2011年12月28日水曜日

おはなしばんざい












「おはなしばんざい」(アーノルド・ローベル/作 三木卓/訳 文化出版局 1977)

木の下で本を読んでいたネズミは、イタチに捕まってしまいました。イタチがネズミをお鍋に入れると、ネズミが「待って!」といいました。「このスープはおいしくならないよ。だって、お話ってものを入れてないもの」。そして、お話なんかもっていないというイタチの代わりに、ネズミはお話をはじめました。

イタチに捕まってしまったネズミが、機転をきかせ、お話をつかってそこから逃れるという絵本です。ネズミがするお話はぜんぶで4つ。
「みつばちとどろんこ」
「ふたつのおおきないし」
「こおろぎ」
「とげのあるき」

最初のお話、「みつばちとどろんこ」を紹介しましょう。ネズミの男の子が森を歩いていると、木の上からミツバチの巣が落ちてきて、頭の上に乗っかってしまいました。「きみら、どこかへいっってくれよ。ぼくは頭のてっぺんにハチの巣なんか乗っけておきたくないんだから」。でも、ミツバチたちは、「ずっとここにいるよ」というばかり。男の子はミツバチの巣を頭に乗せたまま、泥の沼にくるといいました。「ぼくも巣をもってるんだ。つまりぼくんちさ。きみたち、ずっとそこにいるなら、一緒にぼくんちにきてもらわなきゃ」。そして、ネズミは泥のなかへ入っていき──。

そして、4つのお話が終わったあと、ネズミがうまくイタチから逃れるさまがえがかれます。小学校低学年向き。

2011年12月27日火曜日

チワンのにしき












「チワンのにしき」(君島久子/文 赤羽末吉/絵 ポプラ社 1994)

昔、チワンの村に、それは美しい錦を織るおばばがいました。ある日、町へいった帰り道、ひょいと道ばたの店をみると、目のさめるような絵がかけてありました。「ほんにまあ、みごとな山里の景色よのお」と、おばばはうっとりとその絵にみとれていましたが、もうとてもたまらず、ありったけのお金をだして、その絵をゆずってもらいました。

それからというもの、おばばはその絵をながめては、ため息ばかりついていましたが、3番目の息子のロロに、「この景色を錦に織ったらどうだ」といわれ、毎日毎日、昼も夜も織り続け、3年後、とうとう素晴らしい錦を織り上げました。

中国西南部にすむチワン族の民話をもとにした絵本です。巻末の君島久子さんによ文章によれば、チワン族の女性たちは錦織りがたいそう上手なことで昔から有名だったそうです。このあと、おばばが織った錦は、ふいの突風にさらわれて、どこかに飛んでいってしまいます。錦をさがしてくれるように、1番目の息子のロモと2番目の息子のロテオに頼みますが、薄情なかれらはそのままおばばのもとを去ってしまいます。そこで、3番目の息子のロロがさがしにでかけ、途中出会った白髪のおばばの助けをかりて、仙女たちのもとにあったおばばの錦を手に入れて──と、物語は続きます。ラスト、おばばの錦が広がる場面は圧巻です。小学校中学年向き。

2011年12月26日月曜日

海のおばけオーリー












「海のおばけオーリー」(マリー・ホール・エッツ/作 石井桃子/訳 岩波書店 1979)

ある港のそばの海辺で、アザラシの赤ちゃんが生まれました。お母さんは、赤ちゃんが生まれてから、いく日もごはんを食べていませんでした。そこで、ごはんを食べに海に入っていきました。ところが、海岸にもどってみると、赤ちゃんはいなくなっていました。お母さんが沖で魚をとっているまに、ひとりの水兵が赤ちゃんをみつけ、連れていってしまったのでした。

水兵は、少しはなれた海辺の村で、動物屋の主人に赤ちゃんを売ろうとします。主人は、「なぜ、こんな赤ん坊を親からはなしたんだね。こんなに小さくては死んでしまうよ」と、赤ちゃんを買いとって、オーリーという名前をつけて、ミルクをやって育てます──。

「もりのなか」で高名な、マリー・ホール・エッツによる絵本です。絵は白黒。フキダシこそないものの、漫画のようにコマ割りされています。このあと、大きくなったオーリーは、動物園に売られていきます。ところが、お母さんや海のことを考えて元気がなくなってしまい、そのため館長さんは飼育係に、「今夜だれもいなくなったら、オーリーを水からだし、頭をひと打ちして殺しておくれ」と指示します。ですが、飼育係はオーリーを湖に放し、それから湖にお化けがでるという噂が立ちはじめ…と、物語は続きます。物語の最後、見開きでオーリーがたどった旅がえがかれ、まるでオーリーと一緒に長い旅をしたような気持ちになります。小学校中学年向き。

2011年12月22日木曜日

トラのじゅうたんになりたかったトラ












「トラのじゅうたんになりたかったトラ」(ジェラルド・ローズ/作 ふしみみさを/訳 岩波書店 2011)

昔、インドのジャングルに一頭のトラがすんでいました。すっかり年をとり、獲物をめったにとれなくなってしまったので、骨と皮ばかりになっていました。夜、トラはよく窓から王様の宮殿をのぞきました。王様と家族がおいしそうにごはんを食べているのをみて、いいなあ、オレも仲間に入りたいなあと思いました。

ある日、トラは、召使いが宮殿の庭にじゅうたんを干し、ほこりを払っているのをみかけます。じゅうたんのうちの一枚はトラの毛皮で、思いついたトラは茂みに毛皮をかくし、自分が洗濯ひもにぶら下がります──。

作者のジェラルド・ローズは、「大きなかしの木」を書いたひとです。このあと、ぶじ宮殿に入りこんだトラは、夕食のあとだれもいなくなると、じゅうたんのふりをやめて残りものをたいらげます。トラにとって素晴らしい日々が続くのですが、だんだんふっくらとして、毛並みがよくなってきてしまって…と、物語は続きます。絵は、線画に水彩で着色した、お話によくあったユーモラスなもの。トラのじゅうたんになりたいトラという、意表をついた着想が楽しい一冊です。小学校低学年向き。

ぼくびょうきじゃないよ












「ぼくびょうきじゃないよ」(角野栄子/作 垂石真子/絵 福音館書店 1994)

夕ごはんのあと、ケンはごほんとセキをしてしまいました。あしたは、親戚のお兄ちゃんと釣りにいく約束です。病気なんかになってはいられません。でも、お母さんはケンのおでこに手を当てて、「おやっ、熱があるわ」。それから、ケンの胸に耳を当て、「まあ大変。ひゅーひゅー音がしてる」。

水枕をしてすぐベッドに入ったケンは、ぼく病気じゃないのに怒ります。すると、だれかがドアをノックして、開けてみると、そこには白衣を着てメガネをかけた大きなクマがいて──。

カゼ気味だった男の子が、クマ先生の診察によって元気になるという絵本です。絵は、おそらく水彩を色鉛筆でえがかれたもの。大きくて頼りがいがあるクマ先生の感じが、じつによくでています。このあと、クマ先生はケンに、クマ式うがいと、クマ式熱さまし、それからクマ式ねんねをほどこします。ケンが読んでいる本のなかに「ネコのオーランドー」があるのはご愛嬌でしょう。小学校低学年向き。

2011年12月20日火曜日

ヨリンデとヨリンゲル












「ヨリンデとヨリンゲル」(グリム/原作 ベルナデッテ・ワッツ/絵 おさなぎひとみ/訳 ほるぷ出版 1982)

昔、大きな森の真ん中に古いお城がありました。お城には、年をとった魔女がひとりですんでいました。もし、だれかがお城まであと百歩というところまで近づいたら、魔女はそのひとに魔法をかけて、身うごきがとれないようにしました。また、お城に近づいたのが若い娘なら、魔女はこの娘を小鳥の姿に変え、かごに閉じこめてお城につれていきました。お城には、そんな小鳥の入った鳥かごがもう7千個もありました。

さて、ある日のこと、もうすぐ結婚することになっていた娘のヨリンデとその恋人のヨリンゲルは、二人きりになりたくて、森に入っていきました。ところが、二人は知らないうちにお城に近づきすぎてしまいました。それまで歌をうたっていたヨリンデは、ヨナキウグイスの姿になって、「ツィキュート! ツィキュート! ツィキュート!」と叫びました。そして、フクロウに化けた魔女があらわれ、ヨナキウグイスを捕まえていきました。

グリム童話をもとにした絵本です。このあと、身うごきがとれなくなっていたヨリンゲルは、魔女に魔法を解かれます。しかし、ヨリンデは返してもらえそうになく、打ちひしがれたヨリンゲルは、知らない村で羊の番をして暮らしはじめます。ある晩、ヨリンゲルは夢をみます。それは、赤い花の力により魔法が解けるという夢で、目を覚ましたヨリンゲルは花をさがしにでかけて…と物語は続きます。ワッツの初期の作風である、暗く神秘的な絵が魅力的な一冊です。小学校低学年向き。

2011年12月19日月曜日

あかいぼうしのゆうびんやさん












「あかいぼうしのゆうびんやさん」(ルース・エインズワース/作 こうもとさちこ/訳と絵 福音館書店 2011)

手紙をだしたいと思ったとき、動物や鳥たちは、大きな石の下に手紙を置きました。でも、手紙を届けてくれる郵便屋さんがいなかったので、みんなは自分に手紙がきているかどうか、石の下をのぞいてみなければなりませんでした。石の下をのぞきにいかないと、手紙が何週間も置きっぱなしになり、カブトムシが封筒のすみをかじったり、カタツムリが銀色のすじをつけたりすることになりました。そこで、動物たちは、郵便屋さんをきめることにしました。

郵便屋さんには3匹の動物が名乗りをあげます。「ぼくは木に登るのが上手だから、木にすんでいる動物たちにも手紙を配達できる」と子ネコ。「ぼくなら木の枝から枝へ飛びうつっていけるから、地面がどろんこでも手紙を汚さないよ」とリス。「ぼくは口にものを食わえてはこぶのになれているから、手紙を落としたり絶対しないよ」とイヌ。じつは、コマドリも郵便屋さんになりたいなあと思っていたのですが、ほかの動物たちがみんな立派にみえたので、首をかしげてみんなのいうことを静かに聞いていました──。

作者のエインスワースは「こすずめのぼうけん」などで高名です。絵は、線画に水彩で着色した、余白を充分にとったさっぱりしたもの。このあと、子ネコとリスとイヌとで、ためしに一日ずつ、代わりばんこに郵便屋さんをやってみて、だれが一番郵便屋さんにふさわしいかをみてみることになります。ですが、3匹はそれぞれヘマをしてしまい、そこで…と物語は続きます。最初の見返しでは手紙を食わえていないコマドリが、後ろの見返しでは食わえているところなど、細かいところまで楽しい一冊です。小学校低学年向き。

