2010年11月30日火曜日

鳥に魅せられた少年












「鳥に魅せられた少年」(ジャックリーン・デビース/文 メリッサ・スウィート/絵 樋口広芳/日本語版監修 小野原千鶴/訳 小峰書店 2010)

18歳になったジョンは、英語や商いの方法を学ぶため、フランスをはなれ、アメリカのペンシルベニアで暮らしはじめました。ジョンがなにより好きだったのは、鳥の観察でした。まだ雪の残っている4月のある日、鳥の巣のある洞窟をのぞきにいくと、なかから鳥が飛びだしてきました。それは、春になってもどってきたツキヒメハエトリでした。

もどってきたツキヒメハエトリをながめながら、ジェームズは考えます。この鳥は去年、この巣をつくった鳥と同じ鳥だろうか? もしそうだとしたら、冬のあいだはどこにいたのだろう? 来年の春には、またここへもどってくるだろうか?

ツキヒメハエトリの観察を続けながら、ジョンはある実験を思いつきます。それは、ひな鳥の足にひもを結びつけるというものでした。ジョンはさっそく実行してみますが、最初に結びつけたひもは、すぐにほどかれてしまいます。そこで、8キロはなれた村にでかけ、細い銀をよった糸を買ってきて、それをひな鳥に結びつけます。1週間後、鳥たちは飛び立っていきました。はたして、ジョンがひもを結びつけた鳥は、またもどってくるでしょうか。

アメリカの鳥類研究家ジョン・ジェームズ・オーデュポン(1785ー1851)についての絵本です。絵は水彩とコラージュによって表現されています。巻末の文章によれば、鳥の足にひもを結びつけるというアイデアを実行したのは、北米ではジョンがはじめてだったということです。ジョンがそれをしたのは1804年のことでした。また、巻末には、ジョンによる大変美しいツキヒメハエトリの水彩画が乗せられています。本文がちょっと読みにくいのが残念ですが、魅力的な絵本です。小学校高学年向き。

2010年11月29日月曜日

ナガナガくん










「ナガナガくん」(シド・ホフ/作・絵 小船谷佐知子/訳 徳間書店 1999)

ナガナガは、胴体が長いながーい犬でした。あんまり長いので、自分の尻尾はみえないし、犬小屋からはいつもはみだしていました。「まるで長いソーセージみたい」と、ほかの犬はバカにしましたが、ナガナガは気にしませんでした。だって、一度にたくさんの子どもたちになでてもらえる犬なんて、ほかにいないからです。

ナガナガの飼い主は、年寄りの貧しいおばさんでした。おばさんはナガナガのことが大好きでした。ぐっと寒くなったある日、おばさんは毛糸を買うために、つぼや床の下にしまっておいた小銭を、ありったけあつめました。ナガナガは、「ぼくがこんなに長くなかったら2人分の毛糸が買えるのに」と思い、壁に頭を押しつけたり、からだを結んでみたりしました。でも、少しもからだはちぢみません。そこで、ナガナガは家出をすることにしました──。

アメリカの高名な漫画家で、絵本や児童書の著作もあるシド・ホフの絵本です。このあと、家出をしたナガナガは、お金持ちのペットになるのですが、さみしくなって、またうちに戻ります。そのとき、思いがけない事件が起こります。絵も物語もじつに明快な、読んで楽しい一冊です。小学校低学年向き。

2010年11月27日土曜日

ゆかいなかえる









「ゆかいなかえる」(ジュリエット・キープス/作 いしいももこ/訳 福音館書店 1980)

水の中に、黒い点々のあるゼリーのような卵がありました。魚がやってきて、卵をぱくっと食べましたが、4つの卵だけはぶじに流れていきました。それから、卵はオタマジャクシになり、後足が生え、前足が生え、尻尾がちぢんで、4匹のカエルになりました。

