2009年10月30日金曜日

ファンが悪魔をつかまえた












「ファンが悪魔をつかまえた」(やなぎやけいこ/再話 今井俊/絵 福音館書店 2005)

昔、ファンという大食らいの若者がいました。どんなに食べてもお腹がいっぱいになるということがないので、ファンの家はとても貧乏になってしまいました。とうとう、ファンのお母さんはいいました。「ファン、でかけていって、悪魔でもつかまえておいでよ。大食いのおまえより悪魔のほうがよっぽどましだよ」。そこで、ファンは、ほんとうに悪魔をさがしにでかけました。

このあとは波瀾万丈。海のむこうの火を吹くほら穴に悪魔が住んでいると知ったファンは、大ワシの背にのり、ほら穴を目指します。いつも腹ぺこなファンが、出会う相手だれにでも(悪魔にも!)「おまえを食べるぞ!」といいだすのがおかしいです。版画でえがかれた絵も、話の豪快さによくあっています。現在品切れ。小学校低学年向き。

2009年10月29日木曜日

エミリーときんのどんぐり

「エミリーときんのどんぐり」(イアン・ベック/作 ささやまゆうこ/訳 徳間書店 1995)

エミリーのうちの庭に、1本のかしの木が生えていました。エミリーはこの木を魔法の木だと思っていました。弟のジャックをつれて海賊船ごっこをすると、かしの木はいまにも船になり、風が吹いたらうごきだしそうでした。ある日、目をさますと、町は海に沈んでいました。そして、かしの木は海賊船になっていました。船に「きんのどんぐり号」と名づけたエミリーは、ジャックと船に乗りこみ、大海原をめざします。

このあとは大冒険。エミリーとジャックは世界のはてにいき、金のドングリを手に入れます。絵は独特の波線によってえがかれた、あたたかみのあるもの。海に沈んだ町の上を進んでいく帆船の絵はじつに魅力的です。オチも気が利いていて、楽しめる読物絵本になっています。現在品切れ。小学校中学年向き。

2009年10月28日水曜日

よるのねこ








「よるのねこ」(ダーロフ・イプカー/文と絵 光吉夏弥/訳 大日本図書 1988)

猫には、夜でもよくみえる目があります。わたしたちにはよくみえないのに、猫にはなんでもはっきりみえるのです。いったい、猫にはなにがみえているのでしょう。

まず、シルエットの絵があり、ページをめくると猫の目でみたようなカラーの絵になる、という趣向の絵本です。猫は、鳥小屋を通り、牧場にいき、畑を抜けて森にまで足をのばしますが、まだまだ夜の探検は終わりません。グラフィカルな絵が楽しい、雰囲気のある絵本です。小学校低学年向き。

2009年10月27日火曜日

おばけのトッケビ









「おばけのトッケビ」(金森襄作/再話 チョン・スクヒャン/絵 福音館書店 2005)

七つの山を越えたある村に、ひとりの若者が住んでいました。お父さんが死んでしまい、若者のもちものは杖とひょうたんしかありません。あちらの村、こちらの村と歩いても仕事はなく、若者は林のなかの墓のまえで眠ることにしました。すると、その夜だれかが、「おうい、じいさん起きろやあい」と、声をかけてきました。

声をかけてきたのは、おばけのトッケビ。若者を死人とかんちがいしたトッケビは、村の娘の命をとり、それでじいさんを生き返らせてやるんだと、若者を村の大きな家のまえに連れていきます。

韓国の昔話です。夜から朝に変わる場面がじつに鮮やか。途中、娘の命をとったトッケビは、うれしくて歌をうたいます。もちろん、話はそれで終わりではなく、若者の機転によりハッピーエンドを迎えます。現在品切れ。小学校低学年向き。

2009年10月26日月曜日

どうしてカはみみのそばでぶんぶんいうの?












「どうしてカはみみのそばでぶんぶんいうの?」(ヴェルナ・アールデマ/文 レオ・ディロン/絵 ダイアン・ディロン/絵 やぎたよしこ/訳 ほるぷ出版 1978)

ある朝、イグワナが水たまりで水を飲んでいると、カがやってきていいました。「あのねえ、お百姓があたしくらいあるヤマイモを掘ってたの」。そんなバカな話は聞いていられないと、イグワナは木の枝で両方の耳に栓をして歩きだしました。ところが、これが思わぬ大事件へとつながってしまいます。

