2011年2月28日月曜日

サムリまめをとりかえす











「サムリまめをとりかえす」(よしざわようこ/再話 チャイヤン・コウキャウ/絵 「こどものとも年中向き」2006年10月号通巻247号 福音館書店)

タイの小さな村に、サムリという男の子が、おじいさんとおばあさんと一緒に住んでいました。ある日、おじいさんとおばあさんは、サムリに留守のあいだマメ畑を見張っているように頼みました。はじめのうち、サムリはせっせとカラスを追い払っていました。ところが、やってきた友だちと遊んでいるうちに、畑のマメは根こそぎカラスにとられてしまいました。帰ってきてがっかりしているおじいさんとおばあさんをみて、サムリは、「マメをとり返してくるからね」といいました。

サムリがしばらく歩いていくと、マメをとったカラスがいます。そこで、通りがかった猟師に弓矢で射ってとお願いするのですが、「これからちょっとひと休み」と、猟師に断られてしまいます。そこで、今度はネズミに、猟師の弓矢をかじってくれと頼むのですが、「弓矢はすこしもおいしくないもの」と、断られてしまいます。そこで──。

タイの昔話をもとにした絵本です。絵は、14世紀から北部タイで栄えたという、ランナー様式で描かれたもの。サムリはこのあと、ネコ、イヌ、カナヅチ、たき火、川、土手、ゾウにお願いするのですが、ことごとく断られてしまいます。ですが、最後、ハチがお願いを聞いてくれたところから、物語は急転直下、一気にラストに突き進みます。最後のどんでん返しがじつに楽しい昔話絵本です。小学校低学年向き。

2011年2月26日土曜日

どろんここぶた












「どろんここぶた」(アーノルド・ローベル/作 岸田衿子/訳 文化出版局 1978)

お百姓さんのうちのブタ小屋に住んでいた子ブタは、食べるのも、駆けまわるのも、眠るのも大好きでした。でも、なによりも好きなのは、柔らかーいどろんこのなかに、すわったまま沈んでいくことでした。ところがある朝、大そうじをはじめたおばあさんが、掃除機で泥を吸いとってしまいました。怒った子ブタは、夜になると、うちをとことこ出ていきました。

逃げだした子ブタは、沼をみつけ、さっそくからだを浸します。が、怖いヘビにおどかされて、別のどろんこを探しにいきます。大きな町にやってきた子ブタは、そこで素敵などろんこをみつけるのですが──。

どろんこが大好きな子ブタのお話です。子ブタが町でみつけたどろんこは、じつはコンクリートでした。子ブタは気がつくと、身うごきがとれなくなってしまって…と、物語は続きます。もちろん、最後にはハッピーエンドが待っています。小学校低学年向き。

2011年2月24日木曜日

たくさんのお月さま












「たくさんのお月さま」(ジェームズ・サーバー/文 ルイス・スロボドキン/絵 なかがわちひろ/訳 徳間書店 1994)

昔、海辺の王国にレノア姫という小さなお姫さまが住んでいました。ある日のこと、レノア姫はキイチゴのタルトを食べすぎて病気になってしまいました。王様はレノア姫にいいました。「なにか、ほしいものはあるかい? 姫のためなら、なんだってもってきてあげよう」。すると、レノア姫はいいました。「お月さまがほしいな。お月さまをもらったら、きっと元気になると思うの」

王様は、月をとってこいと大臣や魔法使いや数学者に命じますが、みんないろいろと述べたあげく、そんなことはできませんというばかり。そこで、王様は道化師を呼ぶと、道化師は、「レノア姫さま自身がどう考えているのかうかがわなくてはなりませぬ」と、レノア姫の部屋を訪れます──。

大人が解けない問題を、軽やかに解決するお姫様のお話です。作者のジェームズ・サーバーは、映画「虹をつかむ男」の原作者として高名。このあと、道化師は金細工に頼み、レノア姫が望んだお月さまをペンダントにして渡します。でも、夜になってまたお月さまがあらわれたら、自分のお月さまが本物でないことに姫は気づいてしまうのではないかと、王様は心配するのですが──と、ストーリーは続きます。

