2010年10月29日金曜日

マグナス・マクシマス、なんでもはかります











「マグナス・マクシマス、なんでもはかります」(キャスリーン・T・ペリー/文 S.D.シンドラー/絵 福本友美子/訳 光村教育図書 2010)

昔、あるところに、ものをはかるのが大好きなマグナス・マクシマスというおじいさんがいました。マグナス・マクシマスの家には、時計に天秤、温度計に晴雨計、望遠鏡に潜望鏡と、はかる道具がなんでもそろっていました。また、マグナス・マクシマスはもの数えるのが大好きでした。空の雲を数え、ゼラニウムの花びらを数え、顔のそばかすを数え、はしかのポツポツを数え、菓子パンのレーズンを数えました。

ある日、サーカスから一頭のライオンが逃げだしました。町のひとたちは大騒ぎで逃げだしましたが、マグナス・マクシマスは右手を上げてライオンの前に立ちはだかり、きっぱり「止まれ!」といいました。そして、ライオンのしっぽの長さを計り、ひげの長さを計り、たてがみのなかにいるノミの数をかぞえ、聴診器で心臓の音をかぞえました。そうこうするうちに、サーカスのライオン係がとんできて、ライオンを連れて帰りました。このことがあってから、マグナスは役所につとめ、ありとあらゆる「どのくらい」をはかるようになりました。

ところが、あるときマグナス・マクシマスは、自分のメガネを踏んでこわしてしまいます。メガネがなければ、なにもはかることができません。波の数でもかぞえようかと浜辺にいったところ、男の子がマグナスのところにやってきます。

なんでもはかって、なんでも数える、マグナス・マクシマスのお話。マグナス・マクシマスは、はかったり数えたりするのに夢中で、ひとが楽しそうにしていても悲しそうにしていても一向に気がつきません。ですが、浜辺で出会った男の子のおかげで、マグナスは少し変わります。精緻でユーモラスな絵が、ナンセンスなストーリーをよく支えています。小学校低学年向き。

2010年10月28日木曜日

めでたしめでたしからはじまる絵本












「めでたしめでたしからはじまる絵本」(デイヴィッド・ラロシェル/文 リチャード・エギエルスキー/絵 椎名かおる/訳 あすなろ書房 2008)

冒頭の一文はこうはじまります。
「騎士と お姫さまは 結婚して、すえながく 幸せに くらしましたとさ」
どうして、ふたりが結婚して、末長く幸せに暮らすことになったのかというと…
「ずぶぬれの 騎士が、かしこい お姫さまと 恋に おちたからです」
どうして、ずぶ濡れの騎士が、かしこいお姫さまと恋に落ちたのかというと…
「かしこい お姫さまが、大きな ボウル いっぱいの レモネードを、騎士に あびせたからです」

…というわけで、普通の物語の終わるところからはじまり、一体なにがあったのか、ひとつずつさかのぼって語っていく、という絵本です。一体なぜ、お姫さまは騎士にレモネードを浴びせたのでしょうか。ストーリーはみごとに円環をえがき、なるべくしてなったのだとわかります。絵は、描線のはっきりした、すこしセンダック風の水彩画。原題はずばり“THE END”。おとぎ話のパターンになれた子は、この遊び心を楽しんでくれることでしょう。小学校中学年向き。

2010年10月27日水曜日

木ぼりのオオカミ












「木ぼりのオオカミ」(萱野茂/文 斎藤博之/絵 小峰書店 1998)

わたしは石狩川のほとりで生まれました。お父さんは狩りの名人だったので、わたしも小さいころから弓や狩りの仕方を習いました。おかげで、ひとりで遠い狩りにでかけられる男になりました。ある年の秋、わたしは遠い川上にいってみたくてたまらなくなりました。夢中で舟をこぎ、気づいたときは見知らぬ場所にきていましたが、幸い村をみつけ、一軒の特別大きな家に泊めもらうことができました。その家には、白いひげのおじいさんと、おばあさんと、それに息子さんが住んでいました。3人とも大変親切なひとたちでしたが、なにか心配ごとがあるらしく、とても悲しそうな顔をしていました。

