2010年7月30日金曜日

魔法のことば












「魔法のことば」(柚木沙弥郎/絵 金関寿夫/訳 福音館書店 2000)

エスキモーに伝わる詩を絵本にしたものです。

《ずっとずっと昔
 人と動物がともに この世に住んでいたとき
 なりたいとおもえば 人が 動物にもなれたし
 動物が 人にもなれた。
 だから ときには 人だったり、
 ときには 動物だったり、
 たがいに区別はなかったのだ──》

このあと、詩は、ことばの不思議さについて語りはじめます。絵は、抽象的で色鮮やか。詩にぴったりあっています。

本書は、1994年に発行された同タイトルの絵本「魔法のことば」(CRAFTわSPACE 1994)を、改変を加えて福音館書店より再発行したものだそうです。1994年オリジナル版は、1996年度〈子どもの宇宙〉国際図書賞を受賞したということです。小学校低学年向き。

2010年7月29日木曜日

ちからたろう












「ちからたろう」(いまえよしとも/文 たしませいぞう/絵 ポプラ社 1977)

昔、それは貧しいじいさまとばあさまがいました。風呂などめったに入れなかったので、からだ中こんび(垢)だらけでした。ある日、じいさまがいいました。「わしらはもう年をとってしまったで、わらしはできん。せめておらたちのこんびでも落として、それで人形でもこさえるべや」。そこで、風呂に入って、こんびをとり、それをあつめて小さな人形をつくりました。本当の子どもにするようにお椀にまんまをもってやると、人形はいきなり手を伸ばし、まんまをぱくんと食べてしまいました。

それから、こんびたろうと名づけられた人形は、まんまをわしわし食い、どんどん大きくなりました。でも、たろうは嬰児籠(えじこ)のなかに寝たまま口もききません。何年もたったあと、たろうは突然、「おらに百貫目の金棒をつくってけろ」といいだしました。まだ足腰も立たないのにどうするんだとじいさんがいうと、「それだから、そいつを突っ張って立ってみるんじゃ」と、理屈までいいます。じいさまが財布の底をはたいて金棒を注文し、10人の若者がそれを届けると、たろうは金棒を杖にして立ち上がり、そのとたん見上げるような大男になりました。金棒を軽がると振り回すたろうを見て、じいさまは「おまえはこれから、ちからたろうだ」といいました。

その後、ちからたろうは自分の力がどのくらいひとの役に立つのかためすため旅にでて、途中出会った、みどうっこたろうや、いしこたろうを倒して子分にし、町の女をとっていくという化け物を退治します。

巻末の、「太郎について」という作者の文章によれば、本書は「聴耳草紙」「日本昔話集成」をもとにして、再話したということです。ただ、「聴耳草紙」の25番、「3人の大力男」とくらべると、ラストが大きくちがっています。「3人の大力男」のラストが時代の産物であるなら、「ちからたろう」のラストもまた時代の産物といえるでしょう。また、本書には「つぶたろう」が併録されています。

田島征三さんの絵は、物語によくあった力強いもの。本書の絵によって、第2回世界絵本原画展の金のりんご賞を受賞しています。小学校低学年向き。

2010年7月28日水曜日

ぼうし












「ぼうし」(トミー・ウンゲラー/作 たむらりゅういち/訳 あそうくみ/訳 評論社 2006)

昔、ピンクのリボンのついた、黒い立派なシルクハットがありました。帽子は、お金持ちの頭上で幸せに暮らしていましたが、ある日、持ち主がオープンカーでとばしていたとき、風に吹き飛ばされてしまいました。帽子はあっちへいったりこっちへいったり、くるくる飛んで、一文なしの退役軍人、ベニド・バドグリオのはげ頭に、ぽとんと着地しました。

このあとは帽子の大活躍です。帽子は、お金持ちの外国人旅行者の頭に落ちてきた植木鉢を空中で受け止め、たった一羽しか捕まっていない、逃げ出したムラサキ・ゴシキドリのエスメラルダをみごと捕まえます。そのたびに、お礼や賞金をもらって、ベニドはどんどんお金持ちになっていきます。