2011年12月16日金曜日

うまかたやまんば











「うまかたやまんば」(おざわとしお/再話 赤羽末吉/画 福音館書店 1988)

昔、あるところにひとりの馬かたがいました。ある日のこと、馬かたは、浜でどっさり魚を仕入れ、それを馬の背に振り分けにつけて、山道を登っていきました。日が暮れて、峠にさしかかると、やまんばがゆうっとでてきて、「これ、待ってろ。その魚おいてけ」と、しわがれ声でいいました。

馬かたは怖くなり、片方の荷物を後ろへ投げて逃げていきます。すると、やまんばは荷物の魚をばりばり食べて、また馬かたを追いかけてきます。馬かたは、もういっぽうの荷物も、それから馬の足も、もう一本の馬の足も、ついには馬を捨てて、命からがら木の上に身をひそめます──。

日本の昔話をもとにした、少し怖い絵本です。巻末の文章によれば、宮城県登米郡につたわっている話(佐々木徳夫編「みちのくの海山の昔」所収)をもとに、再話したということです。このあと、やまんばをうまくやりすごした馬かたは、ある一軒家にたどり着きます。じつは、そこはやまんばの家で、梁の上にかくれた馬かたは、帰ってきたやまんばをことあるごとにだし抜き、みごと馬の仇をとります。馬かたが梁の上にかくれた場面では、絵本をタテにして読むつくりになっています。小学校低学年向き。

2011年12月15日木曜日

ゆきのひ











「ゆきのひ」(エズラ=ジャック=キーツ/作 きじまはじめ/訳 偕成社 1990)

冬のある朝、ピーターは目をさまして窓の外をみると、どこを見ても雪が積もっていました。朝ごはんを食べてから、マントを着て外に飛びだしたピーターは、雪の上を、つま先を外にむけて歩いたり、なかにむけて歩いたりしました。

ピーターは、足を引きずって線をつくったり、棒で木に積もっている雪を落としたり、雪だるまをつくったり、天使のかたちをつくったりします──。

雪の日の、ピーターの1日をえがいた絵本です。絵はコラージュで表現されています。このあと、家に帰ったピーターは、お風呂のなかで、きょうなにをしたか、何回も思い出します。だれしもが思い当たる雪の日を、鮮やかにとらえられた一冊です。1963年度コールデコット賞受賞。小学校低学年向き。

2011年12月14日水曜日

しかのハインリッヒ

「しかのハインリッヒ」(フレッド・ロドリアン/作 ヴェルナー・クレムケ/絵 上田真而子/訳 福音館書店 1988)

シカのハインリッヒは、何週間も汽車に乗り、長い船旅をして、中国の深い森から大きな動物園へ連れてこられました。動物園で暮らすようになって一番うれしかったのは、子どもたちがやってきてくれたときでした。子どもたちは、飼育係のエーリッヒさんからお許しがでたときだけ、ニンジンを投げてくれました。ところが、クリスマスイブの日、子どもたちはプレゼントで頭がいっぱいで、だれもハインリッヒのところにきてくれません。夜になり、ハインリッヒはえいと柵を飛びこえると、動物園の仲間にさよならをいいました。そして、ふるさとの中国の森へむかって駆けていきました。

ふるさとの森に帰ろうと思ったハインリッヒでしたが、だんだんお腹がぺこぺこになってきます。そこで、ある村に近づくと、子どもたちがやってきます。歌いながらやってきたその子たちは、動物園にハインリッヒに会いにきた、あの子どもたちで、カブラやキャベツを結びつけた、森の動物たちへのクリスマスツリーを地面に突き立てると、歌いながら去っていきます──。

クリスマス絵本の一冊です。このあと、クリスマスツリーのごちそうを食べたハインリッヒは、お腹いっぱいになったものの、なんとなくものたりなくなり、動物園にもどります。動物園には、子どもたちが大勢待っていて、ハインリッヒはまた柵のなかにもどります。絵は、太い描線でえがかれたユーモラスなもの。語り口もユーモラスで、最後にすべてがうまくいく楽しい読物絵本です。小学校中学年向き。

2011年12月13日火曜日

やっぱりおおかみ












「やっぱりおおかみ」(ささきまき/作 福音館書店 1977)

オオカミはもういないと、みんな思っていますが、本当は一匹だけ残っていました。ひとりぽっちのオオカミは、仲間をさがして町を毎日うろついていました。

オオカミがくると、ウサギもブタも逃げだしてしまいます。みんな仲間がいて、とても楽しそうですが、オオカミに似た子はどこにもいません──。

ひとりぽっちのオオカミのお話です。絵は、佐々木マキ特有の、ユーモラスな絵。多少、マンガ風にコマ割りされています。線で、ほとんど黒く塗りつぶされているオオカミのセリフは、「け」のひとことだけ。オオカミの孤独感が印象に残ります。ですが、最後は不思議と晴れやかな気持ちになる一冊です。小学校中学年向き。

2011年12月12日月曜日

あたらしいぼく












「あたらしいぼく」(シャーロット・ゾロトウ/文 エリック・ブレグヴァド/絵 みらいなな/訳 童話屋 1990)

《なんか へんな かんじなんだ

 たしかに ぼくは ここにいるんだけど
 そのぼくは ぼくじゃないみたいなんだ

 ここには かあさんもいる
 とうさんもいる いもうともいる
 そして ぼくもいるんだけど
 そのぼくは ぼくじゃないみたいなんだ》

少し大きくなった男の子の内面をえがいた絵本です。〈ぼく〉は、去年貼ってもらった、赤と青の風船がえがかれた壁紙が気に入らなくなります。あのとき、木目模様のもあったのに。あっちにしとけばよかったな。友だちのジャックがやってきて、ビー玉で遊ぼうというと、ビー玉はいやだよとこたえます。そして2人で散歩にでかけ、帰ると部屋のガラクタをダンボールにしまいます…。絵は、親しみやすい水彩。絵本というのはこんなこともできるのだと感じさせる一冊です。小学校高学年向き。

2011年12月9日金曜日

ヴァレンカのちいさな家

「ヴァレンカのちいさな家」(ベルナデッテ・ワッツ/作 いけだかよこ/訳 ほるぷ出版 1992)

昔、ロシアの森にヴァレンカという名前のおばさんが住んでいました。ヴァレンカはいつでも、聖母マリアさまと、赤ちゃんのキリストさまがえがかれたイコンに、森の花を飾りっていました。ある日、幸せに暮らしているヴァレンカのもとへ、大勢のひとたちがやってきました。「西のほうが戦争だ。兵隊がどんどんこっちにやってくる。荷物をまとめていますぐ逃げよう。さもないと、ひどい目にあうぞ」。すると、ヴァレンカはいいました。「わたしも逃げてしまったら、だれが疲れた旅人の世話をする。森で迷子になった子どもたちを、だれが助けてやる。冬になって、雪がつもり、氷が張ったら、だれがけものや鳥たちにえさをやる」──。

次の日、小屋に火をつけられたヤギ飼いのピョートルが、ヤギと一緒にヴァレンカの家にやってきます。その次の日、村も畑もめちゃくちゃにされた絵描きのスチェバンを、ヴァレンカは家に誘います。その夜、ヴァレンカの家に、逃げる途中両親とはぐれてしまった、ハトを抱いた小さな女の子が訪れます。ヴァレンカは毎晩、「兵隊にこの家がみえないほど高い壁をつくってください」と神さまにお祈りをします──。

作者のベルナルデ・ワッツは、「ヘンゼルとグレーテル」(岩波書店 1985)や「まつぼっくりのぼうけん」などで高名な、バーナデット・ワッツのこと。本書はワッツの処女作です。このあと物語は、神さまがみんなのお祈りにこたえてくれ、すべてが満足のいくラストを迎えるのですが、そこに至るまでの迫真さには大変なものがあります。絵は、おそらくクレパスをつかってえがかれたもの。作中にも登場した、イコンのような絵柄です。小学校中学年向き。

2011年12月8日木曜日

ゆきとくろねこ











「ゆきとくろねこ」(竹下文子/作 おおの麻里/絵 岩崎書店 2008)

《なんだろう
 あさから おちつかない
 うちの なかは しずかだ
 でも なんとなく いつもと ちがう

 すずめの うわさでは
 なにかが やってくるらしい
 とおい きたのくにから くるらしい
 でも それは なんだか わからない
 きいても おしえてくれない》
 ──

黒ネコがはじめて雪と出会う絵本です。いつもと同じようでいて、なにかちがうと思い続ける黒ネコは、このあと、とうとう雪に出会います。絵は、シンプルなイラスト風のもの。黒ネコがキャットフードを食べている顔など、よく特徴をとらえています。文章は人称がないため、最初だれが語っているのかと戸惑いますが、読んでいくうちに、黒ネコが語っているのだと察することができます。雪が降るまでの落ち着かなさに、この語り手の不明瞭さも、ひと役買っているように感じられます。小学校低学年向き。

2011年12月7日水曜日

急行「北極号」










「急行「北極号」」(C.V.オールズバーグ/作 村上春樹/訳 あすなろ書房 2003)

ずいぶん昔、まだ子どものころ、クリスマス・イブの夜に、ぼくはサンタのそりの音が聞こえないかとベッドで耳をすませていました。すると、夜も更けてから、しゅうっという蒸気の音と、金属がきいいっときしむ音が聞こえてきました。スリッパをはき、ローブをはおって外にでると、車掌が、「みなさん、ご乗車くださーい」と大きな声で叫びました。「どこへいくんですか」とたずねると、「どこって、もちろん北極点さ。これは急行『北極号』だもの」と、車掌はこたえました。

ぼくが列車に乗りこむと、なかはパジャマやナイトガウンを着た子どもたちでいっぱい。列車は、暗い森を抜け、高い山をこえて、北極点の町へむかいます──。

クリスマス絵本の一冊です。夜、列車に乗って北極点の町にいくというアイデアがなにより秀抜です。絵は、おそらくパステルをつかってえがかれたもの。オールズバーグは、ありえない世界を、劇的な構図と大変な画力でみせてくれます。物語はこのあと、北極点に着き、「クリスマスのプレゼントになにがほしいのかな」とサンタにたずねられた〈ぼく〉がサンタの鈴をお願いして…と続きます。クリスマスの夜の幻想をえがいた、オールズバーグの代表作です。1980年度コールデコット賞受賞作。小学校中学年向き。

2011年12月6日火曜日

おおいそがし、こいそがし











「おおいそがし、こいそがし」(ユンクビョン/文 イテス/絵 小倉紀蔵/訳 黛まどか/訳 平凡社 2003)

《山あいの村にすんでいるマル。
 マルの村には、秋がひとあしはやくやってくる。
 秋がくると、うちじゅうみんな、
 おおいそがし、こいそがし。

 おにわに、 けいとうの花がまっかにさくころ、
 じいちゃんはとうもろこしを干すのに、
 ばあちゃんはごまの実をとるのに、
 おおいそがし、こいそがし。

 だんだん畑にそばの花がまつしろにさくころ、
 ばあちゃんはとうがらしを干すのに、
 マルはにわとりを追いまわすのに、
 おおいそがし、こいそがし。》

副題は「韓国の四季の絵本・秋」。韓国の山あいにある村の、農家の情景をえがいた一冊です。絵は、おそらく色鉛筆と水彩でえがかれたもの。細やかなタッチで、動植物がいきいきと描かれています。また、引用したとおり、文章は分かち書きされていません。このあとも、マルは、田んぼのスズメを追い払ったり、朝早く栗ひろいにいったり、稲刈りの手伝いをしたりと、ほんとうに大忙し。とうがらしを干したり、キムチをつくったりするところが、韓国らしいところでしょうか。小学校低学年向き

2011年12月5日月曜日

はい、このひとがママです!