〈わたし〉は、もっともっと川上にいきたいと思い、どんどん山奥に駆けていきます。すると、ぽつんと小さな一軒の家があり、子どもを抱いた美しい女のひとがいます。じつは、この女のひとは〈わたし〉が最初に訪れた家のひとで、ある事情からここで暮らしていたのです。この家には毎晩クマがやってくるのですが、兄からもらった木彫りのオオカミがクマを追い払ってくれたと女のひとは話します。どうか家に連れ帰ってほしいといわれ、夜、〈わたし〉が眠らずに外の様子をうかがっていると──。

アイヌの民話をもとにした絵本です。巻末の解説によると、アイヌのひとびとは、自分の手でつくった4つ足がついていて頭のあるものには、すべて魂が入っているのだと信じていたそうです。特にお守りは、ふだんは決してひとに見せず、肌身はなさずもっているもので、精神のよいひとに心をこめてつくってもらったものは、ほんとうに魂が入っていてお守りの役目をはたしてくれると信じていたということです。

このあと、クマは〈わたし〉に退治されるのですが、その晩、枕元にクマの神があらわれ、なぜこんなことをしたのか話します。その哀切な告白は胸を打ちます。小学校高学年向き。

2010年10月26日火曜日

魔女たちのハロウィーン

「魔女たちのハロウィーン」(エイドリアン・アダムズ/作 かけがわやすこ/訳 佑学社 1993)

最近は人間たちが増え、なにをするのもむずかしくなってきました。人間は、魔女たちのことをわかってくれないのです。でも、子どもたちはちがいます。そこで、魔女たちはハロウィーンの夜にほんものの魔女パーティーをひらいて、人間の子どもたちを招待することにしました。

魔女たちは、大きな木のまわりにカボチャを積み上げ、高い塔をつくります。塔のなかは、マジックミラーや薄気味悪い明かりで背すじが寒くなるように。てっぺんは飛行場にして、コウモリ・ハングライダー乗り場にします。そして、ハロウィーンの夜、招待状をもらった子どもたちがパーティーにやってきます。

子どもたちは、コウモリ・キャンディを食べ、コウモリ・ハングライダーで夜空の散歩を楽しみます。文章はほとんど魔女たちや子どもたちの会話で進み、仮装した子どもたちと魔女たちによるパーティーは、少々不気味ながらも楽しい雰囲気をかもしだしています。小学校中学年向き。

2010年10月25日月曜日

きんいろのしか












「きんいろのしか」(J.アーメド/案 石井桃子/再話 秋野不矩 /絵 福音館書店 1988)

昔、グリスタンと呼ばれた南の国に、ひとりの王様が住んでいました。この王様が世界で一番好きなのは金でした。王様は国中の金を御殿の倉におさめさせ、ほかの者はひとかけらの金もつかってはならないというお触れをだしていました。ある日、家来をつれて森へ狩りにでかけた王様は、木々の影のあいだから、きらりきらりともれる不思議な光をみつけました。それは、からだ中が金色に輝く鹿でした。鹿が大きな木のまわりを踊ると、その足跡は金の砂に変わってあたりに飛び散るのでした。

さて、森のむこうの草原では、ホセンという男の子が牛追いをしていました。森から、王様に追われた鹿があらわれると、ホセンは驚いていいました。「美しい鹿よ、どうしたのだ?」。すると鹿はいいました。「私は追われています。追っ手のひとたちがやってきても、私の行方を話さないでください」。

鹿が去ると、王様の家来たちがやってきて、鹿の行方をたずねました。ホセンがごまかしていると、家来たちはホセンを王様のところに連れていきました。そして、家来から事情を聞いた王様は、火のように怒っていいました。「3日のうちにあの鹿を捕まえてこい。さもなくば、貴様の命はない」。

泣きながら牛やけものたちのところにもどってきたホセンに、けものたちは金色の鹿をさがしだして相談してみることをホセンに勧めます。そこで、ホセンは翌朝、金色の鹿をさがしに旅立ちます。