ウンゲラーの絵本はどれもそうですが、構成が緊密で、飛躍に富んだできごとが次から次へと起こっていきます。ラストは、これ以外のものは考えられない、うまいラストになっています。小学校低学年向き。

2010年7月27日火曜日

ウェン王子とトラ












「ウェン王子とトラ」(チェンジャンホン/作・絵 平岡敦/訳 徳間書店 2007)

昔、深い森の奥に、トラのお母さんが住んでいました。子どもたちを猟師に殺されてしまったトラは、人間が憎くてたまらず、村を襲い、家をこわし、ひとや家畜を食い殺しました。知らせを聞いた王様は、兵をあつめ、トラ狩りをすることにしました。狩りがうまくいくかどうか、占い師のラオラオ婆さんにたずねると、婆さんはこたえました。「トラの怒りを鎮める手だてはただひとつ。ウェン王子さまをトラにさしだすしかありません」

王様とお后さまは悲しみますが、ウェン王子をトラのところにやろうと決意します。ウェン王子がひとり森に入り、木の下で眠っていると、そこへトラがやってきます。ウェン王子を食わえたトラは、昔、自分の子どもを食わえたことも思いだし、すると怒りがすっと消えていきます──。

人間に子どもを殺された母トラと、ウェン王子との交流をえがいた読物絵本です。絵は、水墨画の技法をつかったもの。絵も物語も格調が高く、母トラの悲しみが強く胸に迫ってきます。2005年ドイツ児童図書賞受賞。小学校高学年向き。

せかいいちゆうめいなフレッド












「せかいいちゆうめいなフレッド」(ポージー・シモンズ/作 かけがわやすこ/訳 佑学社 1988)

ソフィーとニックのうちで飼っていた、ネコのフレッドが死んでしまいました。フレッドはいつも寝てばかりいて、でも、だれからも好かれていたネコでした。ソフィーとニックは、お父さんとお母さんと一緒に、ニックを庭のすみに埋めてやりました。その晩、ソフィーはネコの鳴き声で目をさましました。みると、庭にシルクハットをかぶり、喪章をつけたネコがいました。

シルクハットをかぶったネコは、スペディングさんちのジンジャー。これからみんなでフレッドのお葬式にいくところです。フレッドは、じつはネコのあいだでは世界一有名な歌手だったのです。ソフィーとニックは、大勢のネコと一緒に、フレッドのお葬式に出席します。

コマ割された、マンガ風の絵本です。絵もユーモラスな味わいのマンガ風の絵。重いテーマを、軽妙さを失わずにえがいています。小学校中学年向き。

2010年7月23日金曜日

ふれふれあめ!











「ふれふれあめ!」(カレン・ヘス/作 ジョン・J.ミュース/絵 さくまゆみこ/訳 岩崎書店 2001)

3週間もからから天気が続いたある日、テッシーはずっと遠くに薄紫色の雲をみつけると、友だちのジャッキー=ジョイスを訪ねていいました。「雨が降ってくるよ。水着で、うちにきて。いそいでね」。ジャッキー=ジョイスは、リズとローズマリーを呼び、4人は路地裏で雨が降るのを待ちました。すると──。

雨が降ってきて、4人は大はしゃぎ。大声で笑い、叫びます。それから、4人の母親たちも混ざって、みんなで雨を浴びながら、ぐるぐると踊ります。

日照りをいやす雨の喜びが、テッシーの1人称による詩的な文章でつづられています。絵は、とても達者な水彩画。人物の輪郭がはっきりしているのが魅力です。造本も凝っており、表紙を開くと、見返しの部分がオレンジ一色なのですが、裏表紙のそれは雨が通ったあとのような水色が使われています。小学校中学年向き。

2010年7月22日木曜日

まあ、なんてこと!