「はい、このひとがママです!」(ダイアン・グッド/作 なかやまのぶこ/訳 文化出版局  1992)

駅に着いたとき、急に風が吹いてきて、ママの帽子がどこかに飛んでいってしまいました。ママは、「帽子をさがしてくるわ。ここからうごいちゃダメよ」と、子どもたちにいいました。

こうして、姉弟はママを待ちますが、ママはなかなかもどってきません。泣いていると、おまわりさんがやってきて、「ママはどんなひと?」と訊いてきます。「ママは世界中でいちばんきれいなひと」とこたえると、おまわりさんは、「一緒にさがしにいこうね」と姉弟を連れて、ママをさがしにでかけます――。

ママとはぐれてしまった姉弟が、ママをさがすお話です。このあと、ページをめくるたびに、姉弟は女のひとと対面します。まず最初はお金持ちのご婦人。「ママはとっても力もちなの。自分の荷物は自分ではこべるわ」。で、次の場面はキオスクの前。新聞を肩にのせたお姉さんに、「ママは新聞を読まないの。本が好きなの」。そこで、次は本屋さん。「ママはひそひそ話なんてしないもの。みんなママの声は素敵ねってほめてくれるの」。そして、次は劇場へ…と物語は続きます。絵は水彩。駅をゆきかう群集がみごとにえがき分けられています。おまわりさんと姉弟がママをさがす場面では、よく見るとママの姿が見受けられます。じつは、姉弟とママはいきちがってばかりいたのだとわかる仕掛けになっています。小学校低学年向き。

2011年12月2日金曜日

ピエールとライオン












「ピエールとライオン」(モーリス・センダック/作 じんぐうてるお/訳 富山房 1986)

ある朝、お母さんはピエールに、「おはよう、ぼうや、私の宝」といいました。すると、ピエールは、「ぼく、知らない!」といいました。お母さんが、「なにが食べたい?」と訊いても、「後ろむきに腰かけちゃだめ」といっても、ピエールは「ぼく知らない!」というばかり。とうとう、お母さんはピエールを置いて出ていってしまいました──。

本書の副題は、「はじまりのうたといつつのおはなし」。「はじまりのうた」というのは、本書の内容をうたにしたものです。引用してみましょう。

《おとこのこが ひとり
 なまえは ピエール
 このこが いうのは ただひとつ
 「ぼく知らない!」
 どうぞ みなさん およみなさい
 きちんと よめば
 おしまいに
 ためになること かいてある》

「いつつのおはなし」とあるように、お話はぜんぶで5章に分かれています。このあと、お父さんがピエールのご機嫌をとろうとするのですが、上手くいかず、お母さんと一緒にでていってしまい、するとピエールのところにライオンがやってきて…と物語は続きます。センダックの芝居がかった絵が、お話を楽しい読みものにしています。小学校低学年向き。

2011年12月1日木曜日

わたしの庭のバラの花












「わたしの庭のバラの花」(アーノルド・ローベル/文 アニタ・ローベル/絵 松井るり子/訳 セーラー出版 1993)

《これはわたしの庭の
 バラの花でねむるハチ。

 これはわたしの庭のバラの花でねむる
 ハチに日かげをつくっている
 すっとのびたタチアオイ。

 これはわたしの庭のバラの花でねむる
 ハチに日かげをつくっている
 すっとのびたタチアオイのわきの
 まるいオレンジいろのきんせんか。》

作者たちは夫婦。アーノルド・ローベルは「がまくんとかえるくん」シリーズや、「とうさんおはなしして」の作者、奥さんのアニタ・ローベルはの「ちいさな木ぼりのおひゃくしょうさん」などの作者です。本書は、マザーグースの「これはジャックのたてたいえ」や、「これはのみのぴこ」のような、積み上げ歌の絵本です。最後、積み木がくずれるように、なにもかもご破産になって、また最初にもどります。ラストの展開に驚いてしまう一冊です。小学校中学年向き。

2011年11月30日水曜日

子リスのアール












「子リスのアール」(ドン・フリーマン/作 やましたはるお/訳 BL出版 2006)

秋の朝早く、灰色リスのお母さんは、小さい息子に話しかけました。「ねえ、アール。そろそろおまえも外にでて、自分の手でドングリをみつけることをおぼえるときだよ」。そこで、アールはジルという名前の、人間の女の子のところにいきました。すると、ジルはアールに、ドングリとクルミ割り器をくれました。

さて、アールが巣穴にもどると、お母さんはこういいます。「リスのくせにクルミ割り器がいるなんて聞いたことある? ドングリもジルがくれたのよね。あの娘は、おまえを世界一だめなリスにする気なのよ!」。アールはジルにクルミ割り器を返しにいき、こんどは赤いスカーフをもらってきます。そして、ドングリをさがしに、夜、ひとりでそっと巣穴を抜けだします──。

「くまのコールテンくん」などで名高いドン・フリーマンの絵本です。絵は、版画風の(版画?)白黒のもの。スカーフだけに赤がつかわれています。アールのドングリさがしは、なかなかうまくいかないのですが、途中出会ったフクロウに、雄ウシのいるナラの木を教えてもらい、赤いスカーフのおかげで、みごとドングリを手に入れます。すべてが思いがけなく進んでいくストーリーが大変楽しい一冊です。小学校中学年向き。

2011年11月29日火曜日

ねずみのウーくん










「ねずみのウーくん」(マリー・ホール・エッツ/作 たなべいすず/訳 富山房 1983)

シューシュコ町の靴直し、マイクルおじさんは、ミーオラという猫とロディゴという犬、それにアンソニー・ウーくんというネズミと一緒に暮らしていました。ミーオラとロディゴはしょっちゅうアンソニー・ウーくんをいじめていました。それに、2匹はいつもケンカばかりしていました。静かに暮らしたくて、オウムのいる姉さんの家をでてきたマイクルおじさんは、みんなに仲良く暮らしてほしいと思っていました。

ある日、マイクルおじさんが、町へ靴をつくる材料を買いにいって家を留守にしているとき、ロディゴとミーオラは大ゲンカをして、家のなかをめちゃくちゃにしてしまいました。そこに、お姉さんのドーラおばさんがやってきました。ドーラおばさんは、ロディゴとミーオラを外にだし、家のなかを掃除しながら、あたしがここに引っ越してきて、弟の世話をすればいいんだわと思いました。

「もりのなか」などで高名な、エッツによる少々長め(55ページ)の読物絵本です。絵は白黒で、文章はタテ書き。このあと、ドーラおばさんはオウムのポリーアンドリューを連れて、マイクルおじさんの家に越してきます。ネズミが大嫌いなドーラおばさんは、あちこちにネズミとりをしかけ、ロディゴやミーオラは、ネズミを捕まえるまでごはんは抜きにされてしまいます。すっかり困ってしまったロディゴとミーオラは相談し、アンソニー・ウーくんに助けをもとめて…と物語は続きます。よく観察のいきとどいた、ていねいな物語はこびが印象深い一冊です。小学校中学年向き。

2011年11月28日月曜日

スティーナとあらしの日












「スティーナとあらしの日」(レーナ・アンデェション/作 佐伯愛子/訳 文化出版局 2002)

毎年、夏になるとスティーナは、島にあるおじいちゃんの家にやってきます。スティーナは、岸に流れついたものや、みつけてほしそうにしているものを、いつも探しまわっています。2人はほとんど毎日舟をだし、しかけた網をしらべにいきます。

さて、夜になり、おじいちゃんはラジオをつけて、「今夜は雨になるらしいぞ」といいました。それを聞いたスティーナは、急に立ち上がり、「もう寝ようっと」といいました。しばらくして、おじいちゃんがスティーナのベッドをのぞくと、ベッドは空っぽになっていました──。

島で嵐に出くわしたスティーナのお話です。絵は、一日の移り変わりが美しくとらえられた水彩。このあと、嵐がどんなものか見にきたものの、暗くて怖くて、岩かげでべそをかいているスティーナを、おじいちゃんはみつけます。そして、最初からやり直しだと、嵐にふさわしい格好をして、もう一度2人ででかけます。おじいちゃんの優しさが心に残る一冊です。小学校中学年向き

2011年11月25日金曜日

アイラのおとまり












「アイラのおとまり」(バーナード・ウェーバー/作・絵 まえざわあきえ/訳 ひさかたチャイルド 2009)

となりのレジーに、泊まりにおいでよといわれ、アイラはとても喜びました。でも、アイラのお姉ちゃんはいいました。「アイラは、赤ちゃんのときから、あのクマのぬいぐるみと寝てるじゃない。ほんとにひとりぼっちで寝られるのかしらねええええ」。

クマちゃんをもっていったら、赤ちゃんみたいだとレジーに笑われるかもしれません。お父さんやお母さんは、「レジーは笑わないからつれていったら」といいますが、お姉ちゃんは「笑うよ」といいます。そこで、さんざん悩んだアイラは──。