バングラデシュの昔話をもとにした絵本です。このあと、ホセンはトラやゾウに出会い、金色の鹿の居場所を教わります。秋野不矩さんの絵はみずみずしく、金色の鹿の気高さが印象的にえがかれています。絵もストーリーも気品のある一冊です。小学校中学年向き。

2010年10月22日金曜日

きつねとトムテ










「きつねとトムテ」(カール‐エリック=フォーシュルンド/詩 ハラルド=ウィーベリ/絵 やまのうちきよこ/訳 偕成社 1981)

ある冬の夜、空一面のきらめく星に照らされて、お腹をすかせたキツネが一匹歩いていました。キツネは雪の野原を横切ると、農場に入り、牛小屋をのぞき、鳥小屋の前にやってきました。なかのニワトリを食べようと、鳥小屋に入ろうとしたとき、キツネはだれかに見られているような気がしました。振りむくと、木陰に小人が立っていました。

小人は赤い毛布の帽子をかぶり、白いヒゲを長く伸ばしたトムテでした。トムテはクリスマスのおかゆをキツネに食べさせ、ニワトリを食べるのをやめさせます。

北欧のクリスマスに材をとった絵本です。注釈によれば、北欧では、家の見回りをしてくれるトムテのために、クリスマスが近づくと、うつわに盛ったおかゆを家のまえや仕事場にだしておく風習があるそうです。トムテがキツネに食べさせたのは、このクリスマスのおかゆでした。また、あとがきによれば、もともとの文章は詩で、この詩に心打たれた画家が絵を描き、絵本をつくったそうです。冬の夜の絵は大変素晴らしく、キツネやトムテと一緒にいるような臨場感に満ちています。小学校低学年向き。

2010年10月21日木曜日

テーブルのした










「テーブルのした」(マリサビーナ・ルッソ/絵と文 青木久子/訳 徳間書店 1998)

退屈なときやひとりになりたいとき、わたしはテーブルの下にやってきます。ここにいると、なんだか落ち着くのです。わたしのお人形もここが好きだし、枕も、、クレヨンも、クッキーもここが好き。わたしの犬もここが好きで、いつもそばにきて、わたしをぺろぺろなめます。

そんな〈わたし〉は、あるとき、テーブルの裏にクレヨンでお絵かきをしてしまいます。そうじをするので、テーブルを壁に立てかけたとき、パパとママはびっくり。そのとき突然、〈わたし〉は落書きをしてはいけないといわれたことを思い出します──。

テーブルの下が大好きな女の子のお話。絵は、はっきりした色をつかった、それでいて柔らかな味わいのもの。テーブルの裏に落書きをしてしまった〈わたし〉にたいする、パパとママの応対ぶりが見事です。本書冒頭の献辞には、作者と同様に、訳者と思われるひとも名前をつらねています。訳者も献辞に参加しているというのは、なかなかめずらしいかもしれません。小学校低学年向き。

2010年10月20日水曜日

えをかく










「えをかく」(谷川俊太郎/作 長新太/絵 講談社 2003)

谷川俊太郎さんの詩に、長新太さんが絵をつけた絵本です。詩はこんな風。

「まずはじめに じめんをかく
 つぎには そらをかく
 それから おひさまと ほしと つきをかく
 そうして うみをかく

 うみへながれこむ かわと かわの はじまる やまをかく
 もりをかく
 もりにすむ しかをかく」

詩は、絵本の上部にまるでテロップのように記されており、詩によってとりあげられる事物を、長新太さんが律儀に絵にしていきます。絵本の絵はうごかないはずですが、次つぎにあらわれる絵は、不思議とアニメーションをみているような気分にさせてくれます。奥付によれば、本書は1979年に刊行されたものの新装版です。小学校低学年向き。

2010年10月19日火曜日

絵本ジャンヌ・ダルク伝











「絵本ジャンヌ・ダルク伝」(ジョゼフィーン・プール/文 アンジェラ・バレット/絵 片岡しのぶ/訳 あすなろ書房 2004)