4匹のカエルは流木まで競争したり、カタツムリのかくしっこをしたり、サギから逃げたり、カメからかくれたりしながら、夏中うたって遊びます。

石井桃子さんの訳文はうたうように書かれています。サギをうまくやりすごす場面の文章はこんな風です。

「さぎたちは ふしぎがりながら いってしまった。
 そっと でてきた ゆかいなかえる
 さぎを だませて よかったな。」

絵は、わずかな色でじつにうまく水の感じを表現しています。また、カエルたちは、シンプルな線で生き生きとえがかれています。すでに古典となった1冊といっていいでしょう。小学校低学年向き。

2010年11月25日木曜日

ライオンとネズミ











「ライオンとネズミ」(イソップ/原作 ジェリー・ピンクニー/作 さくまゆみこ/訳 光村教育図書 2010)

あるとき、1匹のネズミが、眠っているライオンをうっかり起こしてしまいました。でも、ライオンは捕まえたネズミを逃がしてやりました。その後、ライオンは猟師の罠にかかり、網に捕らわれてしまいますが、そこへネズミが駆けつけます──。

イソップ物語の「ライオンとネズミ」をもとにした絵本です。本書には文章がありません。たくさんあるイソップ絵本のなかで、動物の鳴き声と擬音だけで物語を構成したところに本書の新味があります。また、ライオンとネズミだけでなく、いろんな動物がえがかれているところが楽しいです。作者あとがきには、こんなとこが書いてあります。

「子どものときのわたしは、ひかえめなねずみの決断によって百獣の王の命がすくわれることに、わくわくしていましたが、おとなになったわたしは、ライオンもねずみも、どちらも大きな心をもっていることにきづいたのです。勇気をふりしぼったねずみも、そして獣の本能をこえて小さな獲物をはなしてやったライオンも、心がとても広い。そこでわたしは、本書のカバーには、このゆうかんな二ひきの動物がどうどうと目を合わせているところを、たっぷりスペースをとってえがきました」

おかげで、本書のカバーには、ライオンの顔がアップでえがかれているほか、タイトルすらありません。2010年度コールデコット賞受賞。小学校低学年向き。

2010年11月24日水曜日

いたずらロラン












「いたずらロラン」(ネリー・ステファヌ/文 アンドレ・フランソワ/絵 かわぐちけいこ/訳 福音館書店 1994)

雪だるまをつくっていて学校に遅刻したロランは、教室のすみに立たされてしまいました。でも、立っているだけではつまりません。鉛筆をとりだして、壁にひょろ長いトラを描き、「じゃらんぽん!」ととなえると、トラはほんとのトラになり、長いからだをぐーんと伸ばして、先生にお行儀よく挨拶をしました。でも、先生はいいました。「クラスにトラはお断り。空いてる席もないからね」。先生が開けたドアから、トラはおとなしく出ていきました──。

ロランが、「じゃらんぽん!」ととなえるたびに、描いた絵がほんものになって大騒ぎになるというお話です。悪ふざけがすぎたロランは、牢屋に入れられてしまいますが、絵に描いた動物たちのおかげでぶじ脱走、以前描いたシマウマに再会し…、と次から次へと奇想天外に話が続いていきます。ストーリーと同様、3色で表現された絵も軽快にえがかれています。小学校低学年向き。

2010年11月22日月曜日

ひらめきの建築家ガウディ












「ひらめきの建築家ガウディ」(レイチェル・ロドリゲス/文 ジュリー・パシュキス/絵 青山南/訳 光村教育図書 2010)

スペインのカタルーニャというところに、アントニ・ガウディという名の男の子がいました。丈夫な子ではなかったガウディは、兄弟と走りまわって遊ぶことができませんでした。代わりに、目をしっかり開いて、世界をじっくり観察していました。ガウディのお父さんは銅板職人、お母さんの家も金物細工の職人でした。ガウディは、金属がいろんなかたちに変わっていくのをいつもながめていました。だんだんとからだが丈夫になってくると、友だちと古い修道院を探検して、こわれているところを直したいなあと思ったりしました。