訳者あとがきによれば、本書は1949年に日米出版社から光吉夏弥さんの訳で出版されたそうです。そのときは、判型なども小さかったそうですが、今回の再出版にあたり、原書と同じ判型にしたとのことです。スポロドキンの手により、お姫さまは大変愛らしく描かれています。1944年コールデコット賞受賞作。小学校中学年向き。

2011年2月23日水曜日

おうさまのくれたごほうび










「おうさまのくれたごほうび」(八百板洋子/再話 岡田知子/絵 「こどものとも」2010年1月号 福音館書店)

昔、あるところに年をとった仲のいい夫婦がいました。2人は朝早くから夜遅くまではたらいていましたが、暮らしはちっとも楽になりません。「縫いものの好きなばあさまに新しい縫い針を買ってやりたいなあ」と思いながら、おじいさんが森でたきぎをあつめていると、どこからか叫び声が聞こえてきました。おじいさんが声のほうに駆けつけると、王様が川の深みにはまっておぼれていました。

王様を助けたおじいさんは、お礼に金の塊をもらいます。それをかかえて歩いていると、馬に草を食べさせている馬飼いに出会います。馬と金塊を交換したおじいさんが、再び歩いていくと、今度は牛飼いに出会い──。

ブルガリアの昔話をもとにした絵本です。おじいさんはこのあとも、ヒツジ、ブタ、縫い針と交換をしていきます。最後にあっと思うようなことが起こりますが、そのあとの展開がこの話の真骨頂です。絵は、水彩の、余白を生かしたさっぱりしたもの。読み終えるとしみじみとした風情がただよいます。小学校低学年向き。

2011年2月22日火曜日

アデレード そらとぶカンガルーのおはなし












「アデレード そらとぶカンガルーのおはなし」(トミー・ウンゲラー/作 池内紀/訳 ほるぷ出版 2010)

カンガルーのアデレードには、生まれたときから背中に翼がついていました。大きくなると、背中の翼も大きくなって、やがて空を飛べるようになりました。ある日、パパとママにお別れのキスをしたアデレードは、飛び立つと、飛行機の後ろについていき、いろんな国をみてまわりました。

パリに着いたアデレードはここで旅を打ち切ることにします。お金がなくて困っていたところ、親切な紳士のマリウスさんに助けられ、マリウスさんの経営する劇場で舞台に立つことになります。カンガルーの友だちがいないことだけ、ちょっぴりさみしいと思っていたアデレードでしたが、そんなある日、ビルの火事に出くわします──。

空飛ぶカンガルー、アデレードのお話です。普通のカンガルーとはちょっとちがうアデレードの、波瀾万丈な、それでいて平凡な半生が、テンポよく語られます。この軽快さはウンゲラーのもち味といえるでしょうか。小学校低学年向き。

ものぐさトミー












「ものぐさトミー」(ペーン・デュボア/作 松岡享子/訳 岩波書店 1977)

トミー・ナマケンボは電気仕掛けの家に住んでいました。朝になるとベッドは自動的に天井までもち上がり、トミーを下に落とします。トミーはするするっと寝間着から抜け、熱い湯の入った風呂おけにすべり落ちます。風呂おけには、電気水かき回し機がついていて、トミーのからだを洗います。乾燥室に落下したトミーは、からだを乾かし、電気歯磨きしぼり機がだした歯磨きをつかって、電気歯ブラシが歯を磨き、電気ぐしと電気ブラシがトミーの髪をとかします。さらに、自動着替え装置が、トミーに服を着せ、食堂で電気食事機がトミーにごはんを食べさせます。ごはんを食べ終わったトミーは、すっかりくたびれて、ぞっとするほど長い階段をのぼってベッドに向かいます。