ブーテ・ド・モンヴェルの「ジャンヌ・ダルク」同様、ジャンヌの生涯を絵本にしたものです。「ジャンヌ・ダルク」とくらべると、その生涯はだいぶ簡略化されています。

また、物語の押さえているポイントも、それぞれちがいます。たとえば、オルレアンを包囲していた敵将の名は、ウィリアム・グランデールといい、甲冑をつけたまま川に落ちて溺れ死んだことが「ジャンヌ・ダルク伝」には描かれているのですが、「ジャンヌ・ダルク」ではこのエピソードは触れられていません。

また、ご存じのように、イギリス軍の手に落ちたジャンヌは、異端審問にかけられ、火あぶりの刑に処せられます。「ジャンヌ・ダルク」では、居合わせた者たちは、死刑執行人も裁判官たちもみな泣き、「──しまった、聖女を焼き殺したのだ!」という、イギリス人の叫びをもって、物語を終わらせています。

同じ場面を、「ジャンヌ・ダルク伝」はこんな風に描きます。

「刑を執行したのはイギリス人でした。けれども、最後に小さな木彫りの十字架を作ってジャンヌにわたしたのも、ひとりのイギリス人でした」

うがった見方をすると、この文章は、本書がイギリスで出版されたために記されたのかもしれません。小学校高学年向き。

2010年10月18日月曜日

ジャンヌ・ダルク











「ジャンヌ・ダルク」(M・ブーテ・ド・モンヴェル/作 やがわすみこ/訳 ほるぷ出版 1978)

ジャンヌ・ダルクは1412年1月12日、フランスはロレーヌ地方のドンレミイという小さな村に生まれました。父はジャック・ダルク、母はイザベル。素朴ではたらき好きで、暮らしむきも豊かなお百姓の一家でした。

13歳のとき、ある夏の真昼、庭にいたジャンヌは不思議な呼び声を耳にしました。続いて、目もくらむような光とともに、大天使ミカエルがあらわれて、逆境にあるフランス王太子を助け、ランスで戴させるようにとジャンヌに告げました。

その後も、天からの呼び声はくり返し聞こえてきます。18歳になったジャンヌは、家を抜けだすと近くに住む叔父さんを訪ね、お告げのままにヴォークールールの守備隊長ボオドリクールのもとへ連れていってくれるように頼みました。叔父さんは、可愛い姪の熱心な訴えにうごかされ、つきそい役になることを承知してくれました。

ボオドリクールと面会したジャンヌは、神のお告げのことを物語り、王太子に紹介してほしいと頼みますが、断られます。いったんはドンレミイにもどったジャンヌでしたが、かさねてのお告げを受けて、再びヴォークールールにむかいます。

ジャンヌ・ダルクの生涯をもとにした読物絵本です。巻末の解説によれば、作者のブーテ・ド・モンヴェルはフランス絵本の創始者。絵柄は版画風で、当時の風俗がていねいに描かれています。作者によれば、ジャンヌは戦場で剣を振ったことがなかったそう。

「ジャンヌの唯一の武器は旗でした。この旗をかかげて前線をあちこちとびまわり、味方にかぎりない励ましをあたえるのでした」

「絵本の世界110人のイラストレーター 第2集」(堀内誠一/編 福音館書店 1984)のなかで、堀内誠一さんはこう書いています。

「“もっとも美しい絵本”を選ぶとき「ジャンヌ・ダルク」を忘れるわけにはいかない」

品格のある、素晴らしく美しい絵本です。小学校高学年向き。

2010年10月15日金曜日

おはなしおはなし












「おはなしおはなし」(ゲイル・E・ヘイリー/作 あしのあき/訳 ほるぷ出版 1978)

昔むかし、世界中にお話はひとつもありませんでした。というのも、ニヤメという空の王者が、自分の椅子そばにおいている小箱に、お話をぜんぶしまいこんでいたからです。ところが、あるときアナンセという名のクモ男が、ニヤメがもっているお話を買いとってやろうと思いつきました。そこで、アナンセはクモの糸を編んで空まで届くはしごをつくり、空の王者を訪ねました。

アナンセの頼みごとを聞いたニヤメは、笑いながらこういいます。「わしの話がほしけりゃな、〈ガッブリのかみま〉のオセボ・ヒョウ、〈チックリさしま〉のムンボロ・クマンバチ、〈コッソリいたずらま〉のモアチアようせいをもってこい」。そこで、アナンセは地上にもどり、ニヤメがほしがるものを手に入れにでかけます。

