2009年12月25日金曜日

かぜはどこへいくの












「かぜはどこへいくの」(シャーロット・ゾロトウ/作 ハワード=ノッツ/絵 松岡享子/訳 偕成社 1981)

一日が終わりました。きょうはいい日でした。夜、男の子がお母さんにたずねます。「どうして昼はおしまいになってしまうの」「夜がはじめられるようによ」「風がやんだらどこへいくの?」「遠くへ吹いていって、どこかでまた木をゆらすのよ」

こんな調子で、ベッドいる男の子と、お母さんの会話が続きます。最後に男の子はこういいます。「おしまいになっちゃうものはなんにもないんだね」。おだやかな夜の雰囲気に満ちた一冊です。小学校低学年向き。

2009年12月24日木曜日

しずかなおはなし












「しずかなおはなし」(サムイル・マルシャーク/文 ウラジミル・レーベデフ/絵 うちだりさこ/訳 福音館書店 1978)

父さんと母さんとぼうやの、はりねずみの家族が夜中散歩にでかけました。そこへ2匹のおおかみが近よってきたので、一家は針を逆立てて丸くなりました。父さんと母さんはぼうやにいいました。「じっとしておいで。うごかないで。おおかみたちは悪いやつ、油断をしてはいけないよ」

小さな声で、そっと読むお話です。本文はリズミカルな文章で書かれています。少し引用してみましょう。

《はりねずみの かぞくが すんでいた
 とうさんと かあさんと ぼうやの はりねずみ
 しずかな しずかな はりねずみ
 ぼうやも しずかな はりねずみ》

水彩の、リアリティに富んだ絵が、森の静かな雰囲気をかもしだしています。お話会の定番絵本のひとつです。小学校低学年向き。

2009年12月22日火曜日

オオカミと石のスープ












「オオカミと石のスープ」(アナイス・ヴォージュラード/作・絵 平岡敦/訳 徳間書店 2001)

ある冬の夜、年をとったオオカミがメンドリの家のドアをたたいていいました。「すこし暖まらせてください。そうしたら、石のスープをつくってあげましょう」。メンドリが家に入れてあげると、オオカミはさっそく石のスープをつくりはじめました。スープにはいつもセロリを少し入れるのよとメンドリがいうと、なるほど、それはおいしくなりそうだとオオカミはこたえました。すると、ブタがやってきました。メンドリから石のスープの話を聞くと、だったらズッキーニも入れたらどうかなと、ブタはいいました。

このあと、メンドリのうちにどんどん動物たちがやってきて、スープの具はどんどん増えていきます。「せかい1おいしいスープ」や「しあわせの石のスープ」と同趣向の話ですが、主役が年をとったオオカミというところがちがいます。石のスープという騙りの常習犯であるらしいオオカミが、哀感をもってえがかれているところがユニークです。昔話を新しい視点でアレンジした一冊です。子どもより大人が楽しむ絵本かもしれません。小学校低学年向き。

2009年12月21日月曜日

しあわせの石のスープ











「しあわせの石のスープ」(ジョン・J.ミュース/作 三木卓/訳 フレーベル館 2005)

ホク、ロク、ソーという、3人の旅をしているお坊さんがいました。3人はある村をおとずれましたが、家の戸をたたいてもなにも返事がありません。この村は、洪水にあったり戦争でひどい目にあったりしたので、よそからきたひとたちを信用できなくなっていたのです。「この村の人たちは、幸せを知らぬ」。そこで、3人は石のスープをつくることにしました。

お坊さんたちが石のスープをつくっていると、最初は勇気のある女の子が、それから村人たちが、興味をもってみにきます。それから、大きな鍋で、みんなで協力し石のスープをつくることになり、最後は大宴会がひらかれます。

マーシャ・ブラウンの「せかい1おいしいスープ」と同内容のお話(原題はどちらも「Stone Soup」)。ただし、話の舞台は中国にうつされています。ちょっとお説教臭いのは、登場人物が兵隊からお坊さんになったからかもしれません。ジョン・J・ミュースの水彩画はたいへん美しく、見応えがあります。現在品切れ。小学校低学年向き。

2009年12月19日土曜日

せかい1おいしいスープ












「せかい1おいしいスープ」(マーシャ・ブラウン/再話・絵 わたなべしげお/訳 ペンギン社 1979)

戦争が終わり、3人の兵隊が故郷にむかって、てくてくと歩いていました。3人はもう2日もなにも食べていなかったので、村をみつけると、あそこで食べものにありつけたり、牛小屋の屋根裏でひと眠りしたりできるかもしれないぞと話あいました。ところが、村のひとたちは3人の兵隊がやってくるのを知ると、食べものをみんな隠してしまいました。そこで、3人は相談し、われわれはこれから石のスープをつくると村人に宣言しました。

とんちを効かせた兵隊たちの活躍が楽しい絵本です。石のスープに興味をもった村人たちは、兵隊たちのすることに協力し、最後は大パーティーとなります。訳者あとがきによれば、フランスの昔話「奇妙なスープ」を題材にして本書はつくられたということです。現在品切れ。小学校低学年向き。

2009年12月17日木曜日

いちばんのなかよし










「いちばんのなかよし」(ジョン・キラカ/作 さくまゆみこ/訳 アートン 2006)

どうぶつ村では、ネズミがとても大事にされていました。ネズミだけが火のおこしかたを知っていたからです。村の動物たちは、毎朝ネズミのところにやってきて、火を分けてもらいました。ある年、雨が降らない日が続き、畑の作物が枯れはじめました。そこで、となりに住んでいる仲良しのゾウがいいました。「きみのうちには壁がない。泥棒が入るかもしれないよ。きみの蓄えはぼくが預かってあげよう」

その後、日照りが続き、ネズミはゾウに預けていた蓄えを返してもらいにいきますが、ゾウは返してくれません。ネズミは村を去り、ゾウは村の動物たちに責められます。また、ネズミが火をつかって仕返しにくるのではないかと心配になります。

巻末の訳者あとがきによれば、作者のジョン・キラカはタンザニアの絵本作家。独特の絵は、ティンガティンガ派とよばれる画風だそうです。絵本のストーリーは、昔話に作者がオリジナルな味つけをしたものではないかと、訳者のさくまゆみこさんは想像しています。ともすれば、お説教くさくなってしまいそうな話ですが、趣のある絵と、充分に報いをうけるゾウのおかげで、面白い作品になっています。小学校低学年向き。

2009年12月16日水曜日

山の上の火












「山の上の火」(ハロルド・クーランダー/文 ウルフ・レスロー/文 渡辺茂男/訳 佐野昌子/絵 ジーシー 1995)

昔、アジズ・アベバという町に、アルハという名の若者が住んでいました。アルハは子どものときに田舎から町にやってきて、ハプトム・ハセイというお金持ちの召使いになりました。ハプトムは、お金でできることはみんなやってしまい、ときどき退屈でたまらなくなりました。ある寒い夜、ハプトムはあることを思いついていいました。「人間というものは、どのくらいの寒さまでがまんできるものかな。たとえば、スルタ山のてっぺんでひと晩中はだかでいても生きていられるだろうか」。そこで、アルハはハプトムと賭けをすることになりました。