「まあ、なんてこと!」(デイビッド・スモール/作 藤本朝巳/訳 平凡社 2008)

木曜日、イモジェンが目をさましたら、なんと頭にツノが生えていました。おかげで、服を着るのは大変だし、部屋からでるのも大変。イモジェンの姿をみて、ママはふらふらと倒れてしまいました。

ママは倒れてしまいましたが、お手伝いのルーシーさんと、コックのパーキンズさんはへっちゃらです。ルーシーさんは、イモジェンのツノでふきんを乾かしますし、パーキンズさんはツノにドーナツをたくさんひっかけて、庭の小鳥に食べさせます。

ツノが生えてもちっとも動じないイモジェンの愉快なお話です。お話同様、絵もさっぱりとした水彩でえがかれ、どの場面も生き生きとしています。オチが気が利いています。小学校低学年向き。

2010年7月21日水曜日

しょうがパンぼうや










「しょうがパンぼうや」(ポール・ガルドン/作 ただひろみ/訳 ほるぷ出版 1978)

昔、子どものいないおじいさんとおばあさんがいました。ある日、おばあさんはしょうがパンでぼうやをつくろうと思いつきました。練り粉を平らにのばして、男の子のかたちに切り抜き、干しブドウで目を、すぐりの実で口を、シナモンのドロップを鼻にして、並んだ干しブドウを上着のボタンにしました。ところが、おばあさんは焼いているうちに、ぼうやのことをすっかり忘れてしまいました。「おやまあ、パンぼうやがこげてるわ!」と、おばあさんがぼうやをとりだそうとしたところ、パンぼうやはすとんと床に降り立ち、通りに駆けてゆきました。

おばあさんとさんとおじいさんは、パンぼうやを追いかけますが、捕まえることができません。以下はくり返しです。牛や馬やお百姓さんや牛飼いが追いかけますが、そのたびにパンぼうやはこんなことをいって逃げだします。

「にげてきたのさ おばあさんから、
 にげてきたのさ おじいさんから、
 にげてきたのさ うしさんから、
 ──にげちゃうんだよ、きみからも!」

ラストは「おだんごぱん」と一緒ですが、ガルトンがえがくこの絵本は「おだんこぱん」よりもずっと劇的です。最後、キツネがうまくやる場面をたっぷりとみせます。また、その後、追いかけていたみんなが帰っていく姿もえがかれています。小学校低学年向き。

2010年7月20日火曜日

つぐみのひげの王さま












「つぐみのひげの王さま」(モーリス・センダック/絵 矢川澄子/訳 評論社 1979)

「つぐみのひげの王さま」の絵本は、ホフマンのものが一番有名(だと思う)ですが、センダックも絵本にしています。センダック版で面白いのは、2人の子どもが「つぐみのひげの王さま」というお芝居を演じるという趣向で、絵本がつくられていることです。ホフマン版では、お姫さまへの仕打ちが少々痛々しく感じられるのですが、センダックによる本書では、この演劇的趣向のため、痛々しさをまぬがれています。

また、矢川澄子さんの訳文も、絵に引っ張られてかユーモラスな味わいのものになっています。虚実のあいだに遊ぶのが好きな、センダックならではの絵本化といえるでしょう。小学校低学年向き。

2010年7月16日金曜日

つぐみのひげの王さま












「つぐみのひげの王さま」(フェリックス・ホフマン/作 大塚勇三/訳 ペンギン社 1982)

昔、ある王様にひとりの娘がいました。このお姫さまは、大変な美人でしたが、ひどく気位が高く、うぬぼれ屋で、だれが結婚を申し込んできても、はねのけてしまいました。あるとき、王様は大宴会をひらいて、お姫さまと結婚したいひとをたくさん呼びあつめました。でも、お姫さまは、どのひとにもなにかしらけちをつけ、なかでも、ひとりのちょっとあごの曲がった王様には、「おやまあ、このひとのあご、まるでつぐみのくちばしみたい!」と笑ったので、この王様にはそのときから「つぐみのひげ」というあだ名がつけられてしまいました。

さて、王様は、娘が結婚を申し込みにきたひとを残らず馬鹿にするのをみて、すっかり腹を立ててしまいました。そこで、「こんど、いちばん先に戸口にやってきた乞食を娘の夫にしてやるぞ」と誓いを立て、それから2、3日してやってきた乞食の歌うたいに、娘を結婚させてしまいました。