お泊まりにいくとき、ぬいぐるみのクマをもっていくかどうかで悩むアイラのお話です。本文は、〈ぼく〉というアイラの一人称。作者のバーナード・ウェーバーは、「ワニのライル」シリーズの作者として高名です。物語はこのあと、ぬいぐるみをもっていかないときめたアイラに、意外なことが起こります。はじめてのお泊まりの不安と楽しさをえがいた読物絵本です。小学校中学年向き。

2011年11月24日木曜日

みんなぼうしをかぶってた












「みんなぼうしをかぶってた」(ウィリアム・スタイグ/作 木坂涼/訳 セーラー出版 2004)

1916年、ぼくは8歳だった。父と母は遠いヨーロッパからアメリカにやってきた。たまに、父と母はケンカをした。冬、部屋がなかなか暖かくならないと、父が暖房器具とケンカをすることもあった。ときおり、遠い両親の生まれ故郷から、かなしい知らせが届いた。母が泣いているのをみると、ぼくらまでどうしていいかわからなくなった──。

1907年に生まれ、2003年に亡くなったウィリアム・スタイグが、子どものころを回想した絵本です。絵はコミカルで、実感のこもった、ひとことでいって素晴らしいもの。スタイグは4人兄弟の下から2番目。小さいアパートに暮らしていたので、ひとりになりたいと思ってもとても無理。父も母もオペラを聴くのが好きで、父はボートをこぐのがとびきりうまかった。近所で一番かわいい子はマリアン・マック。けれど、当時、男の子と女の子は一緒には遊ばなかった──。絵本の冒頭には、8歳の、木に登っている作者が、そして巻末には、この絵本をえがいたころの作者の写真が載っています。外国のひとの、子どものころの話なのですが、読むと胸を打たれるのが不思議です。小学校中学年向き。

ちいさなちゃいろいうし












「ちいさなちゃいろいうし」(ビジョー・ル・トール/作 酒井公子/訳 セーラー出版 1997)

《せなかに
 ぜんぜん
 もようの ない

 ちいさな
 ちゃいろい うしが

   うちの うらにわに
 すんでるの

 ちゃいろい うしは すべすべで

 きれいな つのが
 ふたつ
 おでこの うえに あるの》

女の子が、裏庭にいる茶色いウシについて語った絵本です。文章と同様、絵もシンプルで可愛らしい水彩でえがかれています。小学校低学年向き。

2011年11月21日月曜日

そんなときなんていう?










「そんなときなんていう?」(セシル・ジョスリン/文 モーリス・センダック/絵 たにかわしゅんたろう/訳 岩波書店 1979)

《まちの まんなかで ひとりの しんしが、
 みんなに あかちゃんぞうを あげている。
 いつも ほしいと おもっていたから、
 きみも いっとう うちへ もってかえりたい。
 でも、まず しんしは きみを あかちゃんぞうに
 しょうかいする。
 そんなとき なんていう?》

《おしろの そとで たんぽぽと おだまきそうを
 つんでいると、とつぜん おそろしい りゅうが
 あらわれて、あかい けむりを ふきかけた。
 ところが ちょうど そのとき ゆうかんな
 きしが かけつけ、りゅうの くびを ちょんぎった。
 そんなとき、なんていう?》

本書の冒頭にこうあります。

《わかき しんし
 しゅくじょの ための
 れいぎさほうの ほん》

この言葉どおり、本書は、こういう場合どんな風にこたえればいいかを説いた礼儀作法の本です。引用したような、ナンセンスなシチュエーションをえがいたページをめくると、若き紳士淑女が芝居気たっぷりに、「はじめまして」とか「どうもありがとう」とか返事をします。ほかにも、カウボーイに銃を突きつけられたときや、道ばたでワニを踏んづけたとき、飛行機に乗っていて、ひとのうちの屋根に穴を開けてしまったときなどの答えかたが紹介されています。次つぎとあらわれる、ありえない状況と、礼儀正しい受け答えが楽しい一冊です。小学校低学年向き。

2011年11月18日金曜日

星と月の生まれた夜











「星と月の生まれた夜」(D・グティエレス/文 M・F・オリベル/絵 山本厚子/訳 河出書房新社 1994)

昔むかし、はるかかなたの村に、闇夜がきらいなひとりのセニョール(男のひと)が住んでいました。セニョールは太陽の光のなかで、一日中竹かごを編んだり、動物たちの世話をしたり、野菜畑に水をまいたりして楽しく暮らしていました。でも、太陽が山のむこうにかくれると、いつも悲しくなりました。

ある日、太陽が姿をかくしてしまうと、セニョールはいちばん高い山に登り、頂上から叫びました。「おーい! 闇夜ー! 暗くするのをやめておくれよ!」。すると、闇夜はちょっとのあいだ暗くするのをやめました。そして、「光をどこに連れていってしまうんだい?」というセニョールにこたえました。「光は、わたしの後ろにかくれてしまうんじゃよ。わたしにはどうすることもできないんだよ」。

世界民族絵本集の一冊です。本書はベネズエラの絵本。物語も、ベネズエラの昔話から採られたのかもしれません。お話はこのあと、闇夜がいったことをくり返し考えたセニョールが、どうすればいいかわかったぞと、再び山に登っていって…と続きます。絵は水彩。夜空に星や月が輝きだす場面では、月や星がほんとうに光っているようにみえます。小学校中学年向き。

いっすんぼうし











「いっすんぼうし」(いしいももこ/文 あきのふく/絵 福音館書店 1980)

昔、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。2人には子どもがありませんでしたので、それをなによりもさびしく思っていました。そこで、おじいさんとおばあさんは、「手の指ほどの小さい子どもでもひとりあったら、どんなによかろう」と話しあい、お天道様をおがんでは、「どうぞ子どもをおさずけください」とお願いしました。

すると、そのうち、おばあさんのお腹が痛くなって、赤ん坊が生まれました。ところが、その男の子は小さくて、手の指ほどしかありません。おじいさんとおばあさんは驚きましたが、これもお天道様のおぼしめしであろうと、赤ん坊を一寸法師と名づけ、可愛がって育てます──。

ご存知、一寸法師のお話です。石井桃子さんと秋野不矩さんによる仕事は、素晴らしい仕上がりです。このあと、12、3になっても小さいままの一寸法師に、おじいさんとおばあさんはがっかりますし、村の子どもたちは「ちび、ちび」といって、馬鹿にするようになります。そこで、一寸法師はみやこにでることを決意して…と物語は続きます。表紙の絵は、おそらくまだマゲを結うまえの一寸法師でしょう。小学校低学年向き。

2011年11月17日木曜日

あらしのひ












「あらしのひ」(シャーロット・ゾロトウ/作 マーガレット・ブロイ・グレアム/江 まついるりこ/訳 ほるぷ出版 1995)

暑いあつい、田舎の夏の日。もやがうごいて、ほてった空が灰色に変わりはじめました。鳥は鳴かず、小枝もそよがず、風も吹かない、どんよりとした大きな世界が息をとめました。黒い雲が姿をあらわし、干上がった地面に影を落としました。すると、つぎつぎに雲が空をおおい、おしまいにはあたりが夜のよう真っ暗になりました──。

嵐がやってきて去るまでをえがいた絵本です。作者のゾロトウは、「うさぎさんてつだってほしいの」などの作者、画家のグレアムは、「どろんこハリー」の画家として、それぞれ高名です。文章は漢字が多いですが、すべてルビが振られています。本書は、絵だけのページと文章だけのページが交互にくる構成。この構成について、訳者の松井るり子さんは「訳者あとがき」でこう記しています。

「ページを立てて両側から顔をくっつけるようにして、大人が字を読み、子どもが絵をみる。その後ページを寝かせて、親子で絵を見る。そんな時間をもってくださいという絵本作家の声が聞こえてきそうです」

読み終わると、ほんとうに嵐がすぎ去ったような気持ちになる一冊です。小学校中学年向き。

2011年11月15日火曜日

おばあちゃんの魚つり












「おばあちゃんの魚つり」(M.B.ゴフスタイン/作・絵 落合恵子/訳 アテネ書房 1980)

おばあちゃんは、釣りにいくとき朝の5時に目をさまし、それから、いそいでいそいでお皿を洗い、大きな麦わら帽を頭にのせて、さあ出発。ボートにこぎだして、日がな一日釣りをします──。

釣りにいくおばあちゃんの一日をえがいた絵本です。おばあちゃんの釣り針には、コイやマスやナマズや、ときにはでっかいカワカマスもかかります。釣った魚はバターで焼いて夕食に。それから、いそいでいそいでお皿を洗い、あしたの釣りに備えます。絵は、非常なシンプルさでえがかれた線画。いつものようにゴフスタインの絵本はシンプルですが、それでいて、おばあちゃんの暮らしが満ち足りたものと思えます。小学校中学年向き。

2011年11月14日月曜日

ふわふわしっぽと小さな金のくつ












「ふわふわしっぽと小さな金のくつ」(デュ・ボウズ・ヘイワード/作 マージョリー・フラック/絵 羽島葉子/訳 1993)

イースター・バニーとは、たった半日のあいだに、世界中をまわって、子どもたちに幸せを呼ぶタマゴを届けるウサギたちのことです。世界中のウサギのなかから、心がやさしくて、足が速くて、おまけにとても賢いウサギが5匹だけえらばれます。イースター・バニーが年をとってはやく走れなくなると、卵宮殿に住む長老ウサギが、世界中のウサギをあつめ、代わりをつとめるのにもっともふさわしい者をえらぶのです。

さて、あるとき、からだは茶色、しっぽは綿の実のように白くてふわふわなので、ふわふわしっぽという名前の田舎ウサギの女の子が、こんなことをいいました。「大人になったら、わたし、イースター・バニーになるの。いまに見てて!」。それを聞いて、大きな真っ白ウサギや、長い足でビュンと走りまわる野ウサギは笑いました。時がすぎ、ふわふわしっぽは大人になり、結婚して21匹のふわふわしっぽの赤ちゃんを生みました。真っ白ウサギや野ウサギは笑いながら、「おまえの仕事は子守だよ。イースターは、おれたちみたいに立派な男のウサギにまかせとけって」といいました。ふわふわしっぽは、幸せのタマゴを世界中の子どもに贈る夢をあきらめて、自分の子どもの世話をすることにしました。

子どもたちが大きくなると、ふわふわしっぽは銘々に、お掃除や料理や洗濯や裁縫や、歌やダンスのしかたなどを教えました。ある日、イースター・バニーの1匹が年をとってはたらけなくなったので、長老ウサギが新しいウサギをえらぶという話を耳にしました。そこで、ふわふわしっぽは少し悲しい気持ちをおぼえながら、子どもたちを連れて卵宮殿に見物にいくことにしました──。