スルタ山のてっぺんで、ひと晩中裸でいられれば、賭けはアルハの勝ちです。勝てば、家と牛とヤギと畑がもらえます。でも、いざ賭けをするとなると、アルハは不安になり、物知りのじいさんに相談します。じいさんは、谷をへだてた反対側の山で、たき火をすることを申し出ます。「おまえはひと晩中わしの燃す火をみつめながら、暖かい火のことを考えるんじゃ」。さて、アルハは賭けに勝つことができるでしょうか。

エチオピアの昔話に材をとった読物絵本です。文章は「山の上の火」(岩波書店 1963)から借用したそうです。よく似た話は、トルコの有名なとんち話の主人公、ナレスディン・ホジャの物語を絵本にした、「ホジャどんのしっぺがえし」(ギュンセリ・オズギュル/作 ながたまちこ/訳 ほるぷ出版 1983)にみることができます。現在品切れ。小学校低学年向き。

2009年12月15日火曜日

やまなしもぎ











「やまなしもぎ」(平野直/再話 太田大八/画 福音館書店 1978)

昔、あるところに、お母さんと3人の兄弟が住んでいました。お母さんはからだの具合が悪く、寝ていましたが、ある日兄弟を呼んで、「おくやまのやまなしが食べたいな」といいました。そこで、一番上の太郎がやまなしもぎにでかけました。途中、太郎は大きな切り株にすわっているばあさまに出会いました。ばあさまは太郎をみると赤い欠け椀をだして、「すまんが水をくんでくれんかの」と頼みましたが。が、太郎は忙しいからと断りました。やまなしもぎにいくという太郎に、ばあさまは「この先の《3本のまっかみち》に3本の笹が立っていて、風に鳴っているけに、「ゆけっちゃかさかさ」というほうにゆきもさい」と教えてくれました。

ところが、太郎はばあさまの忠告を聞きません。きつつきやふくべの教えてくれた前兆にも耳を傾けず、やまなしをとろうとしたところ、沼の主にげろりと呑みこまれてしまいます。以下はくり返し。最後、末っ子の三郎がみごと沼の主を倒し、やまなしをもって帰ります。

岩手の民話を再話した絵本です。ストーリーは緊密に構成され、手に汗握る面白さです。最後のページで、元気にはたらいているお母さんの姿がうれしいです。小学校低学年向き。

以下は余談。同じ民話を題材にした絵本に、「なしとりきょうだい」(かんざわとしこ/文 えんどうてるよ/絵 ポプラ社 1977 )があります。でも、話のバージョンがちがうのか、神沢利子さんの創作が入っているのか、ストーリーはいささかちがいます。また、「なしとりきょうだい」は本編以外の付録が多く、巻末に話を聞いた子どもたちの感想や絵、それから作者たちの苦労話などの興味深い記事が載せられています。

2009年12月14日月曜日

むこう岸には










「むこう岸には」(マルタ・カラスコ/作 宇野和美/訳 ほるぷ出版 2009)

川岸に村があり、女の子と家族が住んでいました。むこう岸にも村がありましたが、あっちのひとたちは、わたしたちとはちがっているんだよと、みんながいっていました。変なものを食べるし、髪の毛をとかさないし、怠け者で騒ぞうしいし。ある日、女の子はむこう岸で男の子が手を振っているのに気がつきました。女の子が手を振ると、男の子はにっこりしました。あくる日、岸辺に綱のついたボートがあり、女の子はボートに乗りこみました。

むこう岸にわたった女の子がみたものは、こちら側とまるで変わらない暮らしでした。女の子と男の子は、大人になったら川に橋をかけようという夢をもちます。「そうしたら、なんぜんかいでも、なんまんかいでも、こっちからあっちへ、あっちからこっちへ、あいにいけるだろう」。清新な絵が、テーマを過不足なく表現しています。小学校中学年向き。

2009年12月11日金曜日

にげだしたひげ









「にげだしたひげ」(シビル・ウェッタシンハ/作 のぐちただし/訳 木城えほんの郷 2003)

昔、スリランカという国に小さな村がありました。その村には、ひげそりもはさみもなかったので、じいさんたちはみな、ひげを長くのばしていました。そして、あんまり長くなると、まな板の上で魚を切るように、ほかのひとに包丁でひげを切ってもらっていました。ところが、ハブンじいさんだけはちがっていました。というのも、ハブンじいさんは、ねずみにひげをかじってもらっていたのです。

ところが、ある日のこと、ねずみの歯が丸くなっていて、かじってもひげが短くなりません。早く歯を研いできておくれと、ハブンじいさんがいうと、これを聞いたひげはあわてて逃げだし、部屋中に、そして村中のあらゆるものにからみつきます。描きようによってはグロテスクになってしまう題材ですが、ウェッタシンハの幸福感のある絵が、じつに愉快に物語を表現しています。また、話のおさめかたも絶妙です。小学校低学年向き。

2009年12月10日木曜日

ふるやのもり









「ふるやのもり」(瀬田貞二/再話 田島征三/絵 福音館書店 2007)

昔、ある村のはずれに立派な子馬を育てている、じいさんとばあさんがいました。その馬小屋に、ある雨の晩、子馬を盗もうと馬泥棒が忍びこみ、梁にのぼって隠れていました。それから子馬を食べようと、山のオオカミも馬屋に忍びこみ、わらの山のなかに隠れていました。そうとは知らない、じいさんとばあさんは、「この世でいちばん怖いもの」について話をしていました。2人が、「この世でいちばん怖いものは泥棒でもオオカミでもない、“ふるやのもり”じゃ」というので、それはいったいどんな化け物だろうと、泥棒もオオカミも怖くなりました。そのうちに、雨がざんざん降ってきて、古い家のあちこちで雨もりがしてきました。そこで、じいさんとばあさんは一緒に「そら、ふるやのもりがでた!」と叫びました。

泥棒の首筋にも雨もりのしずくがたれてきたので、泥棒はびっくり仰天。梁からとび降りると、そこはオオカミの背の上で、オオカミも仰天。オオカミは泥棒を背にのせて、夜が明けるまで駆け続けます。ここまでが前半。後半は木のほらに逃げこんだ(オオカミが“ふるやのもり”だと思いこんでいる)泥棒を退治しに、サルがでかけていき、サルの顔はなぜ赤いかという由来が語られます。読み聞かせをする場合、夜の場面など遠目がききづらいかもしれません。でも、話は無類の面白さです。小学校低学年向き。

2009年12月9日水曜日

こぶたのバーナビー












「こぶたのバーナビー」(U.ハウリハン/文 やまぐちまさこ/訳 なかがわそうや/絵 福音館書店 2006)

森のはずれに住んでいる、こぶたのバーナビーのところに、ある日おばさんから小包が届きました。なかには、ぴかぴかの6ペンス玉。このお金でなにを買おうかな? と考えをめぐらせていたところ、バーナビーはおばさんからの手紙をみつけました。このお金は風船を買うためのものだったのです。でも、バーナビーは風船がどんなものか知りませんでした。そこで、バーナビーはともかく町にいってみることにしました。

でかけるさい、バーナビーはちゃんとネクタイをしめてでかけます。なかがわそうやさんの、さっと描いたような絵がたいへん魅了的。また、レイアウトがじつにうまくできています。小学校低学年向き。