サクラダ・ファミリア教会で有名な建築家、ガウディについての伝記絵本です。ガウディが建築家としてまず最初につくったのは、自分の机だったそうです。そして、巻末の作者のことばによれば、現在7つの建築物が世界遺産になっているとのこと。絵は、柔らかみのある親しみやすいもの。自然のモチーフを大胆にとり入れたガウディの仕事がわかりやすくえがかれています。小学校中学年向き。

余談ですが、欧米の絵本では伝記絵本をよくみかけます。ですが、欧米とくらべると、わが国のそれは少ないように感じられます。

2010年11月19日金曜日

ふしぎなかけじく












「ふしぎなかけじく」(イヨンギョン/作 おおたけきよみ/訳 アートン 2004)

昔、チョンウチという道士が住んでいました。ある日、山のふもとからひとの泣き声が聞こえてきたのでいってみると、荒れはてた家がありました。目の見えないお母さんと暮らしているハンジャギョンという男が、お父さんがおととい亡くなり、お腹をすかせて倒れているのでした。そこで、チョンウチ道士は袖から掛け軸をとりだしていいました。「この掛け軸を部屋にかけて倉番を呼ぶがよい。最初の日には100両をもらってお父上を弔いなさい。次の日からは、1日に1両ずつもらえば、なんとか食べていけるだろう」

さて、チョンウチ道士にいわれたとおり、ハンジャギョンが掛け軸をかけてみると、なかから倉番の男の子があらわれます。男の子がくれた100両でお父さんのお葬式をあげ、その後1日1両ずつもらうお金で、お母さんにもよい暮らしをさせることができたハンジャギョンはとても幸せになります。ですが、ある日、市場にでかけると、落ちぶれた大金持ちが9万坪の畑をたった100両でたたき売りしているという話が耳に入り──。

お金をだしてくれる不思議な掛け軸のお話。このあと、100両あれば地主になれると思ったハンジャギョンは、倉番をおどかし、掛け軸のなかにある倉に入りこみます。もちろん、欲をかいたハンジャギョンは、相応の罰を受けるはめになります。カバー袖にある訳者解説によれば、本書は韓国の古典小説「田禹治傳」(チョンウチでん)をもとに絵本化したものだそう。絵は水墨画風。お調子者で、人間味あふれるハンジャギョンがじつに表情豊かにえがかれています。小学校中学年向き。

2010年11月18日木曜日

ウィリアムのこねこ











「ウィリアムのこねこ」(マージョリー・フラック/作 まさきるりこ/訳 新風舎 2005)

ある5月の月曜の朝、しま模様の子猫が、プレゼントビルという村の、ポリウィンクル通りで迷子になっていました。子猫は「ミャーミャー」と鳴きながら、ポリウィンク通りを通るひとびとについていきました。最初は牛乳屋さんに、つぎは郵便屋さんに、それから八百屋の店員さん、会社へ急ぐお父さん、学校へ急ぐ子どもたち、市場へ買い物にいくお母さんたち…。でも、みんな急いでいたので、だれも子猫に気づいてくれません。そこで、子猫は4才になるウィリアムについていくことにしました。ウィリアムは、ちっとも急いでなんかいなかったのです。

さて、ウィリアムのうちに入りこんだ子猫は、うまくミルクにありつきます。この子猫を飼いたいとウィリアムはいいだしますが、もしかしたら、ほかのうちの子猫かもしれません。そこで、ウィリアムは、兄のチャールズと姉のナンシーと一緒に警察署にいき、迷子の子猫の届出がないかたずねてみることにします。

カラーページと白黒ページが交互にくる構成です。この時代(原書は1938年刊)の絵本らしく、黄色がじつに鮮やかです。ストーリーは、子猫の引きとり手が3人もあらわれるという意外な展開をみせますが、これ以外は考えられないという見事なラストに落ち着きます。この絵本も、完璧な一冊といえるでしょう。小学校低学年向き。