アフリカの民話をもとにした絵本です。知恵のまわるクモ男はみごとにニヤメがほしがる3つのものを手に入れ、ニヤメからお話の箱を買いとります。文章は、おじいちゃんが子どもたちに語り聞かせるというスタイル。絵は色鮮やかな版画で、遠目がよく効きます。この本にはまえがきがあり、そこには、アフリカのひとたちはこんな文句からお話をはじめると書かれています。

「いいかい? これからはなすことが、ぜったいに、ほんとのことかどうか、なんとも、なんともいえないのだがね、まあ、きいてくれ。きょうはどんなおはなしになるかな。さあ、おはなし、おはなし……」

1971年度コールデコット賞受賞作。小学校低学年向き。

2010年10月14日木曜日

アナトールさんのロバ









「アナトールさんのロバ」(ロラン・ド・ブリュノフ/作 ふしみみさを/訳 青山出版社 2006)

アナトールさんはロバがほしくてたまりませんでした。ある朝、きょうこそロバを手に入れようと決心し、市場にでかけました。でも、ロバは売っていなかったので、代わりに牡牛を買ってきました。次の日、市場にでかけたアナトールさんは、ロバの代わりにヒツジを買ってきました。その次の日はヤギを、その次の日は、動物はなにも売っていなかったので、帰り道にうっかり踏みそうになったカエルをつれて帰りました。

このあと、動物たちはアナトールさんのためにロバをさがしにでかけます。一匹、また一匹と旅立っていき、ついにみんないなくなってしまいます。アナトールさんはとてもさみしく思うのですが──。

あいにきたよボノム」のブリュフの作品です。ストーリーは、軽妙な絵柄同様シンプルですが、心あたたまります。小学校低学年向き。

2010年10月13日水曜日

おじいちゃんとテオのすてきな庭











「おじいちゃんとテオのすてきな庭」(アンドリュー・ラースン/文 アイリーン・ルックスバーカー/絵 みはらいずみ/訳 あすなろ書房 2009)

テオのおじいちゃんのうちには素敵な庭がありました。カエデの木陰に置いた椅子にすわって、テオはおじいちゃんから、草花についてのいろんな話を聞くことができました。でも、おじいちゃんは、庭のないアパートに引っ越してしまいました。そこで、テオはおじいちゃんと、大きなキャンバスに庭の絵を描くことにしました。

キャンバスの上の庭づくりは、まず石の塀をつくるところから。塀を描き、空を描き、緑と赤と青を混ぜて茶色をつくり、石塀の下に塗っていくと、庭に土が入ります――。

テオとおじいちゃんが、キャンバスに庭を描いていくという絵本です。テオたちはコラージュ、描かれた庭はペイントで表現されています。最後、おじいちゃんに庭を任されたテオは、庭づくりを立派にやりとげます。小学校低学年向き。

パンはころころ

「パンはころころ」(マーシャ・ブラウン/作 やぎたよしこ/訳 富山房 1994)

昔、おじいさんとおばあさんがいました。ある日、おじいさんが、「なあ、ばあさんやわしにパンをつくっておくれ」といいました。うちには粉がないんですと、おばあさんがいうと、おじいさんは、「こね鉢の底ひっかいて、粉箱の底はいてみな。粉はたっぷりとれるとも」といいました。そこで、おばあさんは、めんどりの羽でこね鉢の底をひっかき、粉箱の底をはいて、粉をふたつかみ手に入れると、パンを焼き上げ、窓辺でさましておきました。

おだんごぱん」の類本の一冊です。このあと、窓辺でおとなしくしていたパンは、突然ころころ転がりだし、広い世間へでていき、ノウサギやオオカミやクマやキツネと出会います。パンのうたう歌は、この本ではこんな感じです。