2009年12月8日火曜日

ズーム、海をゆめみて










「ズーム、海をゆめみて」(ティム・ウィン・ジョーンズ/文 エリック・ベドウズ/絵 えんどういくえ/訳 ブックローン出版 1995)

水遊びが大好きなネコのズームは、ある日、屋根裏部屋でロイおじさんの日記をみつけました。日記帳には、海にいく道順が書いてありました。いってみると、そこは立派な玄関のお家です。ノックをしてあらわれた女の人に、「海にいきたいんです」とズームがいうと、女の人はこたえました。「どうぞどうぞ、小さな船長さん」。

このあと、あんまり家のなかで待たされるので、海なんてなかったんだと帰ろうとしたズームは、マリアさん(女の人の名前)に、用意ができたわと呼び止められます。そして、マリアさんが大きな「しかけ」をまわすと、部屋のなかに大海原が出現します。絵は丹念に描きこまれた鉛筆画。ちょっとオールズバーグを思わせる作風です。ズームシリーズは3部作。「ズーム、北極をゆめみて」と「ズーム、エジプトをゆめみて」があります。小学校低学年向き。

2009年12月7日月曜日

ひとくい巨人アビヨーヨー

「ひとくい巨人アビヨーヨー」(ピート・シーガー/文 マイケル・ヘイズ/絵 木島始/訳 岩波書店 1987)

昔、ウクレレを弾く小さな男の子がいました。町中でビリリンビリンとやるので、大人にうるさがられていました。その子のお父さんは魔術師で、なんでも消すことができる魔法の杖をもっていました。でも、その杖であんまりなんでも消してしまうので、ついにお父さんと男の子は村八分にされてしまいました。ところで、この町では昔から、アビヨーヨーという名前の大男がいて、人間をぱくぱく食べるんだよと、年寄りが子どもたちに話して聞かせていました。すると、ある朝、お日様のまえに大きな人影があらわれました。

人影はもちろんアビーヨーヨー。男の子とお父さんは、歌と魔法の杖でアビヨーヨーをやっつけ、村人から喝采をうけます。男の子がうたう場面には、楽譜もついています。巻末の解説によれば、ある南アフリカの昔話からヒントを得たピート・シーガーは、この物語をつくり、自分の子どもたちに語り聞かせていたそうです(レコードも出ているよう)。村人の人種や服装がいろいろであるところに、作者の思想が垣間みえそうです。小学校低学年向き。

2009年12月4日金曜日

ロージーちゃんのひみつ












「ロージーちゃんのひみつ」(モーリス=センダック/作 なかむらたえこ/訳 偕成社 1983)

ロージーの家の玄関のドアに札がかかっています。《ひみつを おしえてほしい ひとは この とを 三ど たたくこと》。キャシーが3どドアを叩くと、ロージーがあらわれました。「ひみつってなあに?」とキャシーがたずねると、ロージーがこたえました。「あたしね、もうロージーじゃないの。アリンダっていうすてきな歌手よ。もうじきはじまるミュージカルにでるの。場所はうちの裏庭よ」
「あたしもだれかになっていい?」
「じゃあ、チャチャルーになるといいわ。アラビアの踊り子よ」
さあ、ショーがはじまります。

ショーの演目は、ナイトガウンをはおり、頭にタオルを巻いたチャチャルーの(すぐ終わってしまう)歌と踊り。それから、大きな羽根飾りのついた帽子に長いドレスを着たアリンダの歌です。ところが、アリンダの歌は、消防士の格好をしたレニーの珍入により、すっかりジャマされてしまいます。最後、椅子の上に立ち、ひとりでうたうロージーの後ろ姿がなんともいえません。話はこれで終わりではなく、まだ続きます。子どもの遊びの情景をみごとにすくいとった読物絵本です。小学校中学年向き。

余談。たまたま手元に原書があったので日本語版とくらべてみたのですが、レイアウトが多少ちがっていました。日本語版には絵のないページがあるのですが、原書にそのようなページはありません。日本語にすると言葉数が増えてしまうので、このような措置になったのでしょうか。できれば、レイアウトは原書のままのほうがよかったように思います。

2009年12月3日木曜日

12のつきのおくりもの












「12のつきのおくりもの」(内田莉莎子/再話 丸木俊/絵 福音館書店 2006)

昔、あるところに、夫を亡くして2人の娘と暮らしているやもめがいました。姉は実の娘であるホレーナ、妹は継子であるマルーシカといいました。やもめはいつもホレーナばかり可愛がって、マルーシカにはつらく当たりました。ホレーナは一日中遊んで暮らしているのに、マルーシカは朝から晩まではたらかなくてはなりません。でも、はたらけばはたらくほどマルーシカは美しい娘になっていき、遊び暮らしているホレーナはどんどんみにくい娘になっていきました。そこで、やもめとホレーナはマルーシカを追いだそうと相談し、ある寒い冬の日、森へいってスミレをとってくるようにとマルーシカにいいつけました。

冬にスミレが咲いているはずはありません。マルーシカは凍えて、いまにも倒れそうになりますが、そのとき大きなたき火をみつけます。それは12の月の精たちがしているたき火でした。マルーシカは3月の精のおかげで、スミレを手に入れることができます。丸木俊さんの描く炎は印象的で、とてもあたたかそうです。また、12の月の力であらわれる緑はじつに鮮やか。物語は、後半くり返しになりますが、そのときの物語のはしょりかたが素晴らしいです。現在品切れ。小学校低学年向き。

2009年12月2日水曜日

こびととくつや












「こびととくつや」(グリム/原作 カトリーン・ブラント/絵 藤本朝巳/訳 平凡社 2002)

昔、あるところに正直者の靴屋がいました。せっせとはたらいていましたが、だんだん貧しくなり、とうとう手元には靴一足分の皮のほかにはなにもなくなってしまいました。その皮を靴のかたちに切りとり、翌朝ぬい上げるつもりでいたところ、驚いたことに靴が一足できあがっていました。それも、素晴らしい仕上がりです。その靴は普通より高く売れたので、靴屋は皮を2足分買うことができました。つぎの日も同じことが起こり、靴屋は4足分の皮を買うことができました。それから、毎日同じことが起こり、靴屋はしまいには大金持ちになりました。そして、ある晩、靴屋とおかみさんは一体だれが仕事を手伝ってくれているのか、夜通し見張ってみることにしました。

夜になってやってきたのは2人の裸のこびとたち。2人が靴をつくってくれたと知った靴屋とおかみさんは、こびとのために洋服と靴をつくってあげます。おなじみグリム童話のお話を絵本にしたもの。背景をはぶいた絵が、逆に物語を際だたせることに成功しています。洋服や靴をもらったこびとたちは、歌をうたい踊るのですが、その姿がたいへん愛らしいです。小学校低学年向き。

2009年12月1日火曜日

漁師とおかみさん












「漁師とおかみさん」(グリム/原作 カトリーン・ブラント/絵 藤本朝巳/訳 平凡社 2004)

昔、あるところに漁師とおかみさんがいました。ある日、漁師がサカナを釣り上げると、そのサカナがいいました。「わたしは魔法をかけられた王子なのです。海にもどしてください」。漁師はサカナを海にもどしてやり、あばら屋に帰っておかみさんに話しました。すると、おかみさんはいいました。「それであんたはなにも願いごとをしなかったのかい! もう一度でかけていって、小さい家を一軒たのんでごらんよ」。そこで漁師は海にいき、おかみさんの願いごとをサカナにつたえました──。