2010年11月17日水曜日

ひつじがこおりですべったとさ

「ひつじがこおりですべったとさ」(ミラ・ギンズバーグ/文 ホセ・アルエゴ/絵 エアリアン・デューイ/絵 山口文生/訳)

1頭のヒツジが、氷で足を滑らせました。ヒツジは氷にたずねました。「氷くん、氷くん、きみ、ぼくをすべらせたね。きみって強いの?」。すると、氷はこたえました。「わたしが一番強ければ、どうしてお日様に溶けるのさ」。そこで、ヒツジは出かけていって、お日様にたずねました。「お日さん、お日さん、世界で一番強いのはあなたですか?」。すると、お日様はこたえました。「わしが一番強ければ、どうして雲がわしをかくすのかね」そこで、ヒツジは雲にたずねました──。

わが国の「ネズミの嫁入り」によく似た、、強い相手を次つぎと訪ねてまわるお話です。このあとヒツジは、雨、大地、草、と訪ねていきます。話のオチも「ネズミの嫁入り」と一緒。絵は、マンガ風のユーモラスなもの。色合いがはっきりしているので遠目がききます。小学校低学年向き。

2010年11月16日火曜日

まいごになった子ひつじ












「まいごになった子ひつじ」(ゴールデン・マクドナルド/文 レナード・ワイスガード/絵 あんどうのりこ/訳 長崎出版 2009)

ある山の草原で、羊飼いの少年がヒツジの番をしていました。ヒツジの群れには、どの群れにも生まれる一匹の黒い子ヒツジがいます。黒い子ヒツジはよく群れをはなれてしまうので、そのたびに少年は口笛を吹いて犬を呼び、連れもどしにいかせなければなりませんでした。日が高くなり、しだいにあたたかくなってくると、少年はヒツジたちをつれて、さらに山を登っていきました。山頂のすぐ下にある緑の谷で、ヒツジたちは夢中になって草を食べました。少年はナナカマドの木の枝で、せっせと笛をつくり、犬はぽかぽかしたあたたかい岩の上でうたたねをしました。黒い子ヒツジがまた群れをはなれていくのに気づいた者は、だれもいませんでした。

黒い子ヒツジがいなくなったことに気づいた少年と犬は、ほうぼうを探しまわりますが、子ヒツジは見つかりません、日がかたむいてきたので、少年は仕方なく山を下り、ヒツジたちを連れて牧場にもどります。できるだけのことをしたんだ、朝まで待とう、朝になればあの子ヒツジは絶対みつかる。そう少年はベッドのなかで考えますが、眠ることができず、とうとう小屋を抜けだし、ピューマがうろついている山へむかいます。

ワイスガードの絵は、高い山あいの雰囲気が大変よくでています。夜の場面はカラーではなく、紫がかった2色となり、緊張感をかもしだします。絵も文章もともに充実した、素晴らしい一冊です。1946年度コールデコット賞オナー賞受賞作。小学校低学年向き。

2010年11月15日月曜日

なんでもふたつ










「なんでもふたつ」(リリー・トイ・ホン/作 せきみふゆ/訳 評論社 2005)

昔、小さな家に、ハクタクじいさんがおばあさんと住んでいました。ふたりは年寄りで、その上とても貧乏でした。ある春の朝、庭をたがやしていたハクタクじいさんは、土のなかから、真鍮でできた大きなかめを見つけました。なくさないように、サイフをかめのなかに入れ、家まではこんで帰ると、かめをおばあさんに見せました。かめをのぞきこんだおばあさんは、髪飾りを落としてしまいました。が、拾い上げてみると、髪飾りもサイフも2つになっていました──。

ハクタクじいさんとおばあさんは、サイフをかめに出し入れして、床を金貨でいっぱいにします。ところが、翌朝、ハクタクじいさんが買いものにいっているあいだ、おばあさんはかめのなかに落ちてしまい──。