イースター・バニーを主人公にした絵本です。イースターの説明がカバー袖にあるので、引用してみましょう。

《イースターは、キリスト教を信奉する国々で、もっとも大事なお祭りのひとつ。キリストが死後3日目に復活したことを記念し、また春のおとずれに感謝するお祝いです。イースターの祝日は、春分の日のあとの満月のつぎにくる日曜日。だから、その年によって日付がちがいます。》

《イースターに欠かせないのが、このお話の主人公にもなっているイースター・バニー、幸運をよぶ卵を配るうさぎです。うさぎは、春になるとたくさん子どもを産むので、生命や多産の象徴、卵は復活の象徴といわれています。この日は、ゆで卵にきれいに絵を描いてプレゼントしたり、うさぎの形をしたチョコレートやキャンディーを食べたりして楽しく過ごします。》

絵は古風な、しかしウサギの姿がじつに可愛らしいもの。絵を描いたマージョリー・フラックは、「アンガスとあひる」の作者です。文章は漢字が多いのですが、すべてルビが振ってあります。物語はこのあと、ふわふわしっぽが長老ウサギにみこまれて、イースターバニーの仕事をすることになり…と続きます。ふわふわしっぽの活躍が楽しい読物絵本です。小学校中学年向き

2011年11月13日日曜日

あかいじゅうたん

「あかいじゅうたん」(レックス・パーキン/作 みむらみちこ/訳 ジー・シー 1989)

丘の上のラ・サル通りに、ベルビュー・ホテルという小さなホテルがありました。入口には、しま模様の雨よけがあり、特別の日だけ空色の服を着たドアマンっが、赤いじゅうたんをその下にひろげました。

さて、ある日のこと、ホテルにサルタナ公が泊まりにくることになりました。ドアマンは掃除をし、じゅうたんを広げようと靴のちょっと押しました。すると、じゅうたんはどんどん転がっていき、道路にでて、丘をくだって──。

赤いじゅうたんが、町中をどんどんころがっていくという絵本です。絵は、カラーと白黒が交互にくる構成。白黒の場面でも、じゅうたんだけは鮮やかな赤で彩られています。物語はこのあと、町中を駆けめぐるじゅうたんに、市長が緊急事態を宣言。じゅうたんを逮捕するために大勢の警官が出動するという、とんでもない展開になります。でも、もちろん、最後はなにもかもうまくいきます。小学校低学年向き。

2011年11月11日金曜日

門ばんネズミのノーマン











「門ばんネズミのノーマン」(ドン・フリーマン/作 やましたはるお/訳 BL出版 2009)

マジェスティック美術館に、ノーマンという名前のネズミが住んでいました。ノーマンは、美術館の門番で、お宝をみにくる芸術好きのネズミのお客たちを、だれでもむかえ入れました。そして、さまざまな絵や彫刻などを、まるで自分がつくったかのように、ていねいに説明しました。

さて、ほとんどのひとと同じように、ノーマンにも趣味がありました。1日の仕事が終わったあと、すみかにしている騎士のカブトのなかで、絵を描いたり、彫刻をつくったりするのです。ある、とても寒い日に、ノーマンはネズミとりの針金をつかって、ひとつの作品をつくりました。それは、空中ブランコをするネズミをあらわした作品でした。

「くまのコールテンくん」や「みつけたよぼくのにじ」などで高名な、ドン・フリーマンによる絵本です。本作の主人公は、芸術好きのネズミです。門番らしく、きちんと青い制服を身につけています。このあと、美術館で彫刻コンテストがおこなわれることを知ったノーマンは、自分の作品を「ちゅうちゅうブランコ」と名づけて出品します。作品は審査員の好評を得るのですが、自分のしかけたネズミとりが作品になっていると気がついたガードマンが不審に思い…と、物語は続きます。絵は、色鉛筆でえがかれたもの。見返しには、ノーマンがネズミとりの罠をはずす姿がえがかれています。最初から最後まで見所の多い、素晴らしい一冊です。小学校低学年向き。

2011年11月9日水曜日

あかちゃんがやってくる












「あかちゃんがやってくる」(ジョン・バーニンガム/作 ヘレン・オクセンバリー/絵 谷川俊太郎/訳 イースト・プレス 2010)

赤ちゃんがくるのよと、お母さんがぼうやにいいました。いつくるの。用意ができたらね、秋になって葉っぱが茶色くなって散ってくるころ。なんて名前にするの。女の子だったらスーザンかジョセフィン、それともジェニファー。男の子がいいな、一緒に遊べるもん。そしたら、ピーターかスパイダーマンがいい──。

お母さんと男の子が、これから生まれてくる赤ちゃんについて、いろいろ話をする絵本です。赤ちゃんは、シェフになるかもしれないし、絵描きさんになるかもしれない。庭師になるかもしれないし、船長になるかもしれない。お母さんがそういうと、男の子は、赤ちゃん姿の、シェフや絵描きや庭師や船長を思い浮かべます。絵は、線画におそらくコンピュータをつかったと思われる、フラットな色づけがされたもの。人物のしぐさや、シチュエーションがていねいにとらえられています。最後、ぼうやはおじいちゃんと一緒に赤ちゃんに会いにいきます。小学校低学年向き。

古代エジプトのものがたり












「古代エジプトのものがたり」(ロバート・スウィンデルズ/再話 スティーブン・ランバート/絵 百々佑利子/訳 岩波書店 2011)

古代エジプトの神話を紹介した読物絵本です。「太陽神ラーの神話」「オシリスの神話」「ファラオ(王)と神と魔術師」という3つの神話が、17の話により紹介されています。目次を引用してみましょう。

・「まえがき」

《太陽神ラーの神話》
・「光と、ものみなすべての命」
すべてはどうやってはじまったのか

・「いうことをきかない子どもたち」
ヌートとゲブ

・「血の池」
太陽神ラーは、どうやって人間をこらしめたか

《オシリスの神話》
・「神がみのおくりもの」
イシスとオシリス

・「うつくしい箱」
オシリスの死

・「ざんこくな王」
イシス、逃げる
・「ひみつの名前」
イシスはどうやってラーのひみつをききだしたか

・「ちいさなツバメ」
イシス、オシリスをさがす

・「愛の勝利」
オシリス、よみがえる

・「セトの毒ヘビ」
幼子ホルス、すくわれる

・「魔法の目」
ホルスは、どうして目をなくしたか

・「ホルスの復讐」
ホルスは、どうやってオシリスの復讐をなしとげたか

《ファラオ(王)と神と魔術師》
・「王子とゆうれい」
トトの魔法の本

・「怒れる神」
ナイル川の氾濫は、なぜとまったのか

・「なんでももっていた王さま」
おちた髪どめ

・「不実な妻たち」
誠実な弟

・「天にむかう船」
きょうふの旅路

・「物語に登場する男神(おがみ)と女神たち」

このなかから、簡単にオシリスの神話の出だしを紹介しましょう。

ヌートとゲブの子どもたち(イシス、オシリス、セト、ネフティス)が大きくなると、イシスとオシリスにはエジプトのよく肥えた土地があたえられ、セトとネフティスには、砂漠ばかりの残った土地があたえられました。オシリスは役に立つ金属を土のなかから掘りだし、ひとびとにその使いかたを教えました。また、イシスは種をまいたり、ヒツジやヤギやウシを飼うことを教えました。こうして、イシスと、「善き人」と呼ばれるオシリスがおさめたエジプトには、偉大な文明が花開きました。

しかし、オシリスの弟、セトはオシリスをねたんでいました。「兄さんは、いちばんよい土地をもらったんだ。ああいう土地をもらえれば、おれだって美しくしたさ。──オシリスばかり愛され、おれのことはだれも気にかけやしない」。そこで、セトは残酷な計略を思いつきました。長い旅からもどってきたオシリスが、メンフィスの都で休んでいることを知ったセトは、オシリスを呼んで宴会をもよおすことにしました。宴会のさなか、家来たちが華やかに飾られた大きな箱をもってきて、背丈がぴったりおさまれば、この箱がもらえるというゲームがはじまりました。オシリスが入って寝そべると、その箱はオシリスにぴったりでした。でも、これがセトの計略だったのです。セトの家来たちは、オシリスが入った箱のふたを閉じ、縄で縛り上げると、ナイル川に放りこみました。オシリスは息ができなくて死んでしまい、セトはエジプト王の座にすわりました──。

このあと、セトに命を狙われることになったオシリスの身重の妻、イシスの、たったひとりたたかいがはじまります。

絵は、おそらくパステルでえがかれた、シンプルで深みのあるもの。カバー袖にえがかれた訳者による文章によれば、エジプトの物語は、長いあいだだれも知ることができなかったのですが、200年ほど前からヒエログリフ(象形文字)の読みかたがわかってきて、この偉大な物語も知ることができるようになったということです。文章も絵も格調があり、エジプト神話の入門書として優れた一冊となっています。小学校高学年向き。

2011年11月7日月曜日

とうさんおはなしして












「とうさんおはなしして」(アーノルド・ローベル/作 三木 卓/訳 文化出版局 1987)

ベッドに入ったネズミの男の子たちが、父さんネズミにいいました。「お願い、お話をひとつしてよ」。すると、父さんネズミがいいました。「お話が終わったらすぐねんねするって約束するなら、ひとりにひとつずつ、ぜんぶで7つもお話をしてあげよう」。「しますとも、しますとも」と、子どもたちはいいました。

父さんネズミが最初にしたのは、「ねがいごとのいど」というお話。あるとき、願いごとをかなえてくれる井戸をみつけた女の子は、井戸にお金を投げこみました。すると、井戸が「痛いよ!」といいました。次の日も、その次の日も女の子は井戸にお金を投げこみました。でも、そのたびに井戸は「痛いよ!」と返事をするばかり。これじゃ、あたしの願いなんか絶対かないっこないわと、女の子は悲しみましたが、走って家に帰ると、ベッドから枕をとりあげて──。

「がまくんとかえるくん」シリーズで高名な、アーノルド・ローベルによる絵本です。短いお話が7つおさめられています。収録作は以下の通り。

「ねがいごとの いど」
「くもと こども」
「のっぽくん ちびくん」
「ねずみと かぜ」
「だいりょこう」
「ズボンつり」
「おふろ」

お話は、どれもナンセンスでユーモラスなものばかりです。小学校低学年向き。

2011年11月4日金曜日

ねこのホレイショ











「ねこのホレイショ」(エリナー・クライマー/文 ロバート・クァッケンブッシュ/絵 阿部公子/訳 こぐま社 1999)