ところが、ある夜、大雨が降り、電柱が倒れ電線が切れてしまいました。トミー・ナマケンボは4日4晩眠り続けました。5日目の朝、お腹がすいて目をさましましたが、さらに2日間眠り続けました。そして、電気仕掛けの家にまた電気が流れるようになると、再びベッドがうごきだし、トミーは7日前からの冷たい水のなかに落とされて――。

超がつくほどの怠け者、トミー・ナマケンボのお話。このあと、トミーは自動的にうごく機械により大変な目にあい、生活を変えることを決心します。絵も作者によるもの。さまざまな機械が面白くえがかれています。文章はタテ書きの読物絵本。絵本ではなく、文学に分類される本かもしれません。ラストがまた洒落ています。小学校低学年向き。

2011年2月19日土曜日

ベンジーのもうふ











「ベンジーのもうふ」(マイラ・ベリー・ブラウン/文 ドロシー・マリノ/絵 まさきるりこ/訳 あすなろ書房 2010)

ベンジーは赤ちゃんのときの毛布が大好きで、いつももち歩いていました。毛布はもうぼろ切れのようになっていましたが、それでもベンジーは毛布をはなしませんでした。ベンジーはときどき幼稚園に毛布をもっていきました。散髪屋さんや歯医者さんにももっていきました。なによりベンジーは、夜寝るときに毛布を抱きしめるのが大好きでした。

ところが、ベンジーはしょっちゅうこの毛布を忘れるようになってしまいます。折しも、おとなりに住む女の子、トルーディーは子猫を飼いはじめました。ですが、この子猫はいつも鳴いてばかりいます。そこで、ベンジーは…。

絵は、ところどころにオレンジがつけられたペン画。柔らかな絵柄が魅力です。話しはこびや、オチのつけかたは本当にみごとです。この絵本もまた、傑作のひとつでしょう。小学校低学年向き。

2011年2月17日木曜日

アボカド・ベイビー












「アボカド・ベイビー」(ジョン・バーニンガム/作 青山南/訳 ほるぷ出版 1993)

ハーグレイブさんのおうちは、お父さんもお母さんも、子どもたち2人も、あまり丈夫ではありませんでした。お母さんのお腹には赤ん坊がいて、みんな丈夫な子が生まれるといいなあとお祈りしていました。ところが、生まれた子は、心配していたとおり、あまり丈夫な子ではありませんでした。なにより、食べるのが好きではないようで、あまりものを食べません。どうしようと、泣いてばかりいるお母さんに、子どもたちはいいました。「そこにあるアボカドをあげたら」

アボカドを食べた赤ん坊は、みるみる丈夫になり、おまけに大変な力もちに──。

まるで、ホーレンソウを食べたポパイのように、アボカドを食べて強くなった赤ちゃんのお話。アボカドと赤ちゃんという組み合わせに、なんともいえない味があります。このあと、赤ちゃんは泥棒やいじめっ子を撃退します。子どもたちに読んでみると、ありえない展開に、みな大喜びします。小学校低学年向き。

2011年2月16日水曜日

シンドバッドの冒険












「シンドバッドの冒険」(ルドミラ・ゼーマン/文・絵 脇明子/訳 岩波書店 2002)

昔、バグダッドの都に、荷かつぎのシンドバッドという男がおりました。ある日のこと、ひとりの立派な老人が気持ちよさそうな乗り物にゆられ、召使いを従えてやってきました。その老人の名前もシンドバッドというのを聞いた男は、「名前はおんなじなのに、あっちはあんなに金持ちで、重い荷物に押しつぶされて、うんうんうならないでもすむんだからなあ」と、つぶやきました。すると、召使いのひとりがやってきて、男はお屋敷に連れていかれました。