西アフリカ民話。なぜカが耳のそばでぶんぶんいうのか、その由来を説いた絵本です。カのささいなひとことが、「風が吹いたら桶屋がもうかる」的に、大きな事件につながってしまいます。でも、太陽が昇らなくなり、ジャングルの動物たちが原因究明のため会議をひらくなど、スケールは「桶屋」をはるかに超えています。絵は、グラデーションを効かせた切り絵風の絵。独特の画風は好き嫌いが分かれるかもしれません。あと、「イグワナ」はおそらく「イグアナ」のことでしょう。1976年コルデコット賞受賞作。小学校低学年向き。

2009年10月23日金曜日

かえるがみえる












「かえるがみえる」(松岡享子/作 馬場のぼる/絵 こぐま社 1975)

「かえるがみえる かえるにあえる かえるははえる かえるはほえる…」ことば遊びの絵本です。かえるが、見たり、会ったり、這ったり、吠えたり、越えたり、ひっくり返ったり──するさまが、馬場のぼるさんのユーモラスな絵でえがかれています。ラストは粋な感じで終わります。

似た趣向の絵本に、五味太郎さんの「さる・るるる」(五味太郎/作 絵本館 1979)がありますが、こちらは失意のラストをむかえていたはず。読みくらべてみると面白いかもしれません。幼児向き。

2009年10月22日木曜日

灯台守のバーディ












「灯台守のバーディ」(デボラ・ホプキンソン/作 キンバリー・バルケン・ルート/絵 掛川恭子/訳 BL出版 2006)

バーディのお父さんがつぎの灯台守にえらばれました。みんなの命をあずかる灯台守にえらばれるのは、大変な名誉です。お父さんとお母さん、ネイト兄さんと妹のジェイニー、それにバーディは、灯台のあるカメ島に引っ越しました。

灯台にのぼるのが大好きなバーディは、お父さんから灯台守の仕事を少しずつ教わります。ところが、あるとき、お父さんは具合が悪くなり寝こんでしまいました。そんなとき、嵐がやってきます。バーディはひとりで灯台にむかいますが…。

舞台は19世紀なかばのメイン州。バーディがつけた日記という形式で書かれた物語絵本です。本のかたちは細長く、絵は水彩。ラスト、嵐のなか、バーディが灯台の火を守る場面は大変な迫力です。小学校高学年向き。

2009年10月21日水曜日

ふしぎなしろねずみ










「ふしぎなしろねずみ」(チャンチョルムン/文 ユンミスク/絵 かみやにじ/訳 岩波書店 2009)

雨がしとしと降るある日のこと、おじいさんは昼寝をし、おばあさんは縫い物をしていました。ふと、おじいさんの鼻の穴から、かさこそと音が聞こえてきたので、おばあさんがのぞいてみると、おじいさんの鼻の穴から、小さな白ねずみが出たり入ったりしていました。そのうち、白ねずみはおじいさんの鼻からでて、うちのそとにむかいました。いったいどこにいくのでしょう。

韓国の昔話。このあと、おばあさんは、うちを出たねずみが水たまりを渡れなくて困っているところを助けたり、牛の糞をほおばるところをながめたりしますが、途中で見失ってしまいます。ところが、うちに帰ってしばらくたつと、白ねずみがあらわれて、おじいさんの鼻にもどり、すると、おじいさんは目をさまして、いまみていた夢を話しだします。その夢は、おばあさんが白ねずみを追いかけていたときのこととまるきり同じなのですが、おじいさんは「こがねの入ったつぼ」をみつけたといいだして──と、物語は続きます。絵は味わい深く、色鮮やか。雨の場面と晴れた場面のコントラストが素晴らしいです。小学校中学年向き。

さんまいのおふだ












「さんまいのおふだ」(水沢謙一/再話 梶山俊夫/絵 福音館書店 1985)

昔、山のお寺に和尚さんと小僧が住んでいました。ある日、山に花を切りにいった小僧は、だんだん山奥にはいってしまい、ついには日が暮れて、帰り道がわからなくなってしまいました。山のむこうに明かりのついた家をみつけ、いってみると、家には白髪のおばばがひとり、いろりに火をたいていました。小僧はひと晩泊めてもらえることになりましたが、そのおばばは、じつはおにばさ(鬼婆)だったのです──。

ご存知、三枚のおふだのお話。方言で書かれた民話調の絵本です。方言はそう強くくありません。絵はとても雰囲気があります。小学校低学年向き。

2009年10月19日月曜日

ふとっちょねこ










「ふとっちょねこ」(ジャック・ケント/作 まえざわあきえ/訳 朔北社 2001)

あるところに、おばあさんが住んでいました。おかゆをつくっているとき、お使いを思いだしたおばあさんは、おかゆを見ててくれるよう猫に頼みました。ところが、猫はみているどころか、おかゆを食べてしまいました。それから、鍋も食べてしまいました。それから、帰ってきたおばあさんも──。