「こねばちの そこ ひっかいて、
 こなばこの そこ はいたらば、
 こなが とれたよ、ふたつかみ。
 その こな こねて、
 クリーム まぜて、
 こんがり やいて、
 まどの ところで さまして できた、
 それが この ぼく、パンさまだ。
 ぼくは ふたりも だましたよ。
 おばあさんから ひらりと にげて、
 おじいさんから するりと にげて、
 あんたからだって にげだすよ。
 にげだしちゃうよ、のうさぎさん!」

小学校低学年向き。

2010年10月8日金曜日

よるのおるすばん










「よるのおるすばん」(マーティン・ワッデル/文 パトリック・ベンソン/絵 山口文生/訳 評論社 1996)

フーにポーにピヨという3羽のフクロウのヒナが、お母さんと一緒に木の幹のほら穴に住んでいました。ある夜、目をさますとお母さんがいません。3羽は、「きっと狩りにいったのよ」「ごはん、とってきてくれるんだ」「ママに会いたいよう!」といいながら、ほら穴をでて、木の枝にとまってお母さんの帰りを待つことにしました。

お母さんはなかなか帰ってこないので、フクロウのヒナたちの不安はつのります。夜の森の雰囲気とあいまって、ヒナたちの心細さがひしひしとつたわってきます。ヒナたちは写実的ですが、しぐさなどは可愛らしく描かれています。ラスト、お母さんが帰ってくる場面では、だれもが安堵の息を吐くことでしょう。小学校低学年向き。

2010年10月7日木曜日

魔女たちのパーティ








「魔女たちのパーティ」(ロンゾ・アンダーソン/作 エイドリアン・アダムズ/絵 奥田継夫/訳 佑学社 1987)

変装をしたファラディは、わくわくしながらアーティチョークで開かれるハロウィン・パーティにでかけました。その途中、魔女の影がふたつ、月を横切るのをみかけました。ファラディはぞーっとしましたが、魔女たちを追って、森の奥深くに入りこんでいきました。

森のなかの広場では、魔女たちがパーティの準備をしており、小鬼たちや大鬼たちもあつまってきます。その様子を、ファラディはかくれてみていましたが、大鬼のオットーにみつかってしまいます──。

ハロウィンを題材にした絵本です。このあと、なんとか助かったファラディは、親切な小鬼のお母さんや魔女に助けられ、ぶじハロウィン・パーティにたどり着きます。ちょっと怖いのですが、同時にユーモアもたっぷりあります。絵は濃いめの水彩。色づかいは渋く、鮮やかです。ハロウィンを題材にした絵本のなかでも、代表的な一冊といえるでしょう。小学校中学年向き。

2010年10月6日水曜日

わらのうし












「わらのうし」(内田莉莎子/文 ワレンチン・ゴルディチューク/絵 福音館書店 1998)

あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。それはそれは貧乏で、おじいさんはタールをつくり、おばあさんは糸をつむいでやっとのことで暮らしていました。ある日のこと、突然おばあさんがいいました。「おじいさん、わらで牛をつくっとくれ。横っ腹にタールをぬっとくれ」。おじいさんは文句をいいながらも、わらの牛をつくり、横っ腹にたっぷりタールをぬりました。翌朝、わらの牛をつれて丘にのぼったおばあさんは、糸をつむぎながら居眠りをはじめました。すると、暗い深い森の奥からクマがやってきました──。

イヌに腹を食いちぎられたクマは、わらの牛にタールをよせといいますが、わら牛はこたえません。腹を立てたクマは、わらの牛のタールをはぎとろうとしますが、逆にくっついてしまいます。そこへ、目をさましたおばあさんがおじいさんを呼び、クマは捕まってしまいます。

その後はくり返し。次はオオカミ、その次はキツネがわらの牛に捕まってしまいます。おじいさんは捕まえた3匹を逃がしてやり、3匹はおじいさんたちにいろいろなものをもってきます。

ウクライナの昔話を元にした絵本です。大きな絵本で、タテ29センチ、横31センチもあります。絵を描いたのもウクライナのひとで、その国のひとでなければ描けないような味わいがあります。内田さんの再話は、まったく無駄のない素晴らしいもの。カバーの袖に内田さんの写真が載せられています。小学校低学年向き。