おかみさんの願いごとはかなえられ、ふたりは小さな家に住むことができるようになりました。ところが、こんどは石づくりのお城に住みたいとおかみさんはいいだします。その願いもかなえられますが、おかみさんの欲はとどまることを知りません。どんどんと、途方もなくエスカレートしていきます。

絵は、墨で書いたような線に水彩で着色した親しみやすいもの。だんだんと広がっていく不気味な海が印象的です。字の組みは、いささか窮屈な部分があります。また、欲の皮が突っ張ったおかみさんの姿が、途中からあらわれなくなるという演出がとられています。小学校低学年向き。

余談ですが、チェコのアニメーション作家トルンカの作品「金の魚」では、欲にとりつかれたおかみさんが大変印象的に描かれています。また、すこしひねった児童文学に、ルーマー・ゴッデンの「おすのつぼにすんでいたおばあさん」(徳間書店 2001)があります。

2009年11月30日月曜日

3びきのくま












「3びきのくま」(トルストイ/文 バスネツォフ/絵 おがさわらとよき/訳 福音館書店 1996)

女の子は森に遊びにでかけ、道に迷ってしまいました。ふと気がつくと、戸のあいた、小さな家がありました。のぞいてみると、だれもいません。そこで、女の子はなかに入ってみることにしました。

この家は、じつは3匹のくまが暮らす家。くまの家に入った女の子は、大中小それぞれの、おさじや椅子やベッドをみつけます。──という、ご存じ「3びきのくま」のお話。古くから読みつがれている絵本は、無駄がなく、均整がとれ、完璧な印象をあたえるものですが、この絵本は完璧中の完璧といえるでしょう。小学校低学年向き。

2009年11月28日土曜日

しちどぎつね












「しちどぎつね」(たじまゆきひこ/作 くもん出版 2008)

大阪の仲のいい2人連れ、喜六(きろく)と清八(せいはち)がお伊勢参りの旅にでてきました。途中お腹がすいた2人は畑のスイカを失敬しますが、まだ季節が早くてなかは真っ白。スイカを草むらに放ると、ちょうどそこに寝ていた狐の頭にごつんと当たりました。このキツネは、ひとに一度仇されたら、7度だまして返すという七度ギツネ。スイカをぶつけられたお返しに、七度ギツネはさっそく2人を化かしにかかりました。

上方落語「七度狐」をもとにした絵本です。落語では、2人は煮物屋(軽食堂)で「いかの木の芽和え」を失敬し、食べ終えたあとすり鉢を投げ捨てたら、それが七度狐に当たります。それが絵本では効果を考えて、スイカに変更されています。この絵本の付録「絵本のたから箱」という冊子には、制作の苦労話が載せられているのですが、それによると、作者がこの落語の絵本化を志してから、スイカを思いつくまで、20年近くたってしまったということです。

独特の味わいのある絵は、型染(かたぞめ)という、大変手間のかかる手法でえがかれたもの。話はおおむねセリフのやりとりで進んでいきますが、セリフのまえには発言者の絵をつけるという工夫がされています。また、ラスト近くに、七度ギツネに化かされた2人が、伊勢音頭をうたい踊るという場面があります。 じつに、落語絵本として出色の出来映えの一冊です。小学校中学年向き。

2009年11月26日木曜日

星どろぼう












「星どろぼう」(アンドレア・ディノト/文 アーノルド・ローベル/絵 やぎたよしこ/訳 ほるぷ出版 1980)

昔、山のてっぺんにある村に、ひとりの泥棒が住んでいました。泥棒は、空の星にさわりたくてさわりたくてたまりませんでした。そこで、はしごを空にかけ、星をひとつ残らずとってしまいました。いっぽう、空に星がなくなったので、村人たちはびっくりぎょうてん。星を盗んだやつは、月も盗もうとするにちがいないと、村人は月を守ることにしました。

その後、村人たちの予想どおり、泥棒は月を盗みにやってきて、村人に捕まってしまいます。さて、今度は星を夜空にもどさなくてはいけないのですが、これがうまくいきません。星は夜空にくっつかず、落ちてきてしまうのです。

夜空に星をもどす方法はじつに洒落ています。ラストも気が利いており、ローベルのあたたかい絵とあいまった素晴らしい読物絵本です。現在品切れ。小学校中学年向き。

2009年11月25日水曜日

きんぎょ












「きんぎょ」(ユ・テウン/作 木坂涼/訳 セーラー出版 2009)

ジェジェのおじいさんは森の奥の古い図書館ではたらいていました。ある日、飼っている金魚をつれて、おじいさんと図書館にいったジェジェは、本をみているうちに眠くなり、居眠りをしてしまいました。目を覚ますと、あたりはすっかり暗くなっていて、金魚がいなくなっていました。

あわてて金魚をさがしまわったジェジェは、本棚にちらりと尻尾をみつけます。そこで、金魚が消えた本をひらくと、不思議なことが起こります。このシーンは圧巻です。絵本でしか起こり得ない、不思議なことが起こります。幻想的な読物絵本です。小学校中学年向き。

2009年11月24日火曜日

ルピナスさん











「ルピナスさん」(バーバラ・クーニー/作 かけがわやすこ/訳 ほるぷ出版 1987)

ルピナスさんは、子どものころアリスという名前でした。海辺の町に住んでいて、夜になると、おじいさんから遠い国々のお話をしてもらいました。「大きくなったら私も遠い国にいく」とアリスがいうと、おじいさんがいいました。「もうひとつしなくてはならないことがあるぞ。世の中をもっと美しくするために、なにかしてもらいたいのだよ」。

大きくなったアリス(このころはミス・ランティアと呼ばれていました)は町の図書館ではたらきはじめます。そして、いろんな遠くの国にでかけるのですが、旅行先でけがをしてしまいます。海のそばの家で暮らすことにしたミス・ランティアは、いよいよおじいさんとの約束をはたすときがやってきたと思います。でも、いったいなにをすればいいのでしょう――。

ルピナスさんという、ひとりの女性の人生をえがいた物語絵本です。落ち着いた絵とともに語られるルピナスさんの人生は、波瀾万丈ではありませんが、品のある絵とともに深い感銘をあたえてくれます。小学校高学年向き。

2009年11月20日金曜日

たまごからうま












「たまごからうま」(酒井公子/再話 織茂恭子/絵 偕成社 2003)

あるところに、ダーという名前の怠け者の男がいました。歩くのもくたびれると思ったダーは、市場にいき、馬を買うことにしました。ところが、馬は高くてダーのもっているお金では買えません。すると、ひとりの男がよってきて、ダーにこうささやきました。「だんなさんにだけ特別安く、馬のたまごを売ってあげましょう」。

馬のたまごというのは、じつは大きなカボチャ。でも、すっかりだまされてしまったダーは、カボチャをうちにもって帰ろうとします。うちに着くまで必ずかついでいくようにといわれていたのですが、あんまり重いので途中でひと休み。すると、通りがかったキツネがカボチャにつまずき、カボチャはばかっと割れてしまいます。キツネのことを、たまごからかえった馬だと思ったダーは、逃げてゆくキツネを一目散に追いかけます。