デンマーク民話。その後、そとにでた猫は、出会ったひとたちをかたっぱしから食べてしまいます。ジャック・ケントの漫画風の絵と、リズミカルな訳文が絵本をより楽しいものにしています。猫がかたっぱしからいろんなものを食べるという同趣向の絵本に「おなかのかわ」「はらぺこねこ」「はらぺこガズラー」などがありますが、それぞれ食べるものがちがうのが面白いところです。私見ですが、読み聞かせにはこの「ふとっちょねこ」が、ことばが面白く、いちばん向いていると思います。小学校低学年向き。

2009年10月15日木曜日

マルチンとナイフ







「マルチンとナイフ」(エドアルド・ペチシカ/作 内田莉莎子/訳 福音館書店 1981)

マルチンとお父さんは、森できのこをみつけました。でも、ナイフがありません。「かしの木の下に置き忘れたらしいな」と、お父さんがいいました。「マルチン、ナイフをみつけてきてくれないか」。そこでマルチンは、子犬と一緒にナイフをさがしにいきました。

ペチシカの絵はシンプルであたたかみがあります。ナイフをみつける途中、マルチンはさまざまな木のもとをおとずれるのですが、それらの木もシンプルながら、よく特徴をとらえてえがかれていて感心します。絵も文書も品のいい絵本です。幼児から小学校低学年向き。

エミールくんがんばる












「エミールくんがんばる」(トミー・ウンゲラー/作 今江祥智/訳 文化出版局 1977)

ある日、潜水服を着て海の散歩をしていたサモファ船長は、ふいにサメに襲われそうになりました。そのとき、タコのエミールくんがあらわれて、船長を助けてくれました。そこで、船長はお礼に、エミールくんをうちに招待することにしました。

おかに上がったエミールくんは、8本足で楽器を弾き、たちまち人気者になります。でも、海が恋しくなり、こんどは海岸の見張り番の仕事につきます。そして、そこでも大活躍します。タコのくせに、じつに格好いいエミールくんのお話。お話会の定番絵本のひとつです。本がまだ手に入るのがうれしいです。小学校低学年向き。

2009年10月13日火曜日

風にのっていったダニーナ












「風にのっていったダニーナ」(ジェイン・ヨーレン/文 エド・ヤング/絵 もりおかみち/訳 富山房インターナショナル 2009)

むかし、遠い東の国に、たいそうお金持ちの商人がいました。妻をなくした商人は、娘のダニーナを一生幸せにしようと決心しました。そこで、まだ幼いダニーナを、高い塀にかこまれた海辺の屋敷で育てることにしました。何年もの年月がすぎ、悲しみを知らずに育ったダニーナは、ある日、ふしぎな風の歌を聞きました。

ふしぎな風の歌はこんな風にうたいます。「わたしはいつもやさしいとはかぎらない」。ここではだれもがやさしいし、いつも幸せよと、ダニーナがこたえると、風はさらにうたいます。「なんと悲しい人生だろう」。
寓話的な読物絵本。エド・ヤングの絵は繊細かつ様式的です。読み終わると、深い余韻が残ります。小学校中学年向き。

2009年10月12日月曜日

モモのこねこ











「モモのこねこ」(やしまたろう/作 やしまみつ/作 やしまたろう/絵 偕成社 2009)

ある日、モモは道ばたのゼラニウムの茂みのかげに、1匹のみすぼらしい子猫をみつけました。「パパのおゆるしがあったら、そのねこ、かってもいいわよ」と、ママがいいました。モモは、パパのお許しがないときは泣いてしまおうと思っていましたが、パパは子猫を抱いたモモをみて、にっこりしました。モモは、子猫にニャンニャンと名前をつけました。日本では、子どもたちは子猫をそう呼ぶのです。

その後、ニャンニャンは大きくなり、5匹の子猫を生みます。子猫たちが大きくなったり、よそのひとにもらわれていったりするところを、絵本はていねいに描いています。ラスト近く、こんな文章が記されます。「1ねんまえには、とても、みすぼらしかった こねこは、いまでは せかいじゅうで いちばん うつくしいねこに なっていました。」

今年(2009年)は八島太郎の生誕100周年。本書はそれにあわせて復刊された絵本です(以前は岩崎書店から出版)。小学校低学年向き。

2009年10月9日金曜日

ゆうれいとすいか












「ゆうれいとすいか」(くろだかおる/作 せなけいこ/絵 ひかりのくに 1997)