グリム童話をもとにした絵本です。ホフマンの力強い筆致により、気位の高いお姫さまがじつに魅力的にえがかれています。お姫さまはこのあと、家事をさせられたり、物売りをさせられたり、お城で料理場の女中をさせられたりしますが、、もちろん最後は幸せな結末が待っています。小学校中学年向き。

2010年7月15日木曜日

つばさをもらった月

「つばさをもらった月」(八百板洋子/文 南塚直子/絵 ほるぷ出版 1993)

昔、おじいさんとおばあさんがいました。子どもがいなかったのがさびしくて、毎晩、毎晩、「どうか娘をさずけてください」と、お月さまにお願いしました。ある朝、おじいさんが暗いうちに川へいき、魚とりのかごを沈めて川辺でうとうとしていると、かごのなかに一羽のカモが入っていました。それは、金色のくちばしに、銀色の足をしたカモでした。2人はカモを自分たちの子どもにすることにしました。

さて、2人がきのことりにでかけ、帰ってくると、驚いたことに部屋は片づき、夕ごはんの支度はしてあり、シャツは縫ってありました。次の日も同じことが続いたので、不思議に思った2人はでかけるふりをして屋根にのぼり、煙突から部屋をのぞきました。すると、カモが美しい娘になって部屋の片づけをはじめました。2人は、娘がまたカモになっては困ると思い、カモの翼を暖炉に投げこみました。

ところが、娘はじつは月の化身でした。娘は、天の岩戸のように岩かげに隠れてしまい、夜、月は空にのぼらなくなってしまいます。そこで、おじいさんとおばあさんは、娘を天に帰すため、娘にいわれたとおり、森じゅうの鳥の羽を1本ずつあつめ、魔法使いのおばあさんにカモの翼をつくってもらいます…。

あとがきによれば、本書は、アンゲル・カラリーティフの「ブルガリア民話集」におさめられた話を絵本にしたものです。ブルガリアでは、一般に「おじいさんと月の話」という名前で語り継がれているそうです。 話はロシアの民話「かもむすめ」に似ていますが、スケールはずっと大きくなっています。絵は、可愛らしく幻想的。夜空に、ふたたび月がのぼった場面が印象的です。小学校低学年向き。

なお、本書と同じ八百板洋子さんの編訳による、ブルガリアの昔話集「吸血鬼の花よめ」(福音館書店 1996)にも同じ話が収録されています。絵本のほうが、話が短くなっているのは、文章を刈りこんだせいかもしれません。

2010年7月14日水曜日

おいしそうなバレエ












「おいしそうなバレエ」(ジェイムズ・マーシャル/文 モーリス・センダック/絵 さくまゆみこ/訳 徳間書店 2003)

ある冬の昼下がり、やせっぽっちのさえないオオカミが知らない通りに迷いこみました。おいしそうな匂いに引かれてたどり着いたのは劇場。看板には大きな文字で、「白ブタのみずうみ」と書かれていました。

うまく劇場にもぐりこんだオオカミは、ちょうどはじまった舞台を見物します。踊りだしたブタたちは想像以上においしそう。ところが、そのうちオオカミは、「この踊りには意味があるらしいな。どうやら、だれかが結婚するみたいだぞ」と気がついて──。

うっかり、バレエに夢中になってしまったオオカミのお話。ブタのバレエをオオカミが見物するという着想が絶妙です。センダックの絵は、細かいところまで遊びがあり、見どころが満載。オオカミが住むアパートの、大家のおばさんまで、じつにいい味をだしています。

訳者あとがきによれば、原作者のジェイムズ・マーシャルとセンダックは友人だったそう。マーシャルが1992年に亡くなったとき、残された文章をみたセンダックが、自分で絵をつけて出版したのが本書だということです。小学校中学年向き。

2010年7月13日火曜日

りゅうになりそこねたハブ

「りゅうになりそこねたハブ」(儀間比呂志/作 福音館書店 1989)

