オオカミの孤独感が印象に残ります。ですが、最後は不思議と晴れやかな気持ちになる一冊です。小学校中学年向き。

2011年12月12日月曜日

あたらしいぼく












「あたらしいぼく」(シャーロット・ゾロトウ/文 エリック・ブレグヴァド/絵 みらいなな/訳 童話屋 1990)

《なんか へんな かんじなんだ

 たしかに ぼくは ここにいるんだけど
 そのぼくは ぼくじゃないみたいなんだ

 ここには かあさんもいる
 とうさんもいる いもうともいる
 そして ぼくもいるんだけど
 そのぼくは ぼくじゃないみたいなんだ》

少し大きくなった男の子の内面をえがいた絵本です。〈ぼく〉は、去年貼ってもらった、赤と青の風船がえがかれた壁紙が気に入らなくなります。あのとき、木目模様のもあったのに。あっちにしとけばよかったな。友だちのジャックがやってきて、ビー玉で遊ぼうというと、ビー玉はいやだよとこたえます。そして2人で散歩にでかけ、帰ると部屋のガラクタをダンボールにしまいます…。絵は、親しみやすい水彩。絵本というのはこんなこともできるのだと感じさせる一冊です。小学校高学年向き。

2011年12月9日金曜日

ヴァレンカのちいさな家

「ヴァレンカのちいさな家」(ベルナデッテ・ワッツ/作 いけだかよこ/訳 ほるぷ出版 1992)

昔、ロシアの森にヴァレンカという名前のおばさんが住んでいました。ヴァレンカはいつでも、聖母マリアさまと、赤ちゃんのキリストさまがえがかれたイコンに、森の花を飾りっていました。ある日、幸せに暮らしているヴァレンカのもとへ、大勢のひとたちがやってきました。「西のほうが戦争だ。兵隊がどんどんこっちにやってくる。荷物をまとめていますぐ逃げよう。さもないと、ひどい目にあうぞ」。すると、ヴァレンカはいいました。「わたしも逃げてしまったら、だれが疲れた旅人の世話をする。森で迷子になった子どもたちを、だれが助けてやる。冬になって、雪がつもり、氷が張ったら、だれがけものや鳥たちにえさをやる」──。

次の日、小屋に火をつけられたヤギ飼いのピョートルが、ヤギと一緒にヴァレンカの家にやってきます。その次の日、村も畑もめちゃくちゃにされた絵描きのスチェバンを、ヴァレンカは家に誘います。その夜、ヴァレンカの家に、逃げる途中両親とはぐれてしまった、ハトを抱いた小さな女の子が訪れます。ヴァレンカは毎晩、「兵隊にこの家がみえないほど高い壁をつくってください」と神さまにお祈りをします──。

作者のベルナルデ・ワッツは、「ヘンゼルとグレーテル」(岩波書店 1985)や「まつぼっくりのぼうけん」などで高名な、バーナデット・ワッツのこと。本書はワッツの処女作です。このあと物語は、神さまがみんなのお祈りにこたえてくれ、すべてが満足のいくラストを迎えるのですが、そこに至るまでの迫真さには大変なものがあります。絵は、おそらくクレパスをつかってえがかれたもの。作中にも登場した、イコンのような絵柄です。小学校中学年向き。

2011年12月8日木曜日

ゆきとくろねこ











「ゆきとくろねこ」(竹下文子/作 おおの麻里/絵 岩崎書店 2008)

《なんだろう
 あさから おちつかない
 うちの なかは しずかだ
 でも なんとなく いつもと ちがう

 すずめの うわさでは
 なにかが やってくるらしい
 とおい きたのくにから くるらしい
 でも それは なんだか わからない
 きいても おしえてくれない》
 ──

黒ネコがはじめて雪と出会う絵本です。いつもと同じようでいて、なにかちがうと思い続ける黒ネコは、このあと、とうとう雪に出会います。絵は、シンプルなイラスト風のもの。黒ネコがキャットフードを食べている顔など、よく特徴をとらえています。文章は人称がないため、最初だれが語っているのかと戸惑いますが、読んでいくうちに、黒ネコが語っているのだと察することができます。雪が降るまでの落ち着かなさに、この語り手の不明瞭さも、ひと役買っているように感じられます。小学校低学年向き。

2011年12月7日水曜日

急行「北極号」










「急行「北極号」」(C.V.オールズバーグ/作 村上春樹/訳 あすなろ書房 2003)

ずいぶん昔、まだ子どものころ、クリスマス・イブの夜に、ぼくはサンタのそりの音が聞こえないかとベッドで耳をすませていました。すると、夜も更けてから、しゅうっという蒸気の音と、金属がきいいっときしむ音が聞こえてきました。スリッパをはき、ローブをはおって外にでると、車掌が、「みなさん、ご乗車くださーい」と大きな声で叫びました。「どこへいくんですか」とたずねると、「どこって、もちろん北極点さ。これは急行『北極号』だもの」と、車掌はこたえました。

ぼくが列車に乗りこむと、なかはパジャマやナイトガウンを着た子どもたちでいっぱい。列車は、暗い森を抜け、高い山をこえて、北極点の町へむかいます──。

クリスマス絵本の一冊です。夜、列車に乗って北極点の町にいくというアイデアがなにより秀抜です。絵は、おそらくパステルをつかってえがかれたもの。オールズバーグは、ありえない世界を、劇的な構図と大変な画力でみせてくれます。物語はこのあと、北極点に着き、「クリスマスのプレゼントになにがほしいのかな」とサンタにたずねられた〈ぼく〉がサンタの鈴をお願いして…と続きます。クリスマスの夜の幻想をえがいた、オールズバーグの代表作です。1980年度コールデコット賞受賞作。小学校中学年向き。