ある男が、井戸でスイカを冷やしていたところ、幽霊にスイカを食べられてしまいました。「あんまりおいしそうだったからつい…」と、幽霊は泣いてあやまりますが、男は許しません。幽霊を家につれていき、蚊の退治をやらせます。すると幽霊は、「では、ところてんをつくる道具をおだしください」。一体なにをするつもりなのでしょう。

気のいい幽霊が奇想天外な活躍をするお話。このあとでてくる「おばけ組合でつくったすいか」は、なかの色が青く、食べると急に寒くなります。夏向けの涼しげな絵本です。小学校低学年向け。

2009年10月8日木曜日

舌ながばあさん












「舌ながばあさん」(武建華 (ウー・ジェンホア)/絵 千葉幹夫/文 小学館 2001)

オクヤマ岳のオクマタ峠というところに、舌ながばあさんと、おにの朱(しゅ)のばんが住んでいました。ふたりの楽しみは、道にまよって峠にきた人間を驚かすことでした。ところが、このところ、だれも峠にやってきません。二人が山を下りてみると、森の木はなくなり、川はせきとめられて湖になり、池の水は干上がっていました。ようやく村人をみつけたふたりは、村人を驚かそうとしますが、相手は驚きません。川の水がかれて、米もいもも育たなくなったので、村人たちは驚く元気もないのです。村人に頼まれた二人は、堤を切り、川にふたたび水を流そうとしますが──。

この後、湖にむかった二人のまえに竜がたちふさがり、大スペクタクルが展開します。この絵本、一見中国の昔話を絵本化したもののようにみえますが、じつはちがいます。江戸時代に福島近辺につたわる話をあつめた「老媼茶話」という本に紹介された話を脚色したものだそうです。それを、絵を描いた武健華さんが、中国風に置きかえています。講談社出版文化賞・絵本賞受賞作。小学校中学年向き。

2009年10月7日水曜日

むかし、ねずみが…












「むかし、ねずみが…」(マーシャー・ブラウン/作 晴海耕平/訳 童話館 1994)

ある日、インドの行者が木の下にすわり、「大きいということ、小さいということ」について考えていました。そこへ、カラスに追われたネズミが、目のまえを走り抜けていきました。行者はネズミを助けると、森のなかの自分の住まいに連れていき、牛乳と米粒でもてなして、元気づけてやりました。

ところが、こんどはネズミを狙ってネコがやってきます。そこで、行者は魔法をつかって、ネズミをネコの姿に変えてやります。その夜、森でイヌが吠えると、ネコはおびえてベッドの下にもぐりこんでしまいます。そこで行者は、深く考えることもなく、ネコをイヌの姿に変えてやり――。

数かずの傑作絵本を手がけた、マーシャ・ブラウンによる絵本です。副題は、「インドに古くから伝わるおはなしより」。絵は、おそらく版画。少ない色数を巧みにつかい、みごとに登場人物たちを造形しています。さて、ついに行者にトラにまでしてもらったネズミでしたが、あんまりわがもの顔で森のなかを歩くので、ある日行者に、「わしがいなかったら、おまえは相変わらず哀れな小さいネズミにすぎない」と、たしなめられます。恥をかかされたと思ったトラは、行者を殺してしまおうと思い――。コールデコット賞受賞作。小学校中学年向き。

2009年10月6日火曜日

ものぐさ太郎












「ものぐさ太郎」(肥田美代子/文 井上洋介/絵 西本鶏介/監修 ポプラ社 2005)

むかし、信濃の国のあたらしの里に、ものぐさ太郎という男が住んでいました。とても立派な屋敷のあるじでしたが、生まれつきの怠け者で、家のなかで暮らすのは面倒だと、門のそばに竹を4本たて、その上にむしろをかぶせただけのみすぼらしい小屋で暮らしていました。ある年、みやこにいる信濃の国司、二条大納言ありすえが、あたらしの里に人手をだすようにいってきました。そこで、村人は太郎をいかせようと相談しました。「みやこへでて仕事をすれば、出世もできるし、美しい嫁をもらうこともできる」「そうか、みやこへいけばよめをもらえるのか、そんならいってみるか」 ものぐさ太郎はだんだんその気になり、都にいくことを承知しました。

ご存じ、ものぐさ太郎の物語です。井上洋介さんの描く、墨絵風の絵が、なんともいえずユーモラス。太郎は不敵な面がまえをしています。文章は、原文を踏まえてわかりやすく書かれています。冒頭をくらべてみましょう。