昔、やんばるの村に柴刈りのカナーという、ひんすうむん(貧乏者)がいました。ある日、いつものように山で柴刈りをしていると、雨が降ってきたので、近くの岩かげで雨宿りをすることにしました。雨が大降りになってきたので、「ちゃーんならんさー」(しかたがないさー)と居眠りをはじめると、妙な音が聞こえてきました。みると、ハブが天にむかって飛び上がっては落ち、飛び上がっては落ちしていました。

ハブは海で千年、山で千年、人里で千年修行をすると竜になるといいます。カナーは一所懸命に天にのぼろうとしているハブに、「ハブさん、ちばれ(がんばれ)!」と声をかけます。が、ハブは修行中、一度でもひとにみられると竜になれません。カナーに見つかったハブは嘆き悲しみますが、カナーがこのことを内緒にすると約束すると、こういいます。「ありがとう、カナー。わしもおまえにいいことをしてあげよう。いますぐ家に帰って水がめを庭にだしておきなさい」。カナーが、いわれたとおり水がめを庭にだしておくと、金色に輝く「りゅうふん」(竜のうんこ)が、かめ一杯に入っています。「りゅうふん」はとても値打ちのある薬で、カナーは島一番のお金持ちになるのですが…。

沖縄の民話をもとにした絵本です。作者も沖縄出身で、その色づかいに南国らしさが感じられます。この絵本が最初に発表された、「こどものとも」の折りこみふろく「絵本のたのしみ」には、沖縄民話の会会長の遠藤庄治さんによる、「沖縄のハブと龍の話」という一文が寄せられています。それによれば、この絵本の素材になった話は、沖縄民話の会が、昭和48年以来あつめつづけた2万5千話(!)の話のなかから、作者である儀間さんがえらんで絵本にしたということです。小学校中学年向き。

2010年7月12日月曜日

公爵夫人のふわふわケーキ












「公爵夫人のふわふわケーキ」(ヴァージニア・カール/作 灰島かり/訳 平凡社 2007)

昔、ある国に、お堀をぐるりとめぐらしたお城がありました。お城には、13人の姫さまたちと、公爵さまと、公爵夫人が住んでいました。ある日、姫さまたちのためにケーキを焼いてあげようと思った公爵夫人は、台所にいくと、「わたしは今からふんわり、ふんわり甘ーいケーキを焼きますからね」と、料理番にいいました。

ケーキのつくりかたを教えましょうという料理番の申し出を断って、公爵夫人はひとりで、ふわふわケーキをつくりはじめます。いろんなものを混ぜて、火にかけると、ケーキはどんどんどんどんふくらんで、公爵夫人をのせて、さらにふくらんで、とうとうお城の塔より高くなって──。

シンプルな線と色でえがかれた、ユーモラスな絵本です。ストーリーもおおらかでナンセンス。ケーキがどんどんふくらみ、のっている公爵夫人が上空に去っていくのを目の当たりにした公爵は、まったく動じず、姫さまたちにこういいます。「みんな、お母さまにいってらっしゃいをしようね」。公爵夫人も手を振り返しているのがおかしいです。訳者あとがきによれば、作者のヴァージニア・カールは、1950~60年代の、アメリカ絵本黄金時代を彩った絵本作家のひとりだそう。日本での翻訳は今回がはじめてだということです。また、訳者の灰島かりさんが、文章を語呂のよい日本語に仕立てています。小学校低学年向き。

2010年7月10日土曜日

大森林の少年












「大森林の少年」(キャスリン・ラスキー/作 ケビン・ホークス/絵 灰島かり/訳 あすなろ書房 1999)

1918年の冬、ミネソタ州ダルースの町では、悪性のインフルエンザが流行り、たくさんのひとが死んでいきました。そこで、父さんと母さんは、10歳になる息子のマーベンを、父さんの友人がはたらいている北部の、木材の伐採現場にいかせることにしました。マーベンは、仕立て直した父さんの古いオーバーを着こみ、母さんがつくってくれたラートケ(ユダヤ料理、ジャガイモのホットケーキ)と、クニッシュ(ユダヤ料理、小麦粉の皮に肉や野菜をつめて揚げたもの)、それに6歳の誕生日に父さんがつくってくれたスキーをもって、ひとり列車に載り伐採現場にむかいました。