2011年12月6日火曜日

おおいそがし、こいそがし











「おおいそがし、こいそがし」(ユンクビョン/文 イテス/絵 小倉紀蔵/訳 黛まどか/訳 平凡社 2003)

《山あいの村にすんでいるマル。
 マルの村には、秋がひとあしはやくやってくる。
 秋がくると、うちじゅうみんな、
 おおいそがし、こいそがし。

 おにわに、 けいとうの花がまっかにさくころ、
 じいちゃんはとうもろこしを干すのに、
 ばあちゃんはごまの実をとるのに、
 おおいそがし、こいそがし。

 だんだん畑にそばの花がまつしろにさくころ、
 ばあちゃんはとうがらしを干すのに、
 マルはにわとりを追いまわすのに、
 おおいそがし、こいそがし。》

副題は「韓国の四季の絵本・秋」。韓国の山あいにある村の、農家の情景をえがいた一冊です。絵は、おそらく色鉛筆と水彩でえがかれたもの。細やかなタッチで、動植物がいきいきと描かれています。また、引用したとおり、文章は分かち書きされていません。このあとも、マルは、田んぼのスズメを追い払ったり、朝早く栗ひろいにいったり、稲刈りの手伝いをしたりと、ほんとうに大忙し。とうがらしを干したり、キムチをつくったりするところが、韓国らしいところでしょうか。小学校低学年向き

2011年12月5日月曜日

はい、このひとがママです!

「はい、このひとがママです!」(ダイアン・グッド/作 なかやまのぶこ/訳 文化出版局  1992)

駅に着いたとき、急に風が吹いてきて、ママの帽子がどこかに飛んでいってしまいました。ママは、「帽子をさがしてくるわ。ここからうごいちゃダメよ」と、子どもたちにいいました。

こうして、姉弟はママを待ちますが、ママはなかなかもどってきません。泣いていると、おまわりさんがやってきて、「ママはどんなひと?」と訊いてきます。「ママは世界中でいちばんきれいなひと」とこたえると、おまわりさんは、「一緒にさがしにいこうね」と姉弟を連れて、ママをさがしにでかけます――。

ママとはぐれてしまった姉弟が、ママをさがすお話です。このあと、ページをめくるたびに、姉弟は女のひとと対面します。まず最初はお金持ちのご婦人。「ママはとっても力もちなの。自分の荷物は自分ではこべるわ」。で、次の場面はキオスクの前。新聞を肩にのせたお姉さんに、「ママは新聞を読まないの。本が好きなの」。そこで、次は本屋さん。「ママはひそひそ話なんてしないもの。みんなママの声は素敵ねってほめてくれるの」。そして、次は劇場へ…と物語は続きます。絵は水彩。駅をゆきかう群集がみごとにえがき分けられています。おまわりさんと姉弟がママをさがす場面では、よく見るとママの姿が見受けられます。じつは、姉弟とママはいきちがってばかりいたのだとわかる仕掛けになっています。小学校低学年向き。

2011年12月2日金曜日

ピエールとライオン












「ピエールとライオン」(モーリス・センダック/作 じんぐうてるお/訳 富山房 1986)

ある朝、お母さんはピエールに、「おはよう、ぼうや、私の宝」といいました。すると、ピエールは、「ぼく、知らない!」といいました。お母さんが、「なにが食べたい?」と訊いても、「後ろむきに腰かけちゃだめ」といっても、ピエールは「ぼく知らない!」というばかり。とうとう、お母さんはピエールを置いて出ていってしまいました──。

本書の副題は、「はじまりのうたといつつのおはなし」。「はじまりのうた」というのは、本書の内容をうたにしたものです。引用してみましょう。

《おとこのこが ひとり
 なまえは ピエール
 このこが いうのは ただひとつ
 「ぼく知らない!」
 どうぞ みなさん およみなさい
 きちんと よめば
 おしまいに
 ためになること かいてある》

「いつつのおはなし」とあるように、お話はぜんぶで5章に分かれています。このあと、お父さんがピエールのご機嫌をとろうとするのですが、上手くいかず、お母さんと一緒にでていってしまい、するとピエールのところにライオンがやってきて…と物語は続きます。センダックの芝居がかった絵が、お話を楽しい読みものにしています。小学校低学年向き。

2011年12月1日木曜日

わたしの庭のバラの花












「わたしの庭のバラの花」(アーノルド・ローベル/文 アニタ・ローベル/絵 松井るり子/訳 セーラー出版 1993)

《これはわたしの庭の
 バラの花でねむるハチ。

 これはわたしの庭のバラの花でねむる
 ハチに日かげをつくっている
 すっとのびたタチアオイ。

 これはわたしの庭のバラの花でねむる
 ハチに日かげをつくっている
 すっとのびたタチアオイのわきの
 まるいオレンジいろのきんせんか。》

作者たちは夫婦。アーノルド・ローベルは「がまくんとかえるくん」シリーズや、「とうさんおはなしして」の作者、奥さんのアニタ・ローベルはの「ちいさな木ぼりのおひゃくしょうさん」などの作者です。本書は、マザーグースの「これはジャックのたてたいえ」や、「これはのみのぴこ」のような、積み上げ歌の絵本です。最後、積み木がくずれるように、なにもかもご破産になって、また最初にもどります。ラストの展開に驚いてしまう一冊です。小学校中学年向き。