なかにものを入れると、それが2つになって出てくるという、不思議なかめのお話。中国の昔話をもとにした絵本です。話はちょっとだけ「ひゃくにんのおとうさん」と似ています。絵は、太い描線にフラットな色づけがなされた切り絵風のもの(切り絵?)。タイトル通りなんでも2つになり、一時はどうなることかと思いますが、最後にはなにもかもうまくいきます。小学校低学年向き。

2010年11月12日金曜日

天使のクリスマス












「天使のクリスマス」(ピーター・コリントン/作 ほるぷ出版 1990)

クリスマスイブの夜、女の子はベッドのはしに靴下を置き、ほしいプレゼントのメモを置いてベッドに入りました。女の子が眠ると、窓から小さな守護天使がやってきました。守護天使は女の子のメモを大事にベルトにはさみ、クリスマスツリーのところにいくと、いくつものロウソクに火をつけました。そして、大勢の仲間とともにロウソクをもち、外に飛んでいきました。

「ちいさな天使と兵隊さん」同様、コマ割りされた絵で構成された、文字のない絵本です。絵は、水彩と色鉛筆で丹念にえがかれたもの。雪の日の静かな感じがよくでています。本書の冒頭には、「この本を、えんとつのない家にすむ 子どもたちに贈ります」という一文が記されています。守護天使たちがなぜロウソクをもって外にでたのが、その理由がわかったとき、思わず「そうか」と声を上げることうけあいです。巻末には、江國香織さんによる文章が載せられています。

「私は、こんなしずかな絵本に言葉を添えることに、ちょっとうしろめたさを感じながらこれを書いています」
と、江國さんは記しています。小学校中学年向き。

2010年11月11日木曜日

おふろぼうや










「おふろぼうや」(パム・コンラッド/文 リチャード・エギエルスキー/絵 たかはしけいすけ/訳 セーラー出版 1994)

おふろぼうやは木の人形です。パパ、ママ、おばあちゃん、お医者さま、おまわりさん、犬のジュンと一緒にお風呂のへりにならんでいます。パパは、ママとぼうやとおばあちゃんをつれて、せっけんの船に乗るのが好き。ぼうやがせっけんから落ちても、いつだってパパが助けてくれます。

ところが、ある晩、お風呂の栓が抜けて、ぼうやは排水口に吸いこまれてしまいます。みんなは毎晩、タオルのいかだに乗って、ぼうやの名前を呼びましたが、返事はありません。すると、ある日大きなひとが排水口をのぞきにきて──。

排水口に吸いこまれてしまった、おふろぼうやと、ぼうやを心配するその一家のお話です。排水口から助けられたものの、おふろぼうやはみんなのところにもどってきません。でも、最後はきちんと幸せな結末をむかえます。絵は、劇的な構図で描かれたみずみずしい水彩画。続編に「ぼくのおじいちゃん」があります。小学校低学年向き。

2010年11月10日水曜日

おちゃのじかんにきたとら












「おちゃのじかんにきたとら」(ジュディス・カー/作 晴海耕平/訳 童話館出版 1994)

あるところに、ソフィーという名前の小さな女の子がいました。ソフィーとお母さんが、台所でお茶の時間にしようとしたとき、突然、玄関のベルが鳴りました。牛乳屋さんかしら、雑貨屋の男の子かしら、お父さんかしらと、お母さんはいろいろ考えましたが、ソフィーがドアを開けてみると、そこには大きくて毛むくじゃらのトラがいました。「ごめんください。ぼく、とてもお腹がすいているんです。お茶の時間にご一緒させていただけませんか?」とトラがいったので、お母さんは、「もちろんいいですよ。どうぞお入りなさい」といいました。