男を招待した老人は、「わたしとて、ずっとこうだったわけではない。これでも飢えや渇きや大きな危険をくぐり抜けてきたのです」と、自分の冒険を話しだします。

千一夜物語中の、シンドバッドの冒険を絵本にしたものです。このあと、商人として船に乗りこんだ若きシンドバッドは、大きなクジラの背中を島と勘ちがいいて上陸したり、そのあげく遭難したり、たどり着いた島でロク鳥という巨大な鳥に出会ったり、大蛇でいっぱいのダイアモンドの谷に入りこんだりします。

巻末の「訳者のことば」によれば、本書はシンドバッドの7回の冒険のうち、1回目と2回目の冒険をひとつにまとめたものだそうです。作者のルドミラ・ゼーマンは、詩情あふれる映像作家として高名なカレル・ゼーマンの娘です。本書は、父であるカレル・ゼーマンに捧げられています。絵は、精緻で色彩に富み、それでいて統一感のある魅力的なもの。続編に「シンドバッドと怪物の島」「シンドバッドの最後の航海」の2冊があります。読むと、続きが読みたくなること請け合いの1冊です。小学校高学年向き。

2011年2月15日火曜日

トムテンのミルクがゆ








「トムテンのミルクがゆ」(スベン・ノルドクビスト/作 岸野郁枝/訳 宝島社 1993)

クリスマス・イブ、カールソンさんの家では、テーブルにごちそうを並べてお客様をもてなします。カールソンさんの家に住む、小人のトムテン一家も、カールソンさんたちがだしてくれるミルクがゆを、とても楽しみにしています。でも、トムテン・ママは心配です。サンタクロースがはじめてきたときから、カールソンさんたちはトムテンを大事にしなくなったのです。ずっと昔、カールソンさんたちがクリスマスのミルクがゆをだし忘れたときは、トムテン・パパはひどく怒って、次の年、カールソンさん一家を守ってあげないで、いたずらばかりしました。トムテン・ママはカールソンさんたちが大好きでしたから、カールソンさんたちが悲しむところなどみたくありません。そこで、トムテン・ママは、息子と娘、プルカとポルカを呼ぶとこういいました。「カールソンさんたちはみんなミルクがゆのことを忘れてるみたいだから、わたしたちがミルクがゆを納屋にはこんでこなきゃいけないの」。でも、トムテンは人間に姿をみられると、魔法の力を失ってしまうのです──。

北欧に住む小人、トムテン(トムテ)を主人公にした絵本です。「どくしゃのみなさんに」という前書きによれば、トムテンは赤いとんがり帽子をかぶり、白いひげをはやしていて、いたずら者ですが、農家の守り神でもあるそうです。年に一度、クリスマス・イブに、1年のあいだ守ってくれたお礼として、トムテンのためにミルクがゆを置いておくのが、農家のひとたちの習わしです。ミルクがゆを忘れると、トムテンは怒って家のひとを病気にしたり、作物を枯らせたりするといいます。ストーリーはこのあと、人間たちのテーブルから、プルカとポルカがこっそりミルクがゆをはこぼうとする場面へと続きます。作者はスウェーデンのひと。クリスマスの雰囲気に満ちた読物絵本です。小学校中学年向き。

2011年2月14日月曜日

スーホの白い馬










「スーホの白い馬」(大塚勇三/再話 赤羽末吉/絵 福音館書店 1967)

昔、モンゴルの草原に、スーホという貧しい羊飼いの少年がいました。年とったおばあさんと2人きりで暮らしていて、大人に負けないくらいよくはたらきました。ある日、暗くなってもスーホが帰ってこないことがありました。おばあさんも、近くに住む羊飼いもどうしたものだろうと心配していると、スーホはなにか白いものを抱きかかえてもどってきました。それは生まれたばかりの、小さな白い馬でした。

スーホは白い馬を大変可愛がります。白馬(しろうま)は立派に育ち、ある晩、ヒツジを襲いにきたオオカミを1頭で立派に防ぎます。月日は飛ぶようにすぎ、ある年の春、殿様が町で競馬の大会を開き、一等になった者には殿様の娘と結婚させるというお触れをだします。スーホは羊飼いたちにすすめられ、大好きな白馬にまたがって、競馬の開かれている町へとむかいます。