ネコのホレイショは、しま模様のおじさんネコで、ちょっと太りぎみでした。抱かれるのは嫌いでしたし、うれしいときもめったにのどをゴロゴロ鳴らしませんでした。ホレイショはケイシーさんという女のひとと一緒に、通りに面したレンガづくりの家で暮らしていました。ケイシーさんは、親切すぎるくらい親切なひとで、雨が降ったある日、宿なしの子イヌを家に入れ、そのままおいてやることにしました。ケイシーさんはホレイショに、「きっとおまえのいいお友だちになるわよ」といいましたが、ホレイショはお友だちなんかほしくありませんでした。

その後、お隣りが留守のあいだ、ケイシーさんはウサギも預かってしまいます。さらに、翼の折れたハトがきて、マイケルとベッキーという隣の子どもたちが遊びにきます。とうとう、ホレイショは、もううんざりだと思って家をでてしまうのですが──。

おじさんネコ、ホレイショのお話です。絵は、リノリウム版画でえがかれた、緑とオレンジを基調とした、シンプルで味わい深いもの。このあと、家出をしたホレイショは、2匹の子ネコに出会います。あっちにいけと追い立ててもついてくる子ネコたちの面倒を、ホレイショはしぶしぶみるのですが、ほかに世話をしてくれるひとはいないかと考えて、ケイシーさんのことを思いだします。18×13.5センチと、手のひらサイズの楽しい読物絵本です。小学校低学年向き。

2011年11月2日水曜日

ハービーのかくれが












「ハービーのかくれが」(ラッセル・ホーバン/作 谷口由美子/訳 リリアン・ホーバン/絵 あかね書房 1997)

ジャコウネズミのハービーが裏庭でイカダをつくっていると、お姉さんのミルドレッドが窓から顔を突きだしていいました。「ハービー、やめてよ。うるさいじゃないの。いま詩をつくっているところなのよ」「いやだよ、カナヅチもクギも板も丸太もここにあるんだもん。お姉ちゃんこそどこかにいって詩を書けばいいんだ」。お母さんにも怒られたハービーは、池のむこう岸に泳いで渡り、そこでイカダを完成させます。そして、わざとミルドレッドがみえるところまでイカダをこいで、そこで釣りをしていると、ミルドレッドが声をかけてきます。「そのイカダに乗せてくれない?」「やあだよ。これは、うちでもないし、裏庭でもないんだから。ぜんぶぼくのものだよ。だあれも乗せないよ」

こうして、またいいあらそった2人は、帰ってきたお父さんに罰を受けます。それでも2人はこりません。「あした、すてきなパーティーにいくのよ。弟なんか呼ばれないパーティーよ」と、ミルドレッドがいうと、ハービーもいい返します。「秘密の場所で、秘密クラブの会があるんだ。お姉ちゃんなんか仲間に入れないクラブなんだから」──。

「ジャムつきパンとフランシス」(好学社 2011)などのフランシス絵本で高名な、ホーバン夫妻による絵本です。絵は、魅力的な水彩。このあと、パーティーやクラブを盛んに自慢しあう2人でしたが、偶然たがいの実情を知ってしまい仲直りをします。けんかばかりしている姉弟の姿がいきいきとえがかれた読物絵本です。小学校中学年向き。

魔法のホウキ












「魔法のホウキ」(C・V・オールズバーグ/作 村上春樹/訳 河出書房新社 1993)

はるか昔、ある肌寒い秋の夜のこと、空を飛んでいたホウキは突然飛ぶ力を失って、乗せていた魔女もろとも地上に落ちてしまいました。落ちたところは、ミンナ・ショウという後家さんがひとりで住む家の野菜畑でした。翌朝、魔女をみつけたミンナ・ショウは、恐くてしかたがなかったものの、魔女を家のなかにはこびこみ、ベッドに寝かせてやりました。真夜中になり、傷が癒えた魔女は仲間を呼んで、そこから去っていきました。

さて、ミンナ・ショウは、魔女がいなくなったことには驚きませんでしたが、ホウキがひとりで勝手に床を掃いていることには驚きます。一日中、床を掃き続けるホウキに、別の仕事を教えてみると、ものおぼえのいいホウキは、ぱっとおぼえてしまいます。そのうちホウキは、薪を割ったり、水をはこんだり、牧草地から牛を連れもどしたり、簡単な曲ならピアノで弾けるようになります──。

「急行「北極号」で名高い、オールズバーグの絵本です。絵はモノクロ。絵というより、「場面」といいたくなるような、画像的な絵が、非常な精緻さでえがかれています。このあと、隣人のスパイヴィーさんがホウキを悪魔よばわりし、スパイヴィー家の子どもたちとイヌにからまれたホウキが自分の身を守ったことから、ホウキは焼かれるはめになってしまい…と、物語は続きます。絵も話も不思議な味わいの、幻想的な一冊です。小学校高学年向き。

2011年10月31日月曜日

きつねおくさまのごけっこん












「きつねおくさまのごけっこん」(グリム兄弟/原作 ガビン・ビショップ/絵 江国香織/訳 講談社 1996)

キツネの旦那さまが亡くなると、奥さまは「わたくしは家にこもります」と、部屋に引きこもってしまいました。ネコのお手伝いは、続いて住みこんで、食事のしたくをしたり、村人とのおしゃべりを楽しんだりしました。ネコは、もともと亡くなったキツネを好きではなかったので、ぜんぜん悲しくありませんでした。

さて、キツネの奥さまは、大変な美人として知られていたので、奥さまのもとには次つぎと紳士が結婚の申しこみにやってきます。最初にやってきたのはオオカミでしたが、ネコがとりつぐと、オオカミの姿を聞いた奥さまはきっぱりとお断りします。次にやってきたのはイヌで、その次はウサギでしたが、やっぱり奥さまは断ります──。

グリム童話をもとにした絵本です。絵は、線画に水彩で色づけした、見栄えのするもの。このあと、ついにキツネの紳士がやってきて、奥さまは「わたしはこんどこそ、幸せな結婚をするでしょう」と、再婚を決意します。脇役の、お手伝いのネコが大変いい味をだしています。小学校低学年向き。

2011年10月28日金曜日

神の道化師












「神の道化師」(トミー・デ・パオラ/作 ゆあさふみえ/訳 ほるぷ出版 1980)

昔、イタリアのソレントに、ジョバンニという小さな男の子が住んでいました。ジョバンニには、お父さんもお母さんもいませんでした。でも、なんでも空中に投げ上げて、お手玉のようにくるくる上手にまわすことができたので、いつも八百屋のパプチスタさんの店先で、得意の芸をみせました。町のひとたちは、ジョバンニの技をみにあつまってきて、終わると、店で買い物をしました。そして、ジョバンニは、パプチスタのおかみさんから、熱いスープをごちそうになるのでした。

ある日、町に旅芝居の一座がやってきます。その舞台をみて、あれこそぼくにぴったりの暮らしだと思ったジョバンニは、親方に芸をみせ、一座の一員にしてもらいます。ほどなく、道化師の格好をして舞台に立つようになったジョバンニは、しだいに名を知られるようになり、旅芝居の仲間と別れて、国中を旅するようになります。

イタリアの民話をもとにした絵本です。同じくこの民話をもとに、アナトール・フランスが「聖母の曲芸師」という短編を書いていることが思い出されます(「詩人のナプキン」(堀口大学/訳 筑摩書房 1992)収録)。このあと、歳月はすぎ、年老いて芸の腕がすっかりおとろえたジョバンニは、子どものころのようにパンをめぐんでもらいながら、故郷のソレントに帰ります。聖フランシスコ教会の修道院にもぐりこみ、眠っていると、やがてひとびとの歌声で目をさまします。その日はちょうどクリスマス・イヴで、ひとびとはイエスさまにささげものをもってきたのです。その夜、ささげるものがなにもないジョバンニは、イエスの像をよろこばせるために、一世一代の芸を披露します──。おそらく、作者の代表作と思われる一冊です。小学校中学年向き。

サリーのこけももつみ










「サリーのこけももつみ」(ロバート・マックロスキー/作 石井桃子/訳 岩波書店 1986)

ある日、サリーはお母さんとコケモモ(ブルーベリー)を摘みにいきました。「コケモモをつんだら、うちにもって帰ってジャムをつくりましょう。そうすれば、冬になってもたくさんジャムが食べられるからね」と、お母さんはいいました。コケモモ山の向こう側には、子グマがお母さんグマとコケモモを食べにやってきていました。「太って大きくなるように、たくさん食べておおき。寒い長い冬がくるから、おなかにいっぱい食べものをためておかなくてはいけないのだよ」と、お母さんグマはいいました。

さて、サリーはつんだコケモモをバケツに入れないで、みんな食べてしまいます。そうしているうちに、お母さんとはぐれてしまい、サリーはお母さんをさがしにいきます。いっぽう、子グマもお母さんとはぐれてしまい──。

すでに古典となった傑作絵本の一冊です。お話会の定番絵本のひとつでもあります。物語はこのあと、サリーがお母さんグマに会い、子グマが人間のお母さんと出会うのですが、その展開は大変サスペンスにあふれています。絵は白黒の、リアリティのある生き生きとしたもの。見返しに、サリーと、ジャムづくりをしているお母さんがえがかれています。小学校低学年向き。

2011年10月27日木曜日

すてきな三にんぐみ












「すてきな三にんぐみ」(トミー=アンゲラー/作 いまえよしとも/訳 偕成社 1991)

黒いマントに黒い帽子をかぶった3人組は泥棒でした。夜になると山を降り、目つぶしのコショウ吹きつけで馬車をとめ、真っ赤な大まさかりで車輪をまっぷたつにし、ラッパ銃で脅して、乗客からお宝を奪いました。そして、奪ったお宝は、山のてっぺんにある隠れ家にすべてはこびこみました。

さて、ある夜のこと、いつものように馬車を襲った3人組でしたが、そのときの乗客はティファニーちゃんだけ。獲物はなんにもなかったので、3人組はティファニーちゃんを大事にかかえ、隠れ家へはこびます──。

すでに古典となった、お話会の定番絵本です。子どもたちに読んでみると、最初はちょっと怖い雰囲気があるのか、そわそわと落ち着かない様子をみせます。物語はこのあと、ティファニーちゃんが隠れ家のお宝をみつけ、「まあぁ、これ、どうするの?」といったことから、どうするつもりもなかった3人組は額をあつめて相談して…と続きます。ウンゲラーによる3人組の造形は、シンプルでじつに秀逸。今江祥智さんによる訳も調子がよく、素晴らしい一冊となっています。小学校低学年向き。