5時間ほどのち、ミネソタ州ベミジに到着したマーベンの前には、果てしない雪原がひろがっていました。スキーをはいて、帯のようにみえる森林をめざしてひたすら進むと、森の入口で父さんの友人のムレーさんが待っていてくれました。伐採場に到着したマーベンは、ムレーさんから、朝、男たちを起こす仕事と、きこりたちの給料の台帳をつける仕事を任されます。マーベンは仕事をうまくこなし、伐採場のきこりたちとも仲良くなりますが、春になり、町に帰る日がやってきます──。

ひと冬の少年の経験をえがいた、傑作読物絵本です。本の扉をひらくと、はるばるとした雪原にスキーの跡が続く絵がひろがり、そこから物語に引きこまれます。雪原の広さや、森林の深さ、冬の光などが、素晴らしい実感をもってえがかれています。また、訳者あとがきで灰島かりさんが書いているように、大男のジャン・ルイがマーベンを肩車して歩いていく場面は、一度読んだら忘れられない、名場面になっています。小学校高学年向き。

2010年7月8日木曜日

モーモーまきばのおきゃくさま












「モーモーまきばのおきゃくさま」(マリー=ホール=エッツ/作 やまのうちきよこ/訳 偕成社 1985)

春の牧場に、一頭の牛がいました。牛は、あんまり草がおいしいので、だれかを招待してあげたいといいました。それを聞いたカケスが、いたずら心を起こし、ぼくがお客を誘ってこようと家畜小屋にいきました。そして、ごちそうが草のほかになにもないと知りながら、「みなさん、牛のお招きですよ。6時ごろ、モーモー牧場へきてくださーい」といいました。6時になると、牧場には、馬とヤギとブタと羊の子、犬と猫、ガチョウ 、オンドリ、ネズミがやってきました。

牛は、牧場にやってきたみんなと、歌をうたったり踊ったりします。が、いざごちそうが草だけだとわかると、犬と猫とガチョウとメンドリとオンドリとネズミは、怒って帰ってしまいます。

エッツというと白黒の絵本を想像しますが、この絵本はピンク地の絵本です。みんなが去ってしまい、牛は悲しむのですが、でも残った馬とヤギと羊の子と一緒に仲良く草を食べます。全員が満足しないところが、エッツらしいといえるでしょうか。小学校低学年向き。

2010年7月7日水曜日

はらぺこライオン












「はらぺこライオン」(ギタ・ウルフ/作 インドラプラミット・ロイ/絵 酒井公子/訳 アートン 2005)

ライオンのシンガムは、お気に入りの木の下で、なんとか簡単に獲物がとれないものかと考えていました。すると、よい考えがひらめきました。きょうは市場が立つ日です。市場では、人間がヤギを杭にしばりつけておくので、人間を怖がらせて追い払えば、すぐにヤギが食べられます。シンガムはさっそく村へむかいました。

ところが、途中スズメのクルヴィに出会ったシンガムは、方針を変更。すぐにおまえを食べてやるといいますが、クルヴィは、いま甘いおもちをつくるためにお米をついばんでいるところなので、どうせならその両方食べたほうがいいでしょう、と提案します。おもちをつくるためには、砂糖とバナナ、ミルクにバター、つぼと鍋とたきぎがいると聞いたシンガムは、それらを全部そろえるために、ふたたび市場にむかうのですが──。

インド民話をもとにした絵本です。このあとも、シンガムは、市場で出会った子羊のアドゥや、鹿のマーンにまんまと騙されてしまいます。訳者あとがきによれば、本書の愉快な絵は、インド西部に住むワルリー族が古くから伝える、伝統的なワルリー画の画風だということです。また、現在では数がへってるというものの、ライオンはインドにも生息しているということです。小学校中学年向き。