お腹をすかせたトラは、パンもサンドイッチもパンもビスケットもケーキも牛乳もお茶も、みんな食べてしまいます。それでも、まだ足りなくて、トラは台所をみまわします。

お茶の時間にあらわれたトラのお話。ありえないお話を、じつに楽しくえがいています。トラは大きくて可愛らしく、大変魅力的。ソフィーがトラに抱きついたり、尻尾に頬ずりしたりしている絵など、トラの生きている感じがつたわってくるようです。そして、トラが去ったあとの展開もまた、これ以外に考えられない素晴らしいものです。小学校低学年向き。

2010年11月9日火曜日

ばしゃでおつかいに












「ばしゃでおつかいに」(ウィリアム・スタイグ/作 せたていじ/訳 評論社 2006)

お百姓のブタ、パーマーさんは朝早く、雇いのロバのエベネザーじいさんと一緒に、町に野菜を売りにいきました。10時までに野菜はすっかり売り切れ、パーマーさんはうちの者みんなにおみやげを買いました。太った奥さんにはカメラ、太った長男のマックには大工道具、太った長女のマリアには自転車、太った次男のゼークにはハーモニカ、太った自分には銀時計、そして日差しに弱いエベネザーじいさんには麦わら帽子。12時に家路についた2人は、うまくいけば約束通り3時までに家に帰れる予定でした。ところが、そこに大雨が降ってきました──。

このあと、2人は大変な目に遭います。まず、馬車がカミナリで倒れた木の下敷きになってしまいます。大工道具をつかってなんとか木を片づけたものの、こんどは馬車の車輪がはずれてしまいます。車輪をはめ直して出発すると、馬車を引いていたエベネザーじいさんが、足首をひねってしまいます。そこで、代わりにパーマーさんが馬車を引くのですが、坂道で馬車が暴走し、馬車はばらばらになってしまい──。

苦労をして家に帰りつく、ブタのパーマーさんとロバのエベネザーじいさんのお話。ウィリアム・スタイグの絵本は、いつも思いがけない困難と、そこからの脱出がえがかれますが、本書もまた同様です。たび重なる困難を、家族に買ったおみやげをつかってしのいでいくところが、面白いところです。小学校中学年向き。

余談ですが、ウィリアム・スタイグは絵本だけでなく、「ぬすまれた宝物」「アベルの島」「ドミニック」(いずれも評論社)といった読物も書いています。どれもスタイグらしい面白さに満ちています。

2010年11月8日月曜日

ひよことむぎばたけ









「ひよことむぎばたけ」(フランチシェク=フルビーン/作 ズデネック=ミレル/絵 ちのえいいち/訳 偕成社 1979)

一羽のひよこが、裏の畑で迷子になってしまいました。ひよこは麦畑にたずねました。「からす麦さん、教えてよ。うちへ帰るにはどういっくの?」「大麦さんに訊いてみな。知っているかもしれないよ」。

このあと、ひよこは小麦やライ麦に、お母さんのいるところを訪ねます。本書は、作者のフルビーンの詩を、ミレルが絵本に仕立てたもの。訳文も原文を反映してか、少し調子がつけられています。絵は水彩。構図の整った、柔らかで味わい深い絵がえがかれています。2008年にひさかたチャイルドから、同著者同タイトルの本が出版されていますが、別物と考えたほうがよさそうです。小学校低学年向き。

2010年11月5日金曜日

おとうさんの庭












「おとうさんの庭」(ポール・フライシュマン/文 バグラム・イバトゥリーン/絵 藤本朝巳/訳 岩波書店 2006)

昔、あるところにひとりの農夫がいました。農夫は、ヒヨコや子ブタや子牛が育っていくのをなによりの楽しみにしていました。農夫には3人の息子がいて、3人は一日中うたいながらはたらいていました。長男は御者の歌が、次男は海の歌が、末っ子は旅のバイオリン弾きの歌がお気に入りでした。

ある春のこと、日照りが何週間も続き、動物たちにやるえさも、親子が食べる小麦もなくなってしまいました。農夫は仕方がなく動物たちを売り払い、農場まで売り払って、生け垣にかこまれたちっぽけな小屋に移り住みました。やがて、待ちにまった雨が降りだしましたが、動物たちはもういないし、買いもどすお金もなかったので、農夫の心は深い悲しみにつつまれていました。