馬頭琴の由来を語った、モンゴルの民話をもとにした絵本です。横長の画面を生かし、広大な草原を見事にえがきだしています。

「こどものとも」の折りこみ付録「絵本のたのしみ」に載せられた、「私の絵本づくり」という文章で、赤羽さんは「スーホの白い馬」について触れています。それによれば、満州でジンギスカン廟の壁画の一部を依頼された赤羽さんは、風俗研究のため内蒙古に入り、そこで、「地球の半分がいっぺんにみられるような」雄大なスケールの草原に感激したということです。そして、いつか蒙古を舞台にした大作を描きたいと思い、「少しだけ大げさにいえば命がけ」で、禁じられていたスケッチや写真をひそかにもち帰ったそうです。後年、絵本を描くようになった赤羽さんは、「日本の子どもに蒙古をみせたい、私の感激をわかちあいたい」と思うようになり、大塚勇三さんの原稿を得てつくられたのが、この「スーホの白い馬」だということです。

「あらゆることにすぐれている日本人にたった一つ欠けたものは、スケールだと思うが、こんな天地のあることを日本の子どもに知ってほしかった」

ちなみに、「こどものとも」として発表された「スーホのしろいうま」と、絵本の「スーホの白い馬」は、絵も文章もずいぶんちがっています。読みくらべると、「畢生の作にしよう」という、赤羽さんの意気ごみが伝わってきます。小学校低学年向き。

2011年2月10日木曜日

わっこおばちゃんのしりとりあそび












「わっこおばちゃんのしりとりあそび」(さとうわきこ/作 童心社 1989)

しりとりの絵本です。でも、ただのしりとりではありません。しりとりで、コマをたどって「あがり」までいくという、スゴロク風のしりとりです。

最初の、「おおかみのまき」では、まず「おおかみ」からスタート。次のコマには、「みち」「みるく」「みいら」などがあります。「みいら」を選ぶと、次は「らーめん」でいき止まり。「らいおん」を選んでもダメ。最初の「おおかみ」にもどって、「みち」にいくか、「みるく」にいくか…。うまく最後までいくと、道すじがひとつのストーリーをつくるようになっています。この、「しりとりスゴロク」以外に、本書には迷路が2つ収録されています。大人が遊んでも楽しいあそび絵本です。小学校低学年向き。

2011年2月9日水曜日

チムとゆうかんなせんちょうさん












「チムとゆうかんなせんちょうさん」(エドワード・アーディゾーニ/作 せたていじ/訳 福音館書店 2001)

海岸の家に住むチムぼうやは、船乗りになりたくてたまりませんでした。お天気の日には、浜にでて、ボートに乗って遊んだり、仲良しのボートのおじさんと話をしたりしました。寒い日や、雨降りで浜辺で遊べないときは、マクフィー船長のところへでかけました。すると船長はいつも、航海の思い出話をしてくれました。

ある日、ボートのおじさんが、「沖に泊まっている汽船まで、わしのモーターボートで乗せていってやろう」といいました。汽船に連れていってもらったチムは、「ぼくがかくれていれば、ボートのおじさんはぼくのことを忘れて帰ってしまうぞ」と思いました。そして、チムが思ったとおり、ボートのおじさんはチムを汽船におきっぱなしにして帰ってしまいました──。

名作として名高いチムシリーズ(全11巻)の第1作目です。このあと、汽船の船長にみつかったチムは、大いに怒られ、甲板そうじを命じられます。チムはさんざん泣いて、もううちを逃げだしたりするもんじゃないと思いますが、いつも喜んで仕事を手伝ったので、船員たちからすっかり気に入られます。が、ある日嵐がきて…と、ストーリーは続きます。「やあ、ぼうず、こっちへこい。泣くんじゃない、勇ましくしろよ」という、勇敢な船長が印象的です。また、古典的名作らしく、最初から最後までストーリーがよく整っています。もちろん、アーディゾーニの絵も素晴らしいものです。小学校低学年向き。