2011年10月25日火曜日

がちょうのペチューニア












「がちょうのペチューニア」(ロジャー・デュボワザン/作 まつおかきょうこ/訳 富山房 1999)

ある朝早く、ぶらぶらと草地を歩いていたペチューニアは、1冊の本が落ちているのをみつけました。本をもっていると賢くなると思ったペチューニアは、その本を拾って帰りました。そして、眠るときも泳ぐときも一緒にすごし、自分はとても賢いのだと思いこみ、大変得意になりました。あんまり得意になったので、首がどんどん長くなるほどでした。

ペチューニアがあんまり賢そうにみえるので、ほかの動物たちは、困ったことがあると、ペチューニアに相談するようになります。また、頼まれていなくても、ペチューニアは意見をいうようになります。ある日、雌牛のクローバーが、オンドリのキングに、「あんたのトサカはなぜそんなに赤いの?」というと、ペチューニアはこういいます。「あんたのトサカは、お百姓がメンドリと区別するためにさしこんだのよ」。おかげで、キングはコケコッコーと鳴くとき、けっして頭を振らなくなってしまいます。かわいそうなキング!──。

自分は賢いとうぬぼれた、ガチョウのペチューニアのお話です。このあと、メンドリにヒヨコの数をかぞえてほしいといわれたペチューニアは、9羽のところを6羽と数え、「6は9よりずっと多いんです」といってメンドリを混乱させたり、ウサギの穴に頭を突っこんで抜けなくなってしまった犬のノイジーを煙でいぶしたりします。、むりやり頭を引っ張りだしたノイジーは、かわいそうに、耳を切ったり、鼻を焦がしたりするはめに…。もちろん物語の最後では、ペチューニアの賢さは(文字通り)吹き飛ばされます。小学校低学年向き。

おひめさまのけっこん












「おひめさまのけっこん」(バーナデット/絵 ラッセル・ジョンソン/文 ささきたづこ/訳 西村書店 1992)

昔、ロージーという名前の美しいお姫さまがいました。王様は、ロージーには立派なお婿さんをとらせたいと思っていました。「おまえのむこに、フェルディナンド王子はどうかね。王子の国には、果物が豊かに実り、小川が流れているぞ」と、王様がいうと、ロージーは金髪をゆすってこたえました。「どんなに素晴らしい国をもっていてもお断りよ。わたしが結婚するのは、目がキラキラと輝いているひとだけなの」

王様がいろんな国の王子との結婚をすすめても、ロージーはうんとはいいません。目が輝いている王子が通るかもしれいからと、ロージーは丘の上にぽつんと立つ塔でひとり暮らしはじめます。塔は、屋根はこわれ、窓は破れ、床やドアには穴が開いているといったありさまだったので、国一番の大工セバスチャンが直しに呼ばれます──。

タイトル通り、お姫さまの結婚のお話です。絵は、おそらく色鉛筆と水彩でえがかれた、ストーリーによくあった可愛らしいもの。このあと、ロージーはセバスチャンと親しくなるのですが、王様に、娘と結婚したらおまえは王様になるのだぞといわれたセバスチャンは、「いやだよ、王様になんかんりたくないね。ポケットはこのとおり空っぽだけど、いまのままで充分幸せさ」とこたえて去っていきます。そこで、ロージーはある決断をして…と物語は続きます。小学校中学年向き。

2011年10月22日土曜日

ごびらっふの独白












「ごびらっふの独白」(草野心平/詩 いちかわなつこ/絵 斎藤孝/編 ほるぷ出版 2007)

〈るてえる びる もれとりり がいく。
 ぐう であとびん むはありんく るてえる。
 けえる さみんだ げらげれんで。
 くろおむ てやらあ ろん るるむ
 かみ う りりら む。
 ……〉

「声にだすことばえほん」シリーズの1冊です。草野心平の詩、「ごびらっふの独白」が、いちかわなつこさんの水彩により、絵本に仕立てられています。カエルが主人公の絵本らしく、絵には水気が多く、葉っぱに乗って川を下ったり、電車に乗ったりと、細部が楽しくえがかれています。巻末には、この詩の日本誤訳が載せられていて、冒頭の2行はこうなります。

〈幸福というものはたわいなくっていいものだ。
 おれはいま土のなかの靄(もや)のような幸福につつまれている〉

原文は旧かな。読むと、まさかカエルがこんなことをいっていたとはと驚きます。声にだして読むと大変面白い1冊です。小学校低学年向き。

2011年10月21日金曜日

ピッツァぼうや












「ピッツァぼうや」(ウィリアム・スタイグ/作 木坂涼/訳 セーラー出版 2000)

ピートはご機嫌ななめでした。友だちと外で遊ぼうと思ったら、雨が降ってきてしまったのです。そんなピートをみて、お父さんはピッツァをつくることにしました。まず、ピートをキッチンテーブルにのせ、生地を伸ばすようにごろごろと転がします。油(ほんとうは水)を少々たらしたあと、小麦粉(ほんとうはベビーパウダー)をふりかけ、トマトの輪切り(ほんとうはボードゲームのコマ)をふりかけます。チーズ(ほんとうは紙切れ)をふりかけたあと、「さて、ピート、サラミはどうする?」と、お父さんがたずねましたが、ピートはこたえません。だって、ピートはいま、ピッツァの生地なのです──。

ご機嫌ななめな坊やが、お父さんやお母さんとピザごっこをするお話です。このピザは、くすぐられると笑ってしまいます。「ピッツァは笑ったりしないと思うがね」と、お父さんにいわれると、「ピッツァ職人は生地をくすぐったりしないと思うよ」と、いいかえしたりします。このあと、オーブン(ほんとうはソファ)に入れられて、ピザが焼き上がるころ、ちょうど雨も上がります。小学校低学年向き。

2011年10月20日木曜日

ホットケーキできあがり












「ホットケーキできあがり」(エリック・カール/作 アーサー・ビナード/訳 偕成社 2009)

朝、オンドリの声で目覚めたジャックは、母さんにいいました。「でっかいホットケーキが食べたいなあ」。すると、母さんは笑顔でこたえました。「手伝ってくれないとできないわ」「ぼく、なにを手伝ったらいい?」「この鎌をつかって、畑の小麦をいっぱい刈りとるのよ」

ジャックは、母さんにいわれたとおり、小麦をいっぱい刈りとって、ロバに乗せ、水車小屋にいって、もみ殻を落とし、小麦粉にしてもらいます。それから、ニワトリ小屋から玉子をとってきて、牛の乳をしぼり、クリームをかきまぜてバターをつくり、裏庭からたきぎをどっさりはこんで、地下室からジャムのびんをとってきて、いよいよホットケーキづくりにとりかかります──。

「はらぺこあおむし」(偕成社 1988)で名高いエリック・カールの一冊です。ホットケーキをつくるのに、材料をあつめからはじめる本書では、なかなかホットケーキを焼くまでにはいたりません。でも、ジャックはめげず、母さんのいいつけにしたがって、材料あつめに奔走します。そのかいあって、ラストでは望みどおり、でっかいホットケーキが食べられます。小学校低学年向き。

2011年10月18日火曜日

はなをくんくん












「はなをくんくん」(ルース・クラウス/文 マーク・サイモント/絵 きじまはじめ/訳 福音館書店 1967)

〈ゆきが ふってるよ。
 のねずみが ねむっているよ。

 くまが ねむっているよ。

 ちっちゃな かたつむりが からの
 なかで ねむっているよ。

 りすが きのなかで ねむってるよ。
 やまねずみ(ウッドチャック)が
 じめんのなかで ねむってるよ。〉

ルース・クラウスは、夫のクロケット・ジョンソンとともにつくった「にんじんのたね」「はろるど」シリーズで高名です。また、マーク・サイモントは「オーケストラ105人」「のら犬ウィリー」の作者です。このあと、動物たちは、いっせいに目をさまし、鼻をくんくんさせながら一目散に駆けていきます。駆けていった先には、一体なにがあるのでしょう…。絵は、白黒の2色。雪景色と動物たちが、あたたかみをもってえがかれています。そして、最後に一箇所、黄色がつかわれています。小学校低学年向き。

2011年10月17日月曜日

ちいさなたいこ










「ちいさなたいこ」(松岡享子/作 秋野不矩/絵 2011)

昔、あるところに、心のやさしい百姓の夫婦が住んでいました。もう年をとってあまりはたらけなくなったので、遠いところの田んぼをひとにゆずり、うちのまわりの畑にわずかの野菜をつくって暮らしていました。ある年の春、2人は畑にカボチャの苗を植えました。夏がきて、やがて黄色い花が咲き、実がいくつもなると、そのなかに、ひときわ大きなカボチャがありました。「この色つやのいいこと。きっと味も格別でしょう。でも、ふたりでは食べ切れませんねえ」と、2人は子どもでもながめるように、目を細めてカボチャをみつめました。

さて、ある夜のこと、どこからか楽しそうな祭りばやしの音が聞こえてきます。2人が音のほうにいってみると、音はあのみごとなカボチャから聞こえてきます。カボチャからは光がもれ、おじいさんが指で押すと、そこに丸い穴が開き、のぞくとなかには小さな広場があって、親指ほどの男や女が30人ばかり輪になって踊っています──。

松岡享子さんと秋野不矩さんによる絵本です。このあと、2人は毎晩お囃子を聴き、踊りをみるのが楽しみになるのですが、ある晩、いつもの時刻になってもお囃子が聞こえてこなくなります。みると、皮のやぶれた太鼓のまわりで、小さいひとたちが、ひとかたまりになってすわっています。そこで、2人は、細い竹とドングリの皮と、渋を塗った薄い紙をつかって太鼓をつくり、箸でつまんでカボチャのなかにいれてやり──とお話は続きます。子どもの本は、いって帰ってくる話が多いのですが、この作品はそうではなく、その点印象に残る一冊です。小学校低学年向き。

2011年10月14日金曜日

クリスマスのちいさなおくりもの












「クリスマスのちいさなおくりもの」(アリスン・アトリー/作 上條由美子/訳 山内ふじ江/絵 福音館書店 2010)

「今夜はクリスマスイブだよ。どうしてなんにも飾りつけがしていないんだ。どうしてクリスマスのお祝いのしたくができてないんだ」と、一匹のネズミが、椅子の下からキーキー怒っていいました。すると、暖炉の前で寝ていたネコがいいました。「おかみさんは病気で入院しているし、子どもたちだけじゃなんにもできないだろ。だんなさんはすっかりふさぎこんでいるしね」。すると、ネズミはいいました。「ネコさん、あんたがなんとかしてくださいよ」