さて、刃物を研ぐ仕事をして、どうにか暮らしを立てていた農夫は、ある日、生け垣を刈りこもうとしたところ、それが牛のかたちに見えることに気がつきます。そこで、農夫は生け垣を、牛や羊やオンドリやブタやヤギのかたちに刈りこんでいきます。月日は流れ、長男が、「ぼくはどんな仕事をしたらいいでしょうか」とたずねると、農夫は生け垣を短く刈りこんでこういいます。「毎日、しっかり見なさい。よく観察することだ。生け垣はきっとおまえに答えをだしてくれるよ」。何週間も生け垣を見てすごした長男は、ある朝「わかったぞ!」と叫ぶと、生け垣を馬と馬車の姿に刈りこみ、御者になるために家をでていきます。

生け垣によって、心の願いを教えられる親子のお話です。このあと、次男は船乗りに、末っ子はバイオリン弾きになるために旅立ちます。そして、願い通りの仕事について帰ってきた子どもたちは、お父さんの願いに気がつきます。

作者のポール・フライシュマンは高名な児童文学作家。板にえがかれたトールペイントのような絵は、18・19世紀のアメリカの民俗芸術家たちの作品に影響を受けて描かれたということです。小学校高学年向き。

2010年11月4日木曜日

せかいいちゆうかんなうさぎラベンダー












「せかいいちゆうかんなうさぎラベンダー」(ポージー・シモンズ/作 さくまゆみこ/訳 あすなろ書房 2004)

ウサギのラベンダーは、線路ぎわの川の土手に住んでいました。ラベンダーは、静かに絵を描いたり、本を読んだりするのが好きでしたが、お兄さんやお姉さんたちは、大声で騒いだり、危なっかしい遊びをしたりするのが大好きでした。そのたびに、ラベンダーは心配でたまらなくなりました。

ある日のこと、町からキツネの一団がやってきました。みんなはキツネたちと一緒に食べたり遊んだりしましたが、ラベンダーは「いいキツネなんているわけないじゃない」と、仲間に入りませんでした。次の週もその次の週もキツネたちはやってきて、トランポリンや川遊びをしましたが、ラベンダーは一緒に遊びませんでした。その次の週、キツネたちはとなりの駅でおこなわれる婚約パーティにみんなを誘いました。ラベンダーはみんなを止めましたが、弱虫呼ばわりされ、怒って汽車にとび乗りました──。

さて、汽車はとなりの駅で停まり、キツネたちは森のなかにむかいます。その不気味な様子から、みんなは逃げだしてしまうのですが、ラベンダーだけはキツネの婚約パーティがおこなわれるテントにやってきます。

心配性のウサギ、ラベンダーのお話です。このあと、町のキツネと田舎のキツネのあいだが険悪になるのですが、ラベンダーの思わぬ活躍により、町のキツネはすくわれます。絵は、色鉛筆でえがかれた柔らかな味わいのもの。コマ割りや吹きだしのある、マンガ風のつくりです。絵もストーリーも可愛らしい読物絵本です。小学校中学年向き。

2010年11月2日火曜日

ハンナのひみつの庭










「ハンナのひみつの庭」(アネミー・ヘイマンス/作 マルフリート・ヘイマンス/作 野坂悦子/訳 岩波書店 1998)

家出をしたハンナは、水路をはさんだ家のむかいにある、ママの庭で暮らすことにしました。弟のルッチェ・マッテに頼んで、死んだママの部屋から、バスケットやテーブルセットや鏡台や長椅子をもってきてもらいました。ハンナは、パパやルッチェ・マッテのぶんの料理をつくり、犬やヤギに送り届けてもらいました。あるとき、大きな風が吹いて、吹きとばされたパパが庭に転がりこんできました──。