「物くさ太郎」(「おとぎぞうし(漢字)」所収 市古貞次校注 岩波文庫)
《東山道(とうせんだう)みちのくの末、信濃国十郡のその内に、筑摩(つかま)の郡(こおり)あたらしの郷(がう)といふ所に、不思議の男一人侍(はんべ)りける。其名を物くさ太郎ひぢかすと申し候。ただし名こそ物くさ太郎と申せども、家造りの有様、人にすぐれてめでたくぞ侍りける》

「ものぐさ太郎」
《むかし、信濃の国のあたらしの里に、ものぐさ太郎という名のたいへんかわった男がすんでいた。名前はものぐさ太郎だが、とてもりっぱな屋敷のあるじだった。》

2009年10月5日月曜日

あおいやまいぬ












「あおいやまいぬ」(マーシャ・ブラウン/作・絵 瀬田貞二/訳 瑞雲舎 1995)

よく鳴くので“とおぼえ”と名づけられた山犬がいました。ある夜、お腹がすいてたまらなくなったとおぼえは、町に食べものをあさりにいきました。ところが、町のいぬたちに追いかけられ、とおぼえは無我夢中で染物屋の藍の大瓶にとびこみました。真っ青に染まったとおぼえが森に帰ると、森の動物たちはとても驚きました。そこで、とおぼえはいいました。「森のけものたちに王さまがいないのを高みにいます神々がごらんになって、ここの私を造られたのだ」。そして、とおぼえは森の王さまとなって暮らしますが…。

「パンチャタントラ」という、古いインドのたとえ話集の一つを題材にした、寓話風の絵本です。ラスト、とおぼえは、ただの山犬であることがばれて、山の動物たちに追い出されてしまいます。そして、「なんだったのか? あのくらしは?」と、考えるところで終わります。マーシャ・ブラウンの絵は、ここでも素晴らしい力を発揮しています。巻末で、訳者の瀬田貞二さんがマーシャ・ブラウンについてこう書いているのが印象的です。「この絵本をかいたマーシャ・ブラウンは、絵本をかくために生まれたような人です」。小学校低学年向け。

2009年10月2日金曜日

シマフクロウとサケ












「シマフクロウとサケ」(宇梶静江/古布絵制作・再話 福音館書店 2006)

村の守り神、シマフクロウのカムイチカプは、山でひとり暮らしてきたので、つまらなくなって山を下り、浜へおりてきました。木にとまって沖のほうをみていると、神の魚、サケの群がやってきました。先頭のサケはカムイチカプをうやまいましたが、最後にきた「しっぽが裂けたもの」と呼ばれるサケたちは、カムイチカプのことを侮辱しました。がまんならなくなったカムイチカプは、銀のひしゃくシロカネピサックと、金のひしゃくコンカネピサックをつかい、海の水を汲みつくしてしまいました。

副題は「アイヌのカムイユカラ(神謡)より」。物語は、カムイチカプの1人称で語られています。また、アイヌ語の発音にあわせ、カムイチカプのプの字は小さな文字で表記されています。絵に当たる部分は、アイヌの伝統刺繍を生かして宇梶静江さんが創作された「古布絵(こふえ)」によって表現されています。刺繍によってえがかれたカムイチカプの姿は、一度みたら忘れられないでしょう。静けさをたたえた、美しい絵本です。小学校低学年向け。

2009年10月1日木曜日

みにくいむすめ












「みにくいむすめ」(レイフ・マーティン/作 デイヴィッド・シャノン/絵 常盤新平/訳 岩崎書店 1996)

昔、オンタリオ湖のほとりにある村に、「見えない人」が住んでいました。たいそう立派な人で、お金持ちで力もち、おまけにりりしい顔をしているともっぱらの噂でした。けれど、だれもその姿をみることはできませんでした。この村には、ひとりの貧しい男が住んでいて、3人の娘がいました。上の2人は心のつめたい、ひどい人たちで、いつも末の妹をいじめていました。ある日のこと、姉さんたちは着かざって、、見えない人のところにやってきました。2人はみえない人と結婚したかったのですが、結婚するためには見えない人が見えなければいけません。2人は見えない人をみることができませんでした。

ネイティブ・アメリカンのアルゴンキン族に伝わるシンデレラ物語です。この後、末の妹が、粗末な材料で一生懸命お洒落をして、見えない人のもとを訪れます。シンデレラというと、ガラスの靴のせいか、足元ばかり気にしているような気がしますが、この物語のシンデレラは、はるばると空を見上げます。シンデレラ物語はこんなに壮大な話にもなるのかとびっくりします。厚塗りの絵が物語の雰囲気によくあっています。現在品切れ。小学校中学年向け。

余談ですが、シンデレラ物語の類話は世界で1500ほどもあるそう。みんなシンデレラが好きなのです。