物語と同じように絵も豪快です。夕焼けのなか、ダーがキツネを追いかける場面が、おかしくも美しい絵になっています。この後、キツネを見失ったダーは、サルを、そしてなんとトラを馬だと勘違いして追いかけます。原作はベンガルの民話。もとの話はジャッカルだそうですが、日本の読者に親しみやすいようにキツネにしたということです。ラスト、馬だと思ってトラの背にしがみつくところは、わが国の「むるやのもり」を思い起こさせます。小学校低学年向き。

まほうつかいバーバ・ヤガー










「まほうつかいバーバ・ヤガー」(松谷さやか/再話 ナタリー・パラン/絵 福音館書店 1987)

昔、あるところに年をとった両親と暮らす、ひとりの娘がいました。お母さんが亡くなってしまったので、娘には新しいお母さんがやってきました。でも、こんどのお母さんはとてもいじわるで、ある日お父さんの留守に、娘にこういいつけました。「わたしの姉さんのところへいって、針と糸をもらっておいで。ルバーシカ(ロシアの民族衣装)を縫ってあげるから」 ところが、お母さんの姉さんというのは、魔法使いのバーバ・ヤガーだったのです。

かしこい娘は、まず、やさしい自分のおばさんのところに相談にいきます。そのあと、バーバ・ヤガーのところにいき、バーバ・ヤガーが自分を食べようとしていることを知った娘は、おばさんの助言にしたがって逃げだします。ラストの展開は、ちょっと「3枚のおふだ」風。絵は落ち着いた、グラフィカルなもの。読み聞かせにむいている一冊です。小学校低学年向き。

2009年11月18日水曜日

チャンティクリアときつね












「チャンティクリアときつね」(ジェフリー・チョーサー/原作 バーバラ・クーニー/作 ひらのけいいち/訳 ほるぷ出版 1978)

昔、ある谷間の森の近くに、お母さんと2人の女の子が住んでいる一軒の家がありました。その家にはチャンティクリアというオンドリがいて、7羽のメンドリにかこまれて暮らしていました。ある明け方、チャンティクリアは猟犬のようなやつに襲われる夢をみて目を覚ましました。「こわくてこわくて息が止まりそうだった」とチャンティクリアがいうと、メンドリのパーレットがいいました。「ばかなことをいわないで。わたし、臆病者は大嫌いよ」 ところが、そのあととても恐ろしいことが起こったのです。

チャンティクリアの夢は正夢になってしまいます。森に住んでいる悪がしこいキツネが、ことばたくみにチャンティクリアをおだてあげ、油断したところをぱくりと食わえてしまうのです。キツネは森に逃げようとしますが、そこでお母さんや女の子や家畜たちによる、大追跡がはじまります。

原作はチョーサーの「カンタベリー物語」にある「修道女につきそう司祭の話」。キツネとチャンティクリアのかけあいが、じつに生き生きしています。また、当時の風俗をそのままに描いたクーニーの絵がとても素晴らしいです。1958年のカルデコット(コールデコット)賞受賞作。小学校低学年向き。

2009年11月17日火曜日

どろにんぎょう












「どろにんぎょう」(内田莉莎子/文 井上洋介/絵 福音館書店 1995)

おじいさんが泥土で大きな人形をつくりました。とてもよくできたので、窓の外におき、おばあさんにみせました。すると、おどろいたことに、泥人形は立ち上がって、どんんどしんと足音を立ててうちになかに入ってきました。そして、泥人形はおじいさんとおばあさんを呑みこんでしまいました。

このあと、外にでた泥人形は、出会ったひとたちをどんどん呑みこんでいきます。3人の漁師をのせた舟なんてものまで呑みこんでしまうので驚くかぎり。井上洋介さんの絵も豪快で、物語によくあっています。小学校低学年向き。

2009年11月16日月曜日

オーパルひとりぼっち












「オーパルひとりぼっち」(オーパル・ウィットリー/原作 ジェイン・ボルタン/編 バーバラ・クーニー/絵 やぎたよしこ/訳 ほるぷ出版 1994)

ほんとうのお母さんとお父さんが天国にいってしまったオーパルは、ある家族の養女になりました。新しいお母さんは、オーパルに、たきぎとりやバターづくり、洗濯など、たくさんの仕事をいいつけます。でも、オーパルには友だちがいます。ねずみのメンデルスゾーンや、犬のホラチウス、近所に住む〈だいすきなひと〉。悲しくなると、ラファエルという名の木と話します。

孤独な女の子が主人公の絵本です。動物たちにみな立派な名前がついているところなど、あどけなさと孤独さを感じさせます。クーニーのえがく静かな絵が、文章とともに作品を忘れがたいものにしています。読物絵本。小学校中学年向き。

本書は、原作者のオーパルが5、6歳ころつけていた日記をもとにしてつくられたそうです。オーパルは日記を秘密の場所に隠しておいたのですが、あるとき、義理の姉さんにみつかり、びりびりに破られてしまいました。それでもオーパルは、破られた紙切れを箱にいれてとっておきました。大人になり、なにかの拍子にこの日記の話をしたところ、ひとりの出版人がこの日記をみたいといったので、オーパルは9ヶ月かけて紙切れをつなぎあわせました。出版人は日記をたいへん気に入り、一冊の本として出版したそうです。

2009年11月13日金曜日

とうもろこしおばあさん









「とうもろこしおばあさん」(秋野和子/再話 秋野亥左牟/画 福音館書店 2005)

どこからか、ひとりのおばあさんがやってきました。おばあさんは、どこの村でも泊めてもらえませんでしたが、このアリゲーター村では、ひとりの若者に泊めてもらうことができました。翌朝、男たちが野牛を狩りに、女たちが芋を掘りにでかけると、おばあさんはおいしいパンをつくって村の子どもたちに食べさせました。村に帰り、子どもたちの話を聞いた酋長は、大人たちにも食べさせてくれるように、おばあさんに頼みました。その夜は、大宴会がはじまりました。

おばあさんがつくったのは、とうもろこしからつくったパン。でも、おばあさんはどこでとうもろこしを手に入れたのかいいません。ところが、若者はおばあさんのあとをつけ、おばあさんがとうもろこしを手に入れるところをみてしまいます。みられたことを知ったおばあさんは、若者にあることを命じ、おかげで平原には一面とうもろこしが実るようになります。秋野さんの力強い絵が印象的な、とうもろこしの起源を語った絵本です。現在品切れ。小学校低学年向き

余談ですが、白土三平が「ナータ」というタイトルで、同じくとうもろこし起源譚を漫画にしています(異色作品集2巻所収)。ただし、こちらは大変アダルトな内容になっています。

2009年11月12日木曜日

ゆきのねこ










「ゆきのねこ」(ダイヤル・コー・カルサ/作 あきのしょういちろう/訳 童話館 1995)

真冬に、たったひとり、森のはずれで暮らしていたエミリーは、一緒にくらす、かわいくて大きなねこがほしいと神様にお祈りしました。すると、神様は雪からねこをつくり、エミリーのもとへ届けてくれました。でも、けっしてゆきのねこを家に入れてはなりませんと、神様はいいました。