世の中には非常に紹介しにくい本があり、この絵本はそんな本のひとつです。訳者、野沢悦子さんによるこの絵本についての文章を紹介しましょう。

「『ハンナの秘密の庭』は、家族の問題をとりあげた作品です。主人公ハンナの反抗と自立が、この物語の大切なテーマ、いわば縦糸になっています。そこに、自分だけの世界にとじこもっていたハンナ、弟のルッチェ・マッテ、パパの3人が、ママの死を受け入れ、「かべ」を乗り越えて、ふたたび出会うまでの過程が、横糸として織り込まれているのです。〈秘密の園〉という古典的なイメージを使いながら、非常に現代的なテーマを感じさせる作品だと思います」

ママの庭は、水路をはさんだ、家のむかい側にあり、入り口はレンガでふさがれ、周りは壁にかこまれています。壁には穴が開いており、ハンナはそこから庭に入りこんで、ママの声を聞きながら暮らしはじめます。いっぽう、ルッチェ・マッテは字の練習をするために読んだおとぎ話にでてくるローザ姫を、ハンナとごっちゃにしてしまいます。また、ハンナの指示でいろいろなものをとってくるためにママの部屋に入ったルッチェ・マッテは、そこでママと話をします。書類仕事に没頭しているパパは、ハンナやルッチェ・マッテに心をむけません。

物語は、ハンナとルッチェ・マッテの視点からえがかれます。そして、この絵本は白黒のコマ割りによるページと、ママの部屋とママの庭が描かれたページ、それに見開きのカラーページの3つにより構成されています。見開きのカラーページでは、家からママの庭に、ママの部屋のいろいろなものが、そしてパパが、はこばれていきます。

ぜんたいに幻想味のある、静かで複雑な味わいの素晴らしい絵本です。最後に、ママを慕うハンナのことばを引用しておきましょう。

「ママは 消えていない
 ママの声は いまも 聞こえる
 サワサワとそよぐ 風のなか
 カサカサという 草のなか
 木立ちのなかで ママは 歌っている
 愛されて 死んだ人たちは
 みんな 歌いつづける」

小学校高学年向き。

2010年11月1日月曜日

あまがえるさん、なぜなくの?












「あまがえるさん、なぜなくの?」(キムヘウォン/文 シムウンスク/絵 池上理恵/共訳 チェウンジョン/共訳 さ・え・ら書房 2008)

昔、母さんのいうことを聞かないアマガエルの子がいました。この子は大のへそ曲がりで、母さんがなにをいっても反対のことばかりしていました。川でからだを洗いなさいといわれると、やだやだと山へぴょんぴょんはねていってしまいますし、もう水あそびはやめなさいといわれると、やだやだと川へぽちゃんと飛びこんでしまいます。子ガエルがあんまり反対のことばかりするので、母さんガエルは心配のあまり病気になってしまいました…。

母さんガエルは、子ガエルが反対のことをするだろうと見越して、「わたしが死んだら山ではなく、必ず川のそばに埋めてね」といい残します。が、それを聞いた子ガエルは──。

韓国の昔話をもとにした絵本です。どうしてアマガエルは雨が降るまえに鳴きだすのか、その由来を語っています。訳者の解説によれば、似た話は日本各地にもあり、地域によって、アマガエル、トビ、ヤマバト、ハト、フクロウ、カラスなどの鳴き声の由来をつたえているそうです。その、共通する大筋は、こんな風だといいます。

「親にさからうあまのじゃくな子がいた。親は息を引きとるときに川(海)のそばに埋葬してほしいと遺言する。親は、山に埋葬してほしかったので逆のことをいったのだが、子は遺言だけは守って、親を川(海)のそばに埋葬する。子は雨の日になると、親の墓が流されないかと心配して鳴くようになる」

絵は、子どもが描いたような生き生きしたもの。シンプルな昔話に、力強さをあたえています。小学校低学年向き。