2010年7月6日火曜日

まっくろネリノ











「まっくろネリノ」(ヘルガ=ガルラー/作 矢川澄子/訳 偕成社 1973)

ネリノは、家族のなかでひとりだけ真っ黒です。きれいな色をした兄さんたちは、ネリノと遊んでくれません。だから、ネリノはいつもひとりぼっちでじっとしていました。

ところが、ある日、兄さんたちが行方不明になってしまいます。あちこち探すと、兄さんたちはカゴに入れられていました。あんまりきれいなので、捕まってしまったのです。ネリノは夜になるのを待って、兄さんたちを助けにいきます。

本文はネリノの1人称。黒地にパステルでえがかれたシンプルな絵な絵が印象的です。
「よる みんなが ねむってからも、
 ぼくは ひとりきりで きの てっぺんで、
 かなしいなあって かんがえてるんだ」
という場面に、ネリノのさびしい気持ちがよくあらわれています。小学校低学年向き。

2010年7月5日月曜日

はるになったら












「はるになったら」(シャーロット・ゾロトウ/文 ガース・ウィリアムズ/絵 おびかゆうこ/訳 徳間書店 2003)

ある日、小さな女の子が、小さな妹にいいました。はるになったら、お花をたくさん摘んできて、花畑をつくってあげる。雪がいっぱい積もったら、雪だるまをつくってあげる──。

小さいお姉さんが、小さい弟に、あれこれしてあげることを考える…という絵本です。映画にいったら歌をおぼえてきてあげる、夢におばけがでてきたら助けにいくわと、してあげることはまだまだ続きます。ガース・ウィリアムズの、リアリティのある繊細な絵と、ゾロトウの文章が、読む者を柔らかな気持ちにしてくれます。なお、この本は「のはらにおはながさきはじめたら」(きやまともこ/訳 福武書店 1984)というタイトルの旧版があります。小学校低学年向き。

2010年7月2日金曜日

おならのしゃもじ









「おならのしゃもじ」(小沢正/文 田島征三/絵 教育画劇 2003)

昔、あるところに貧乏な若者が住んでいました。お宮にいき、どうかもう少し楽な暮らしができますようにとお祈りをした帰り道、若者は道に赤いしゃもじと黒いしゃもじが落ちているのをみつけました。なんだこれはと思ったとき、どこからか声が聞こえてきました。「おしりだおしり。赤いほうでなでろ、黒いほうでなでろ」

若者がためしに赤いほうのしゃもじで、茶店にいた馬の尻をつるんとなでてみると、馬のお尻からものすごいオナラがでてきます。黒いしゃもじでなでてみると、とたんにぴたりとオナラはやみます。オナラをとめてくれたお礼にと、茶店からお団子をごちそうになった若者は、その後も、黒いしゃもじと赤いしゃもじをつかって、いばっているおサムライをやりこめ、きれいなお嫁さんを手に入れます。

日本民話絵本の一冊です。もとの民話がなんなのか、残念なことに書いてありません。文章はタテ書き。ラストは大変盛り上がります。小学校低学年向き。

2010年7月1日木曜日

ふしぎなバイオリン












「ふしぎなバイオリン」(クェンティン・ブレイク/文・絵 谷川俊太郎/訳 岩波書店 1980)

ある日、パトリックはバイオリンを買いに町へいきました。なけなしの銀貨をはたいてバイオリンを買うと、さっそく池のほとりで弾いてみました。すると、なんとも不思議なことが起こりました。色とりどりの魚が池からとびだし、空をとびまわり、バイオリンにあわせて歌をうたいだしたのです。

パトリックがバイオリンを弾くと、女の子のリボンや男の子の靴ひもは大きくなり、木の葉はきれいな色になり、果物の代わりにお菓子が実って、鳥も牛もホームレスも病気のおじさんも、みんな明るくカラフルになっていきます。クウェンティ・ブレイクの絵柄によくあった、にぎやかで楽しい絵本です。小学校低学年向き。