エミリーは神様のいいつけを破り、ねこを家に入れてしまいます。その結果、ねこはエミリーのもとを去ってしまうのですが、思いがけないかたちで、ねこはエミリーのまえにあらわれます。太い描線でえがかれたシンプルすぎるほどシンプルな絵は、きれいな色とあいまってとても魅了的です。静けさに満ちた、美しい読物絵本です。小学校高学年向き。

2009年11月11日水曜日

ちいさな天使と兵隊さん












「ちいさな天使と兵隊さん」(ピーター・コリントン/作 すえもりブックス 1990)

小さな兵隊と天使の人形を枕元において、女の子が眠りにつくと、そこへ海賊がやってきました。海賊が女の子の貯金箱から金貨を盗もうとしたので、小さな兵隊はそれをふせぎにいきました。ところが、兵隊は逆に海賊につかまってしまいました。そこで、天使の人形は、小さな兵隊を救いに、家のなかをさがしにでかけました。

文字のない、絵だけの絵本です。絵はコマ割りされています。絵はたいへん精緻で、コマ割りは緩急に富み、みる者を物語に引きこみます。小学校低学年向き。

ねずみの歯いしゃさんアフリカへいく












「ねずみの歯いしゃさんアフリカへいく」(ウィリアム・スタイグ/作 木坂涼/訳 セーラー出版 1995)

ねずみのソト先生は、腕のいい歯医者さんです。ある日、ソト先生のもとに一通の電報が届きました。「ニシアフリカ ダブワンヘ コラレタシ ムシバノ ゾウ タスケテ」 ソト先生と奥さんのデボラさんは、さっそく船に乗り、西アフリカのダブワンにむかいました。

さて、ダブワンに着いたソト先生は、虫歯のためろくにものを食べられないゾウのムタンボの治療をはじめます。でも、ムタンボは痛がって、地ひびきのような悲鳴をあげるので、なかなか進みません。しかも、治療を途中で切り上げたその晩、ソト先生は何者かにさらわれてしまいます――。

「歯いしゃのチュー先生」の続編。でも、前作と出版社や訳者がちがうためか、こちらではソト先生と呼ばれています。ちなみに、「歯いしゃのチュー先生」の原題は「DOCTOR DE SOTO」。この本の原題は「DOCTOR DE SOTO GOES TO AFRICA」です。

ところで、虫歯の治療中、ゾウはどんな顔をするのでしょう。それをちょっと想像してから読んでみると面白いです。スタイグのえがく、治療中のゾウの表情には、だれもが納得することでしょう。小学校低学年向き

2009年11月9日月曜日

ねずみとくじら











「ねずみとくじら」(ウィリアム・スタイグ/作 瀬田貞二/訳 評論社 1976)

海の大好きなネズミのエーモスは、ある日、自分でつくった船で大海原へこぎだしました。最初のうち、航海は順調だったのですが、ある晩、エーモスは船から転がり落ちてしまいました。なすすべもなく海面を漂い、力つきようとしたそのとき、エーモスのまえに1頭のクジラがあらわれました。

その後、クジラのボーリスに助けられたエーモスは、ぶじ故郷に帰ることができます。でも、そこで話は終わりません。こんどは大変な危機におちいったボーリスを、エーモスが助けます。エーモスとボーリスの友情が、心にしみじみと残ります。訳はいささか古めかしくなってしまっています。小学校中学年向き。

2009年11月6日金曜日

ミスター・ベンとあかいよろい












「ミスター・ベンとあかいよろい」(デビッド・マッキー/作 まえざわあきえ/訳 朔北社 2008)

ある朝、ミスター・ベンに仮装パーティーの招待状が届きました。ミスター・ベンはあまりパーティーが好きではありません。でも、仮装は大好きです。路地裏の古ぼけた店で赤い鎧をみつけたミスター・ベンは、さっそく店に入り、「きがえべや」で鎧を試着してみました。すると、「きがえべや」のなかには、入り口以外にもうひとつ、「おためしべや」と書かれた扉がありました。そこで、ミスター・ベンは「おためしべや」の扉をあけてみました…。

「おためしべや」のむこうは別世界。そこで、赤い鎧に身を包んだミスター・ベンは、マッチ売りに火つけの仕事を奪われてしまったという竜のために、ひとはたらきすることになります。本書は「ミスター・ベンのふしぎなぼうけん」シリーズの1巻目。シリーズは以後も、奇妙な服を着て、「おためしべや」を通って別世界へ、というパターンで続きます。最後はもとの世界にもどり、「こんかいのぼうけんは、これでおしまい」という、いつもの文句でしめくくられます。小学校中学年向き。

2009年11月5日木曜日

しごとをとりかえただんなさん










「しごとをとりかえただんなさん」(ウィリアム・ウィースナー/絵 あきのしょういちろう/訳 童話館出版 2002)

昔、ちいさな家に、若いお百姓とそのおかみさんが住んでいました。ある日、いつもの畑仕事からひどくくたびれて帰ってきただんなさんは、おかみさんにいいました。「おまえはずいぶん楽な暮らしをしているもんだ。このこじんまりした住み心地のいい家に、日がな一日いられるんだからな」「そんなことを思ってたのかい? おまえさん」と、おかみさんは陽気にこたえました。そして、つぎの日、二人は仕事をとりかえることにしました。

いざ仕事をとりかえてみたら、簡単だと思っていた家事で、だんなさんはつぎつぎに失敗にしてしまいます。その後ろで、おかみさんが着々と畑仕事をこなしているのがおかしいです。けっきょく、最後はもとのさやにおさまります。ノルウェーの昔話。小学校低学年向き。

余談になりますが、デイビッド・マッキーの「るすばんをしたオルリック」(はらしょう/訳 アリス館 1977)も、同じ昔話にもとづいた絵本です。

2009年11月4日水曜日

ひゃくにんのおとうさん












「ひゃくにんのおとうさん」(譚小勇(タン シャオヨン)/文 天野祐吉/文 譚小勇/絵 福音館書店 2005)

昔、山奥の小さな村に、はたらき者の若い夫婦が住んでいました。ある日、畑をたがやしていると、土の中から大きなかめがでてきました。なかをのぞきこんだ拍子に、かぶっていた笠がかめのなかに落ちてしまい、あわてて拾い上げました。すると、どうしたことか、笠はなんと100枚もでてきました。

…という、不思議なかめのお話。このあと、夫婦はあまった笠を村人たちにあげ、続いて鉄鍋を入れたらこれも増えたので、村人たちに配ります。ところが、かめの評判を耳にした地主は、夫婦からかめをとりあげてしまい…と物語は続きます。淡彩でえがかれた絵は、くせがなく、話の面白さとあいまって、だれもが楽しめる絵本になっています。「こどものとも世界昔ばなしの旅」シリーズ(全30冊)のうちの一冊。小学校低学年向き。

2009年11月2日月曜日

アラネア あるクモのぼうけん












「アラネア あるクモのぼうけん」(J.ワグナー/文 R.ブルックス/絵 大岡信/訳 岩波書店 1979)

クモのアラネアは、糸をつむいで風をつかみ、空をとんで、だれかの庭に着陸しました。丸まった葉っぱにもぐりこみ、隠れ家をつくって、夜になると網を張りました。そして、網をつくってはこわし、つくってはこわしして、何日もすごしました。夏の終わりも近いある夜、アラネアはなにかいやなことが起きつつあるのに気づきました。風が強まり、空が割れ、雨が降ってきました。