2010年10月5日火曜日

ないしょのおともだち











「ないしょのおともだち」(ビバリー・ドノフリオ/文 バーバラ・マクリントック/絵 福本友美子/訳 ほるぷ出版 2009)

昔、とても大きな家にマリーという女の子が住んでいました。この家のすみには、ネズミの女の子が住んでいました。ある晩、マリーは夕飯のあとかたづけをしていて、フォークを落としました。ちょうど同じとき、ネズミの女の子も夕飯のあとかたづけをしていて、スプーンを落としました。マリーは、フォークを拾おうとしてネズミの女の子に気づき、ネズミの女の子はスプーンを拾おうとしてマリーに気づきました。

こうして内緒のお友だちになった二人は、毎晩フォークとスプーンを落として挨拶をかわします。大きくなった二人はそれぞれ家をでて、ひとり立ちするのですが、娘の代になってまたつきあいがはじまります。

母娘二代に渡る、女の子とネズミの交流をえがいた可愛らしい絵本です。細部までよく考えられた絵は、見応え充分。ひとり暮らしをはじめた女の子とネズミの部屋に、たがいの絵が貼ってあるところなど、見ていてうれしくなります。文章もきびきびして、何度も楽しめる絵本になっています。小学校低学年向き。

2010年10月4日月曜日

ロバのおうじ












「ロバのおうじ」(M.ジーン・クレイグ/再話 バーバラ・クーニー/絵 もきかずこ/訳 ほるぷ出版 1979)

昔、広くて平和な国を治めている王様とお妃さまがいました。王様はなによりも自分の財産が好きで、ひまさえあれば金蔵にこもって、銀ののべ棒や金貨やルビーや真珠を数えてすごしました。お妃さまはなによりもきれいなお召しものが好きで、ひまさえあれば鏡のまえでドレスを着替えてすごしました。ふたりには子どもがいなかったのですが、ある日旅人から、どんな願いもたちどころかなえてくれる魔法使いの話を聞きました。そこで、王様とお妃さまは馬に乗り、大きな森の洞穴に住む魔法使いを訪ねました。

さて、王様とお妃さまの話を聞いた魔法使いは、代金として金貨のつまった袋を3つ要求します。ところが、王様は支払いにまがいものの金貨を混ぜ、それに気づいた魔法使いは、お妃さまにロバそっくりの子どもが生まれるよう呪文をかけます。

グリム童話の「ロバのおうじ」を元にした絵本です。王子は立派に成長しますが、ロバの姿のため、だれにも愛されることがありません。そこで、王子はリュートをひとつたずさえて旅にでます。絵は、おそらくパステルと水彩でえがかれたもの。クーニーはここでも素晴らしい仕事をしています。透明感があり、親しみやすく、簡潔ながらよく空間を表現し、物語を語って過不足のない、大変美しい絵がみられます。小学校低学年向き。

2010年10月1日金曜日

鳥少年マイケル

「鳥少年マイケル」(トミー・デ・パオラ/作 ゆあさふみえ/訳 ほるぷ出版 1983)

鳥少年のマイケルは静かな田舎に暮らしていました。マイケルは毎日目をさますと、顔を洗い、鳥のかたちの服を着て、朝ごはんを食べ、一日の仕事をして暮らしていました。毎日、空の様子は変わり、季節はめぐり、木の葉の色は変わっていきました。

ところが、ある日どこからか黒い雲が流れてきて、空一面に広がり、花はしおれ、夜がきても月も星もみえなくなってしまいました。そこで、マイケルは荷物をまとめると、この黒い雲がどこからくるのか突きとめにでかけました。

町にたどり着いたマイケルは、〈空とぶクツ〉印の特製はちみつシロップ工場から黒い煙がでているのをみつけます。工場のもち主、ボス・レディに話をすると、ボス・レディはこたえます。「お砂糖をあのでっかい炉で溶かすときに、黒い煙がでちゃうのね」。そこで、マイケルはボス・レディに本物のはちみつをつくることをすすめます。

自然の大切さを説いた絵本です。こういう話はうるさくなりがちですが、この絵本はそうなっていません。ボス・レディの素直さのおかげです。小学校中学年向き。