2011年2月8日火曜日

旅の絵本












「旅の絵本 1」(安野光雅/作 福音館書店 1986)

文字のない絵本です。舞台は、汽車が走りはじめたころのヨーロッパでしょうか。ページをめくるたびに、眼下に村や町や、広場や畑や教会やお城が広がっていきます。まるで気球に乗って旅しているよう。ひとびとは、お祭りをしたり、市場でものを売ったり買ったり、木を切ったり、リンゴを収穫したりしています。屋根にはコウノトリが巣をつくり、茂みでは男のひとが女性に花束をささげているなど、細かいところまでよく描かれていて見飽きるということがありません。読み終えると、タイトル通り旅をしたような気分になれる一冊です。現在シリーズは7巻まで刊行されています。小学校低学年向き。

2011年2月7日月曜日

おやゆびこぞう









「おやゆびこぞう」(フェリックス・ホフマン/絵 大塚勇三/訳 ペンギン社 1979)

昔むかし、子どものいない、貧しいお百姓の夫婦がいました。ある晩、おかみさんがいいました。「たったひとりでも、子どもあったらねえ。その子がとてもちっちゃくて、親指くらいしかなくっても、あたしはちっともかまわない。そんな子だって、あなたとふたりで、心から可愛がってやるのにねえ」。すると、おかみさんのからだの具合がおかしくなって、7ヶ月たつと、ひとりの子どもが生まれました。その子は親指くらいの大きさしかなかったので、2人は「おやゆびこぞう」と名づけました。

さて、親指こぞうは、利口な、すばしっこい子どもに育ちますが、からだの大きさだけは生まれたときのままでした。ある日のこと、森へ木を切りにいく支度をととのえたお百姓が、「あとから、だれかが車をもってきてくれたらいいんだがなあ」とひとりごとをいうと、親指こぞうが叫びました。「車ならぼくがもっていってあげる。母さんが馬を車につけてくれさえすれば、ぼくは馬の耳のなかにすわって、どっちにいったらいいか馬に怒鳴ってやるよ」

親指こぞうの道案内で、車はちゃんとお父さんのもとに届きます。が、声がするのにだれもいない車を不思議に思った2人の男が、お父さんのところに訪ねてきます。2人は親指こぞうを見るなり、見せ物にしてお金をもうけようとたくらみ、お父さんに、そのおちびさんを売ってくださいともちかけます。もちろん、お父さんは、「これは、なにより可愛いわしの子だ。世界中の金をもらったって売るもんか」といいますが、親指こぞうは、お父さんの耳もとに上がりこんでささやきます。「父さん、かまわないからぼくを売っちまってよ。ぼく、きっともどってくるから」。そして、たくさんのお金と引きかえに、親指こぞうは売られてしまうのですが──。

グリム童話の「おやゆびこぞう」をもとにした絵本です。危機また危機を、機転をきかせて乗りこえていく親指こぞうの活躍が、大変痛快です。また、ホフマンの絵が素晴らしく、何度も読み返せる絵本になっています。小学校低学年向き。

2011年2月4日金曜日

よるのいえ












「よるのいえ」(スーザン・マリー・スワンソン/文 ベス・クロムス/絵 谷川俊太郎/訳 岩波書店 2010)

《これは このいえの かぎ。
 いえには あかりが ともっている。
 あかりは べっどを てらしている。
 べっどの うえには いっさつのほん。
 そのほんの なかで とりが とぶ。》

夜がきて、うちに帰り、ベッドに入って眠るまでを詩的な文章でつづった絵本です。あとがきによれば、イギリスのわらべうた「これはおうこくのかぎ」に着想を得てつくられたそうです(「これはおうこくのかぎ」は「マザーグース3」(講談社文庫)に所収されているとのこと)。引用文にみられるように、カギ、家、明かり、ベッドとイメージがつながっていき、それとともに夜が静かに深まっていきます。絵は版画。夜の雰囲気に満ちた美しい一冊です。2009年度コールデコット賞受賞。小学校低学年向き。