緻密で繊細なペン画による絵本です。嵐がきて、雨に流されてしまったアラネアは、人家に入りこみ、なんとか一命をとりとめます。1匹のクモの生きるための大冒険が、擬人化を排した語り口で静かに語られ、深い感銘をあたえてくれます。小学校中学年向き。

2009年10月30日金曜日

ファンが悪魔をつかまえた












「ファンが悪魔をつかまえた」(やなぎやけいこ/再話 今井俊/絵 福音館書店 2005)

昔、ファンという大食らいの若者がいました。どんなに食べてもお腹がいっぱいになるということがないので、ファンの家はとても貧乏になってしまいました。とうとう、ファンのお母さんはいいました。「ファン、でかけていって、悪魔でもつかまえておいでよ。大食いのおまえより悪魔のほうがよっぽどましだよ」。そこで、ファンは、ほんとうに悪魔をさがしにでかけました。

このあとは波瀾万丈。海のむこうの火を吹くほら穴に悪魔が住んでいると知ったファンは、大ワシの背にのり、ほら穴を目指します。いつも腹ぺこなファンが、出会う相手だれにでも(悪魔にも!)「おまえを食べるぞ!」といいだすのがおかしいです。版画でえがかれた絵も、話の豪快さによくあっています。現在品切れ。小学校低学年向き。

2009年10月29日木曜日

エミリーときんのどんぐり

「エミリーときんのどんぐり」(イアン・ベック/作 ささやまゆうこ/訳 徳間書店 1995)

エミリーのうちの庭に、1本のかしの木が生えていました。エミリーはこの木を魔法の木だと思っていました。弟のジャックをつれて海賊船ごっこをすると、かしの木はいまにも船になり、風が吹いたらうごきだしそうでした。ある日、目をさますと、町は海に沈んでいました。そして、かしの木は海賊船になっていました。船に「きんのどんぐり号」と名づけたエミリーは、ジャックと船に乗りこみ、大海原をめざします。

このあとは大冒険。エミリーとジャックは世界のはてにいき、金のドングリを手に入れます。絵は独特の波線によってえがかれた、あたたかみのあるもの。海に沈んだ町の上を進んでいく帆船の絵はじつに魅力的です。オチも気が利いていて、楽しめる読物絵本になっています。現在品切れ。小学校中学年向き。

2009年10月28日水曜日

よるのねこ








「よるのねこ」(ダーロフ・イプカー/文と絵 光吉夏弥/訳 大日本図書 1988)

猫には、夜でもよくみえる目があります。わたしたちにはよくみえないのに、猫にはなんでもはっきりみえるのです。いったい、猫にはなにがみえているのでしょう。

まず、シルエットの絵があり、ページをめくると猫の目でみたようなカラーの絵になる、という趣向の絵本です。猫は、鳥小屋を通り、牧場にいき、畑を抜けて森にまで足をのばしますが、まだまだ夜の探検は終わりません。グラフィカルな絵が楽しい、雰囲気のある絵本です。小学校低学年向き。

2009年10月27日火曜日

おばけのトッケビ









「おばけのトッケビ」(金森襄作/再話 チョン・スクヒャン/絵 福音館書店 2005)

七つの山を越えたある村に、ひとりの若者が住んでいました。お父さんが死んでしまい、若者のもちものは杖とひょうたんしかありません。あちらの村、こちらの村と歩いても仕事はなく、若者は林のなかの墓のまえで眠ることにしました。すると、その夜だれかが、「おうい、じいさん起きろやあい」と、声をかけてきました。

声をかけてきたのは、おばけのトッケビ。若者を死人とかんちがいしたトッケビは、村の娘の命をとり、それでじいさんを生き返らせてやるんだと、若者を村の大きな家のまえに連れていきます。

韓国の昔話です。夜から朝に変わる場面がじつに鮮やか。途中、娘の命をとったトッケビは、うれしくて歌をうたいます。もちろん、話はそれで終わりではなく、若者の機転によりハッピーエンドを迎えます。現在品切れ。小学校低学年向き。

2009年10月26日月曜日

どうしてカはみみのそばでぶんぶんいうの?












「どうしてカはみみのそばでぶんぶんいうの?」(ヴェルナ・アールデマ/文 レオ・ディロン/絵 ダイアン・ディロン/絵 やぎたよしこ/訳 ほるぷ出版 1978)

ある朝、イグワナが水たまりで水を飲んでいると、カがやってきていいました。「あのねえ、お百姓があたしくらいあるヤマイモを掘ってたの」。そんなバカな話は聞いていられないと、イグワナは木の枝で両方の耳に栓をして歩きだしました。ところが、これが思わぬ大事件へとつながってしまいます。

西アフリカ民話。なぜカが耳のそばでぶんぶんいうのか、その由来を説いた絵本です。カのささいなひとことが、「風が吹いたら桶屋がもうかる」的に、大きな事件につながってしまいます。でも、太陽が昇らなくなり、ジャングルの動物たちが原因究明のため会議をひらくなど、スケールは「桶屋」をはるかに超えています。絵は、グラデーションを効かせた切り絵風の絵。独特の画風は好き嫌いが分かれるかもしれません。あと、「イグワナ」はおそらく「イグアナ」のことでしょう。1976年コルデコット賞受賞作。小学校低学年向き。

2009年10月23日金曜日

かえるがみえる












「かえるがみえる」(松岡享子/作 馬場のぼる/絵 こぐま社 1975)

「かえるがみえる かえるにあえる かえるははえる かえるはほえる…」ことば遊びの絵本です。かえるが、見たり、会ったり、這ったり、吠えたり、越えたり、ひっくり返ったり──するさまが、馬場のぼるさんのユーモラスな絵でえがかれています。ラストは粋な感じで終わります。

似た趣向の絵本に、五味太郎さんの「さる・るるる」(五味太郎/作 絵本館 1979)がありますが、こちらは失意のラストをむかえていたはず。読みくらべてみると面白いかもしれません。幼児向き。

2009年10月22日木曜日

灯台守のバーディ












「灯台守のバーディ」(デボラ・ホプキンソン/作 キンバリー・バルケン・ルート/絵 掛川恭子/訳 BL出版 2006)

バーディのお父さんがつぎの灯台守にえらばれました。みんなの命をあずかる灯台守にえらばれるのは、大変な名誉です。お父さんとお母さん、ネイト兄さんと妹のジェイニー、それにバーディは、灯台のあるカメ島に引っ越しました。

灯台にのぼるのが大好きなバーディは、お父さんから灯台守の仕事を少しずつ教わります。ところが、あるとき、お父さんは具合が悪くなり寝こんでしまいました。そんなとき、嵐がやってきます。バーディはひとりで灯台にむかいますが…。

舞台は19世紀なかばのメイン州。バーディがつけた日記という形式で書かれた物語絵本です。本のかたちは細長く、絵は水彩。ラスト、嵐のなか、バーディが灯台の火を守る場面は大変な迫力です。小学校高学年向き。

2009年10月21日水曜日

ふしぎなしろねずみ










「ふしぎなしろねずみ」(チャンチョルムン/文 ユンミスク/絵 かみやにじ/訳 岩波書店 2009)