ネコはネズミたちに指示をだし、子どもたちのくつ下をとりにいかせ、暖炉の前のひもに下げさせます。それから、ミンスパイづくりにとりかかり、それが焼けるあいだ、太ったクモのおばあさんが部屋中にめぐらせたキラキラ光る糸に、ネズミたちが色とりどりの紙をかじってつくったお飾りを飾ります。そして、パイが焼けたころ、サンタクロースがやってきます――。

アトリーは、「時の旅人」(評論社 1981)や「グレイ・ラビットのおはなし」(岩波書店 2000)などを書いた名高い作家です。絵本作品には「むぎばたけ」などがあります。また、山内ふじ江さんは、「黒ねこのおきゃくさま」(ルース・エインズワース/作 福音館書店 1999)の絵を描いたことで高名です。本書は、ネコとネズミが協力してクリスマスのしたくをするクリスマス絵本です。淡い、柔らかみのある色づかいで、ネコもネズミもとても愛らしくえがかれています。小学校低学年向き。

2011年10月13日木曜日

きょうりゅうくんとさんぽ












「きょうりゅうくんとさんぽ」(シド・ホフ/作 いぬいゆみこ/訳 ペンギン社 1980)

博物館へいったダニーは、そこで恐竜に出会いました。「こいつが生きていたらいいのにな。一緒に遊んだらきっと面白いぞ」。そうつぶやくと、上のほうで、「ぼくもそう思うよ」という声がしました。

声のぬしはもちろん恐竜。恐竜に乗ってダニーは町にでかけます。洗濯物がからまないように気をつかい、海に入り、アイスクリームを食べてから動物園へ。一躍注目を浴びますが、みんながほかの動物をみなくなってしまったので、恐竜とダニーは、ダニーの友だちのところにいって遊びます──。

恐竜と散歩をしたダニーのお話です。シド・ホフはユーモラスな絵を描く漫画家で、絵本に「ナガナガくん」、児童書に「ちびっこ大せんしゅ」(光吉夏弥/訳 大日本図書 2010)などがあります。本書の表紙には、「はじめてひとりでよむ本」と銘打たれており、訳者の乾侑美子さんも訳者あとがきで、「できるだけはじめて自分で読む本にふさわしい文章になるように心がけました」と書いています。読みやすい文章と、シド・ホフの明朗でコミカルな作風により、大変楽しい読物絵本になっています。小学校低学年向き。

2011年10月12日水曜日

はだかの王さま












「はだかの王さま」(アンデルセン/作 バージニア・リー・バートン/絵 乾侑美子/訳 岩波書店 2004)

昔、ひとりの王さまがいました。王さまは新しい服がなによりも好きで、きれいに着飾るためなら、時間もお金も少しも惜しいと思いませんでした。ある日、はた織りと名乗る2人の男がやってきました。2人は、自分たちはこの上なく美しく素晴らしい模様の布を織ることができ、しかもそれは魔法のような布で、この布でつくった服は役目にふさわしくない者や、ひどく愚かな者にはけっしてみることができないのだといいました。美しい服がみえるのは、賢くて役目にふさわしい者だけなのです──。

「そんな魔法の布で新しい服をつくらせれば、家来のうちでだれがその役目にふさわしいか、だれが利口でだれが愚かなのか、たちまちわかるというものだ」。そう考えた王さまは、2人にどっさりお金をあたえ、さっそく仕事をはじめるように命じます──。

ご存知、アンデルセンの童話「はだかの王さま」をもとにした絵本です。カバー袖の文章によれば、作者のバートンの父親はこの話が好きで、よく子どもたちに読んでくれたそうです。この原作を絵本にするには、さまざまなやりかたがあるでしょうが、バートンがとった方法は、大勢の群衆をだすことでした。おかげで、にぎやかで上品な、楽しい読物絵本になっています。小学校中学年向き。

ねこのパンやさん












「ねこのパンやさん」(ポージー・シモンズ/作 松波佐知子/訳 徳間書店 2006)

あるところに、パン屋ではたらくオスネコがいました。パン屋の主人は意地悪で、奥さんは怠け者でした。ネコは、パンの生地をつくったり、リンゴを薄切りにしたり、パンを焼いたり、洗いものをしたりといったパン屋の仕事を、みんなやらされていました。おまけに、夜はネズミを捕まえるようにいわれました。でも、一日中こきつかわれたネコに、ネズミを捕まえる元気などありません。すると主人は、「ネズミをとらなきゃおまんまはなしだ」といって、ネコの朝ごはんをどんどんへらしていきました。

はたらきづめのネコはくたびれてはてて、だんだんやせて、泣いてばかりいるようになってしまいます。それを気の毒に思ったネズミたちは、自分たちを追いかけないという条件で、ネコの助勢を買ってでます──。

せかいいちゆうめいなねこフレッド」や「せかいいちゆうかんなうさぎラベンダー」の作者、ポージー・シモンズによる絵本です。漫画風にコマ割りされた絵本で、ネコもネズミもじつに生き生きとえがかれています。物語はこのあと、ネズミたちの助けにより、一度は主人に認められ、朝ごはんをたくさんもらえるようになったネコでしたが、あるとき主人にあしたの朝までに、メレンゲ菓子を30個、ジャムタルトを40個、くるみのブラウニーを48個つくるようにいわれ、しかも材料はみんなネズミが食べてしまっていて…と、物語は続きます。パン屋のネコと手芸が得意なネズミたちの活躍をえがいた、楽しい一冊です。小学校中学年向き。

2011年10月7日金曜日

うちのなまくらさん












「うちのなまくらさん」(ポール・ジェラティ/作 せなあいこ/訳 評論社 1992)

うちのネコのごろすけは、いつだって寝てばかり。だから、ごろすけっって呼ばれるの。晩ごはんにも帰ってこないし、帰ってきても食べないでごろごろ。外でなにをしているのか知らないけれど、よくびしょ濡れでもどってくる。きっと、雨宿りするのも面倒なのね──。

女の子の語りによる絵本です。文章の応答が絵のなかでされていて、たとえば、ごろすけがびしょ濡れでもどってくる場面では、犬に追いつめられた子ネコを助けて、水のなかを泳ぐごろすけの姿がえがかれます。よくびしょ濡れでもどってくるのは、雨宿りが面倒だからではなかったというわけです。

ポール・ジェラティは、非常に写実的な水彩画を描くひとで、ストーリーもそれに応じたシリアスなものが多いのですが、この可愛らしい絵本ではいつもよりディフォルメのきいた絵をえがいています。小学校低学年向き。

2011年10月6日木曜日

ちゃぼのバンタム












「ちゃぼのバンタム」(ルイーズ・ファティオ/文 ロジャー・デュボアザン/絵 乾侑美子/訳 童話館出版 1995)

デュモレさんの農場にいるニワトリの群れのなかに、たった一羽、目立ってからだの小さなニワトリがいました。この鳥は、ほんとうはニワトリではなくチャボでした。きれいで賢いチャボという鳥が好きなデュモレの奥さんが、ニワトリの巣のなかに、こっそりチャボのタマゴを忍びこませておいたのでした。

農場には、「大将」と呼ばれる、からだの大きなニワトリがいました。大将はいつも農場の門の上に立って胸を張り、声高らかに時をつくりました。いっぽうバンタム(チャボという意味)と名づけられたチャボの子は、大将のように時をつくってみたいと思っていました。でも、コケコッコーとはじめようとすると、たちまち大将が飛んできて、庭から追いだされてしまいました。バンタムは、メンドリのナネットが好きでしたが、ナネットに近づこうとすると、やっぱり大将に追い返されてしまいました。

「がちょうのペチュニア」シリーズ(富山房)などで高名な、デュボアザンによる絵本です。白黒とカラーページが交互にくる構成ですが、カラーは色味が統一されており、ぜんたいに渋い印象をあたえています。このあと、大将にやられてばかりいるバンタムは、すっかり意気消沈し、デュモレさんも「メンドリを守る仕事は大将に任せておけばいいからね。あしたの朝、バンタムを町の市場にもっていって売るとしよう」などというのですが、翌朝、農場にキツネが入りこんできて…と、物語は続きます。小さなチャボのバンタムが、大きな勇気をみせるお話です。小学校低学年向き。

2011年10月5日水曜日

コウモリのルーファスくん












「コウモリのルーファスくん」(トミ・ウンゲラー/作 いまえよしとも/訳 BL出版 2011)

夜、ごちそうを探しにでかけたルーファスは、野外映画会をみかけました。それまで夜しか知らなかったので、映画のきれいな色に驚きました。そして、昼間の素敵な色をみられたらすごいだろうなと思い、次の日の朝、眠らずに起きていました。日が昇りはじめると、その美しさに、ルーファスはみとれてしまいました。

色にあふれた世界を知ったルーファスは、自分のうっとうしい色にうんざりします。だれかが原っぱに忘れていった絵の具をつかって、耳を赤、爪を青、足を紫に塗り、黄色く塗ったお腹のところに、緑の星をえがきます──。

「すてきな三にんぐみ」(偕成社)で高名な、ウンゲラーによる絵本です。ウンゲラーは、ヘビやタコといった、あんまり人気がなさそうな動物をよく主人公にしますが、本書ではコウモリです。このあと、昼間の空に飛びだしたルーファスは人間に撃たれて、地上に落ちてしまいます。そこは、蝶のコレクターとして知られたタータロ先生の庭で、ルーファスが蝶ではないと気づいた先生は、絵の具を落とし、ルーファスの手当をしてくれます。昼間の世界にあこがれた、コウモリのルーファスのお話です。小学校低学年向き。

本書は、「こうもりのルーファス」(はぎたにことこ/訳 岩崎書店 1994)のタイトルでも出版されています。訳文をくらべてみましょう。

「こうもりのルーファス」
《ルーファスは こうもりです。
 いつも、ひるまは ほらあなの
 てんじょうに ぶらさがって、ねてばかり。

 でも、よるになると、ごちそうを
 さがしに そとへ でていきます。》

「コウモリのルーファスくん」
《ルーファスは コウモリ。
 そとがあかるいうちは ずっと――ほらあなの 天井に
 ぶらさがって、ねているばかり。

 でも、夜ともなれば――そとにとびだし、
 ごちそうさがし。》

「ルーファス」は、「ルーファスくん」にくらべて小振りの絵本で、表紙にえがかれたコウモリの向きが逆になっています。それから、印刷のちがいでしょうか、「ルーファス」のほうが、夜がずいぶん明るいです。