2011年2月3日木曜日

ランパンパン










「ランパンパン」(マギー・ダフ/再話 ホセ・アルエゴ/絵 アリアンヌ・ドウィ/絵 山口文生/訳 評論社 1989)

昔、木の茂みにクロドリの夫婦が住んでいました。亭主はとてもいい声のもち主でした。ある日、近くを通りかかった王様が、「わしの宮殿で鳴かせてみたい」と家来に命じました。家来たちはクロドリをつかまえてきましたが、それは女房のほうでした。女房をさらわれたクロドリは、とがったとげの刀を腰にさし、カエルの皮を盾にして、クルミの殻をカブトにし、残りの殻半分に皮を張って、たたかいの太鼓にすると、女房を連れもどすため、王様とたたかいにいきました。

クロドリは、ランパンパンと太鼓を叩いて行進します。途中、同じように王様にひどい目にあわされた、ネコ、アリ、木の枝、川を仲間になし、みんなを耳のなかに入れて王様の宮殿に向かいます。

インドの昔話をもとにした絵本です。このあと、クロドリは王様の命令で、ニワトリ小屋や馬小屋やゾウの檻に閉じこめられてしまいます。が、そのたびに仲間の力により脱します。絵は、マンガ風のユーモラスなもの。絵本の出来映えとしていまひとつかもしれませんが、お話が大変面白いです。小学校中学年向き。

2011年2月2日水曜日

10までかぞえられるこやぎ











「10までかぞえられるこやぎ」(アルフ・プリョイセン/作 山内清子/訳 林明子/絵 福音館書店 1991)

ある日、子ヤギが数を10まで数えられるようになりました。子ヤギは水たまりに写る自分の姿をじっとみつめ、「ひとつ」と数えました。通りかかった子牛が「なにをしているの?」と訊くと、「数をかぞえているの。きみも数えてあげようか」といいました。「母さんに聞いてからにするよ」と、子牛が歩きだすと、子ヤギは子牛をあとをついていって、「ぼくでひとつ、きみでふたつ、1、2」と数えました。すると、子牛は「モー」といって泣きだしてしまいました。

子牛の泣き声を聞いて母さん牛がやってきます。が、子ヤギは母さん牛のことも数えます。すると、母さん牛は怒って子牛と一緒に子ヤギを追いかけます。このあと、父さん牛や馬やブタが、数えられたことに怒って子ヤギを追いかけて──。

10まで数えられる子ヤギの活躍をえがいた、愛嬌のある一冊です。作者のプリョイセンはノルウェーのひと。「スプーンおばさん」の作者として高名です。林明子さんのえがく絵は、水彩と色鉛筆でえがかれたものでしょうか。ともかく大変な完成度です。舞台は、どことなくスイスのような山地を想像させます。小学校低学年向き。

2011年2月1日火曜日

おおきなもののすきなおうさま












「おおきなもののすきなおうさま」(安野光雅/作 講談社 1976)

昔、あるところに、大きなものの好きな王様がいました。王様はなにしろ大きなものが好きでしたから、屋根よりも高いベッドでお目覚めになると、プールのような洗面器で顔を洗い、庭のような広いタオルで顔をふいて、やっと一日がはじまるのでした。

大きなものが大好きな王様のお話です。王様が目覚めた場面では、ブラシの部分が背丈ほどもある歯ブラシを、従者の2人がもってきます。食事の場面では、部屋に入りきらないほど大きなギターがかき鳴らされます。ただ大きく描くのでははなく、力学的なことを考慮しながらナンセンスな絵柄になっているところは、安野さんならではでしょう。また、大きなものが好きな王様でも、どうにもならないものがあるというラストも洒落ています。細かいところを見ていくのが楽しい絵本です。小学校低学年向き。