雨がしとしと降るある日のこと、おじいさんは昼寝をし、おばあさんは縫い物をしていました。ふと、おじいさんの鼻の穴から、かさこそと音が聞こえてきたので、おばあさんがのぞいてみると、おじいさんの鼻の穴から、小さな白ねずみが出たり入ったりしていました。そのうち、白ねずみはおじいさんの鼻からでて、うちのそとにむかいました。いったいどこにいくのでしょう。

韓国の昔話。このあと、おばあさんは、うちを出たねずみが水たまりを渡れなくて困っているところを助けたり、牛の糞をほおばるところをながめたりしますが、途中で見失ってしまいます。ところが、うちに帰ってしばらくたつと、白ねずみがあらわれて、おじいさんの鼻にもどり、すると、おじいさんは目をさまして、いまみていた夢を話しだします。その夢は、おばあさんが白ねずみを追いかけていたときのこととまるきり同じなのですが、おじいさんは「こがねの入ったつぼ」をみつけたといいだして──と、物語は続きます。絵は味わい深く、色鮮やか。雨の場面と晴れた場面のコントラストが素晴らしいです。小学校中学年向き。

さんまいのおふだ












「さんまいのおふだ」(水沢謙一/再話 梶山俊夫/絵 福音館書店 1985)

昔、山のお寺に和尚さんと小僧が住んでいました。ある日、山に花を切りにいった小僧は、だんだん山奥にはいってしまい、ついには日が暮れて、帰り道がわからなくなってしまいました。山のむこうに明かりのついた家をみつけ、いってみると、家には白髪のおばばがひとり、いろりに火をたいていました。小僧はひと晩泊めてもらえることになりましたが、そのおばばは、じつはおにばさ(鬼婆)だったのです──。

ご存知、三枚のおふだのお話。方言で書かれた民話調の絵本です。方言はそう強くくありません。絵はとても雰囲気があります。小学校低学年向き。

2009年10月19日月曜日

ふとっちょねこ










「ふとっちょねこ」(ジャック・ケント/作 まえざわあきえ/訳 朔北社 2001)

あるところに、おばあさんが住んでいました。おかゆをつくっているとき、お使いを思いだしたおばあさんは、おかゆを見ててくれるよう猫に頼みました。ところが、猫はみているどころか、おかゆを食べてしまいました。それから、鍋も食べてしまいました。それから、帰ってきたおばあさんも──。

デンマーク民話。その後、そとにでた猫は、出会ったひとたちをかたっぱしから食べてしまいます。ジャック・ケントの漫画風の絵と、リズミカルな訳文が絵本をより楽しいものにしています。猫がかたっぱしからいろんなものを食べるという同趣向の絵本に「おなかのかわ」「はらぺこねこ」「はらぺこガズラー」などがありますが、それぞれ食べるものがちがうのが面白いところです。私見ですが、読み聞かせにはこの「ふとっちょねこ」が、ことばが面白く、いちばん向いていると思います。小学校低学年向き。

2009年10月15日木曜日

マルチンとナイフ







「マルチンとナイフ」(エドアルド・ペチシカ/作 内田莉莎子/訳 福音館書店 1981)

マルチンとお父さんは、森できのこをみつけました。でも、ナイフがありません。「かしの木の下に置き忘れたらしいな」と、お父さんがいいました。「マルチン、ナイフをみつけてきてくれないか」。そこでマルチンは、子犬と一緒にナイフをさがしにいきました。

ペチシカの絵はシンプルであたたかみがあります。ナイフをみつける途中、マルチンはさまざまな木のもとをおとずれるのですが、それらの木もシンプルながら、よく特徴をとらえてえがかれていて感心します。絵も文書も品のいい絵本です。幼児から小学校低学年向き。

エミールくんがんばる












「エミールくんがんばる」(トミー・ウンゲラー/作 今江祥智/訳 文化出版局 1977)

ある日、潜水服を着て海の散歩をしていたサモファ船長は、ふいにサメに襲われそうになりました。そのとき、タコのエミールくんがあらわれて、船長を助けてくれました。そこで、船長はお礼に、エミールくんをうちに招待することにしました。

おかに上がったエミールくんは、8本足で楽器を弾き、たちまち人気者になります。でも、海が恋しくなり、こんどは海岸の見張り番の仕事につきます。そして、そこでも大活躍します。タコのくせに、じつに格好いいエミールくんのお話。お話会の定番絵本のひとつです。本がまだ手に入るのがうれしいです。小学校低学年向き。

2009年10月13日火曜日

風にのっていったダニーナ












「風にのっていったダニーナ」(ジェイン・ヨーレン/文 エド・ヤング/絵 もりおかみち/訳 富山房インターナショナル 2009)

むかし、遠い東の国に、たいそうお金持ちの商人がいました。妻をなくした商人は、娘のダニーナを一生幸せにしようと決心しました。そこで、まだ幼いダニーナを、高い塀にかこまれた海辺の屋敷で育てることにしました。何年もの年月がすぎ、悲しみを知らずに育ったダニーナは、ある日、ふしぎな風の歌を聞きました。

ふしぎな風の歌はこんな風にうたいます。「わたしはいつもやさしいとはかぎらない」。ここではだれもがやさしいし、いつも幸せよと、ダニーナがこたえると、風はさらにうたいます。「なんと悲しい人生だろう」。
寓話的な読物絵本。エド・ヤングの絵は繊細かつ様式的です。読み終わると、深い余韻が残ります。小学校中学年向き。

2009年10月12日月曜日

モモのこねこ











「モモのこねこ」(やしまたろう/作 やしまみつ/作 やしまたろう/絵 偕成社 2009)

ある日、モモは道ばたのゼラニウムの茂みのかげに、1匹のみすぼらしい子猫をみつけました。「パパのおゆるしがあったら、そのねこ、かってもいいわよ」と、ママがいいました。モモは、パパのお許しがないときは泣いてしまおうと思っていましたが、パパは子猫を抱いたモモをみて、にっこりしました。モモは、子猫にニャンニャンと名前をつけました。日本では、子どもたちは子猫をそう呼ぶのです。

その後、ニャンニャンは大きくなり、5匹の子猫を生みます。子猫たちが大きくなったり、よそのひとにもらわれていったりするところを、絵本はていねいに描いています。ラスト近く、こんな文章が記されます。「1ねんまえには、とても、みすぼらしかった こねこは、いまでは せかいじゅうで いちばん うつくしいねこに なっていました。」

今年(2009年)は八島太郎の生誕100周年。本書はそれにあわせて復刊された絵本です(以前は岩崎書店から出版)。小学校低学年向き。

2009年10月9日金曜日

ゆうれいとすいか












「ゆうれいとすいか」(くろだかおる/作 せなけいこ/絵 ひかりのくに 1997)

ある男が、井戸でスイカを冷やしていたところ、幽霊にスイカを食べられてしまいました。「あんまりおいしそうだったからつい…」と、幽霊は泣いてあやまりますが、男は許しません。幽霊を家につれていき、蚊の退治をやらせます。すると幽霊は、「では、ところてんをつくる道具をおだしください」。一体なにをするつもりなのでしょう。

気のいい幽霊が奇想天外な活躍をするお話。このあとでてくる「おばけ組合でつくったすいか」は、なかの色が青く、食べると急に寒くなります。夏向けの涼しげな絵本です。小学校低学年向け。